怖がりな私たち

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怖がりな私たち

部長が定位置にはおらず、私を出迎えて静かに微笑み拍手をしていた。 店長も、マネージャーも、私のことを叱ったりしなかった。 何人かの、仲良くしてくれているキャストのお姉さんたちも、声をかけてくれた。 短い時間だけ、ちょっとしたお祭り騒ぎ、みたいな、そんな輪の中心に私はいた。 驚いてしまって、照れてしまって、私がこんなに、みんなに囲まれて、褒めてもらえるなんて夢なんじゃないの。 そう思うと、声が出なかった。 マネージャーが、人がまだいる店内だと言うのに、見られていると言うのに、私の頭を撫でる。 店長も、肩をポンポンと優しく叩いてくれて、労いの言葉を告げてから、店内の片づけへと戻る。 キャストのお姉さんたちもロッカールームへと向かいはじめ、フロアに人が減ってから、部長が口を開く。 「お説教は今度にしましょう。今日は素直に喜んでいいですよ。うたこさんの頑張りを称えましょうね」 「…やっぱり、おせっきょうは、されるんです、よね…?」 「大声で騒いだことと、店内でジャンプをしたことだけですよ。後一つは、自分でわかっていますね?」 「…すみませんでした。テンションが、あがってしまって。…はい、わかってます」 「多少、大きな声ではしゃぐのは全く構いませんよ。お客様が高価なものをオーダーして下さったら、喜んで見せるのは当然ですから。ただ、店内で飛び跳ねるのはやめて下さいね」 「はい…。これからは、ちゃんと、きをつけます」 「それでもうたこさんは、良くやりました。あの品は、今、なかなか手に入らないので。店にも少ししか置いていないんです」 部長は三つだけ私に今日の注意点を述べると、後は褒めてくれた。 三つのうちの最後の一つ、それを私はわかっている。 ちゃんと気づいているし、だからもう、綺麗にしとかなくちゃね。 そうして彼は、小さなカウンターへと戻って行く。 数歩ほど横に避けていたマネージャーが、私のところへやって来る。 先ほどの卓のテーブルに、私指名で来店してくれた客たちが入れてくれたシャンパンのボトルを並べておいたから写真を撮ってやる、と言って笑顔を見せてる。 私は、微笑み返すことが出来なかった。 「…まねーじゃ…、私、もうなにがただしくて、なにがよくないか、わかんない…」 「真面目なのはいいけどな、正しいとか、悪いとか、そう言うの気にしだすと何も出来なくなるぞ」 「…でも、いいのかな、私、…てんばつが、くだる」 「天罰とかあんの。なんか、宗教でも入ってんの、おまえ」 「わらわないでくださいよ…もう!」 いくら酔っぱらっていたからとは言え、いくら何度も人間扱いされなかったことに腹を立てたからとは言え、あんなことをして良かったのだろうか。 わからなかった。 また、わからないことが増えてしまった。 わからないことは、怖い。 でも、キヨシくんの、人一人の人生を潰してしまうかもしれないと言うことはわかっていた。 でも、酔いに、怒りに、憎しみに身を任せ、ぶっ壊してみたら、そうしたら沢山褒められたのだ。 私は確かに、褒められたいし、褒めてもらう為に頑張っているし、褒められないと存在価値を感じることが出来ない人間だけれど。 善悪の区別はついていると思っていたし、自分には、人を思いやれる気持ちがあると思っていた。 けれどそれは大きな間違いで、ただの自己中の、承認欲求が底なしの人間だったらしい。 少なからずそのことにショックを受けていたけれど、それでも、どうしよう、こんなに嬉しいし、幸せだよ。 見映え良く飾られた、それなりの本数のからっぽのボトルたちの真ん中に座る私。 一番高価な、滅多にオーダーの入らない、そのシャンパンのボトルを両手のひらで包んで持ち、胸元で斜めに構える。 なるべく控えめで、可愛く見えるような表情を作る。 実際に自分の顔立ちが可愛いかどうかと問われたら、全くわからない。 それでも「可愛い」と言われたことのある、そんな表情を心がける。 マネージャーが何枚も写メを撮ってくれて、始終笑顔を向けてくれて、水も持って来てくれて、周りに誰もいないことを確認すると耳元に顔を寄せてくる。 「後でラインするからな」 甘ったるい、ううん、私を甘えっこにさせる、そんな声音で囁かれる。 何だ、やっぱり、私は頑張れば頑張っただけ、ご褒美がもらえるんじゃん。 満たされたような気持ち、浮かれてしまいそう。 けれど私は、この後ミズキさんと共にミサに会いに行くのだから、正気を取り戻さなければならない。 酔いも薄れて来たような気がしていたし、少なかったとは言えないが、昨日ほど無茶な量は飲んでいない。 ロッカールームへ行くと、バックに化粧ポーチとハンカチを仕舞い、スマホのライン画面を開くと、早々にキヨシくんをブロックした。 うん、綺麗にしたよ、これで終わり。 それから、ミサのアイコンにもピンクのマークがついていた。 どうやら、一つだけのようだが、それでも連絡して来てくれたのだ、と思うと、すぐにタップする。 内容を確認したら、『三人で会う場所はミズキさんが決めてくれたよ。ミズキさんと一緒に来てね』と、一見大丈夫そうに感じた。 だけど。 ― 最後には、ミサの本心が、一言だけ。 『怖いよ、うたちゃん』 私もミサも、自分の抱えた問題を全て自分自身の一存で解決する力や判断力、自信を持っていなかった。 簡単なものや、得意なものであればそれは可能だったりもする。 けれど、その時の感情次第で選べる、選ばざるを得ないことはあっても、人生に関わりそうなものはダメなのだ。 これからの自分の生き方や未来を、もしかしたら大きく左右するかもしれない、そんな問題には、めっぽう弱いのだ。 私たちには誰かを頼ること、誰かに背中を押してもらうこと、答えを委ねることしか出来ない。 自分がない、と言われてしまえばそれまでなのだが、それでも怖いのだ。 ミサ、わかるよ、怖いよね。 どうしたら良いかわからないの状態でずっといるのも怖いものだけれど。 この人の言うことだったら間違いない、そう決めた相手からかけられる言葉を聞く、そんな時には、考えてしまうよね。 自分の願う言葉が返って来ないかもしれない、それはきっと、もっともっと、怖いよね。 『ミサ、わかるよ。今から、ミズキさんと行くからね。待っててね』 手短にそう返信してから、バックの中にスマホも入れて、ロッカーの鍵を閉める。 頬をパンパン、と両手のひらで叩いて、しっかりしろ自分!と、言い聞かせ、酔っている頭をなんとか切り替える。 それでもフラついてしまう脚をなんとか動かしつつ、フロアへと出る。 どんな状態でも、どんなことがあっても、私はフロアを歩く時は背筋を伸ばすと決めていた。 たまには、出来ていない日もあったかもしれない、でも出来る時は必ずそうしていたかった。 店はもう閉店しているし、その必要はないかもしれない。 それでも私は精一杯、背筋を正して進んだ。 少し早歩きで待機席へと向かい、私のことを待っていてくれたミズキさんの姿を捉えると、彼女の元へと駆け寄った。 ミズキさんの私服姿は、意外なことにラフでシンプルな印象のものだった。 真っ白な無地のノースリーブに、薄いブラウンのワイドパンツを履いていて、ハイヒールではなく、高級ブランドのレザーのミッドヒールのサンダルを合わせていた。 もちろん、手にしている黒いバックの方もそうだ。 ブランド物にとことん疎い私に、詳しい客が勧めてくれたことのある、個性的なデザインで機能性も良いと褒めていたものだった。 「終わったの?お疲れ様。行くわよ」 「ミズキさん、お疲れ様です。…あの、どんなお店に行くんですか?」 「喋れるところよ。ミサさんが万が一取り乱したりしても、なんとかしてくれるわ」 「カラオケとかですか?防音だし…」 「違うわ。大丈夫よ、とにかく彼女を長い時間一人にしておく方が心配だわ。行きましょう」 スッと上品に立ち上がったミズキさんは、私が部長にロッカーの鍵を返し、お疲れ様ですと伝えたのを見届けると、出口へと向かって通路へと出る。 その後を追いかけて隣に並び、共に自動ドアをくぐって階段を下りる。 店からある程度離れたところで、私は躊躇いつつも、それでも二人の間の沈黙を破ることに決めた。 確かめたかったことを、問題を解決する良い考えを、それをミズキさんは持っている。 そうに違いないと思い込んでいたので、少しばかり大きな声が出てしまった。 「あの…!ミズキさんは、ミサに、なんて言うんですか?」 「そうね。残念ながら、私の価値観でお話をしても、ミサさんの気が済むような結果にはならないわ。傷つけることになってしまうのよ」 「…!…そう、ですか…」 「落ち込まなくても良いのよ。ミサさんには、まず依存先を増やすことが必要だと考えたわ」 「依存先、ですか?…確かに、私もミサも、好きな人には依存し過ぎる傾向があると思います…その人が全て、みたいに…なっちゃうって言うか」 「後は、同棲の解消ね。けれど、お話を聞いてみたら、今のミサさんにそれを実行することは難しいと思えたわ」 スタスタと、しっかりとした足取りで歓楽街の道を進むミズキさんの姿はやはり美しい。 それに引き換え、酔いの残る体を引きずってフラフラとしながらオタオタついて行く私と言ったら、なんだか正反対過ぎて情けない。 私の力がなんとか保つのは店の中でだけで、発揮できるのも店の中だけで、外に出ればただの周囲の人間全てが恐ろしいと言うメンヘラでしかない。 そんな私のことを、ミズキさんは見抜いたようで、歩幅を合わせると手を繋いでくれる。 「ミズキ…さん?あ、すみません…」 「そう言えば貴女、酔っているのよね。怪我だってしているし。気づくのが遅くなってごめんなさいね。道も、わからないと不安でしょう。ああ、昔のミサさんを思い出すわ」 そう言って微笑むミズキさんは、懐かしそうに口紅と同じ桜色で縁取った瞳を細めた。 私は、彼女に聞いてみたかったことを聞いてみようと決めて、口を開く。 ミズキさんなら、こんな人だったら、この問いかけを嫌な風には受け取らずに答えてくれる、そんな気がしたからだ。 「…変なことを、聞いてもいいですか?ミズキさんは、ミサに良くして下さっていたと聞きました。それが、少しずつ疎遠になったとも。何か、理由が…あったんですか?」
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