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魔女の言うこと
「いらっしゃい、ミーちゃん!今日はすいてるから、座れるよ。ミサだっけ?そのコもちゃんと元気よ!」
「…ミーちゃん?」
「私のことよ。ママ、急にごめんなさいね。何か、好きに飲んでいいわ。ミサさんは一人?あの客は帰ったの?」
「トイレに行ってる。ミーちゃんはいつものね。後ろのアンタは?何飲むの?」
「…あ、…うたこです、失礼します。うんと、何が、あるのか…わからなくて…」
とても狭い店内には、人が三人立てるかどうか、と言うくらいのスペースにママと呼ばれた人の姿があって、周りがカウンタ―席になっていた。
店中をぐるりと囲むように棚があり、沢山の酒瓶や、手紙のような紙でビッシリと埋まっており、このような飲み屋に馴染みがなかった私にとっては異様な風景に思えた。
少しばかり臆してしまう私を見て、ミズキさんはクスクスと笑う。
「貴女、座りなさい。ミサさん、大丈夫?酔ったのかしら。…ああ、泣いているのね」
ミズキさんに言われて、立ち尽くしていた私は慌てて、入り口から一歩で辿り着いてしまうそのカウンター席の、ミズキさんの座っている丸椅子の横に腰掛けた。
カウンタ―の一番端にある壁際で突っ伏しているミサ、その横にミズキさん、その隣に私、の並びで、すぐ目の前には「ママ」が立っている。
真っ暗と言う状態に近い、その店内をぼんやりと照らしてくれている明かりは、カウンター内の棚に置いてある不思議な形状をした、アジアンテイストなアンティーク風のランタン三つだけだった。
ママは60代~70代くらいに見える女性で、白地に和柄の、多分牡丹か椿だと思うのだが、その真っ赤な花の柄が描かれたシャツに、黒いロングスカートを着用していた。
若い頃は整った容姿をしていたのであろう、皺の刻まれた顔に目をやる。
薄い瞼には水色のラメの光るアイシャドウ、唇には真っ赤な口紅と言う、どこか浮世離れしたような風貌をしていた。
「うたこね、アンタは…酔いたい?酔いたくない?」
「…ミサ、泣いてるみたいなので…どちらがいいのか、わからないです…」
「ちょっと、ママ。どこが元気なのよ。ミサさん、泣いているじゃないの」
「気性の激しいコで面白いね。さっきまでは笑ってたよ。客と出てっちゃうとこ、引き止めてやったんだ。ありがたく思いなよ」
ミズキさんがミサの背中を撫で、顔を覗き込んで何度も話しかけ、泣き止むように言っている。
そんな中、ミズキさんの前にはロックグラス、私の前にはブランデーグラスが置かれる。
どちらもブランデーをベースにしたカクテルだとママが説明し、トイレに行っていたと言う客が戻って来て私の隣へと座った。
黒地に外国のロックバンドのメンバーが印刷されているTシャツを着ていて、ダメージジーンズを履いている、真っ白な髪を肩まで伸ばした歳のいった男性だった。
ミズキさんがそのことに気づいて、自分の席に元々あったロックグラスをその客の方へと手で避けたので、私がバトンタッチして彼の元へと届ける。
「どーも!ミサちゃんの待ち合わせ、終わったんなら俺もう行くわ。ママ、勘定よろしく」
「残念だったね、持ち帰れなくて。今日は諦めて、また来たら上手く行くかもね」
「当たるからなあ、ママが言うと。じゃ、次は期待してまた来るかなあ」
「あの!すみませんでした、ミサを案内して下さったんですよね?ずっと、付き合ってくれてたんですよね、大丈夫でしたか?」
「全然!気にしなくていいよ。こんくらいよくある。ミサちゃんがあんまり甘えてくれるからさ。年甲斐もなく嬉しくなっちゃって、寿司屋に誘っただけ。安心して」
「…そうだったんですね。ありがとうございました。ミサに、優しくしてくれて」
いい客だったようで、ホッとする。
そりゃそうか、ミズキさんがこのミサ、色恋営業、枕営業しまくりのキャバ嬢で、しかも病み尽くしてる、そんな女のコを任せる知り合いなのだから。
グラスに残っていた酒を一気飲みすると、その客はママに支払いをして、私たちに一言別れの挨拶を残して店を出て行った。
カランと言う氷が溶けて鳴らす音と、ミサのしゃくり上げる声と、ママの鼻歌と、ミズキさんの静かな慰めの言葉だけが置いてけぼりとなった。
「仕方ないわね。貴女、…うたこさんも、ママの占い、面白いからしてみるといいわ」
「占い、ですか?…でも、ミサ、泣いてるし…」
「天岩戸神話、知らないかしら」
「…知ってます!古事記のやつですね」
「そうよ。私は、恋愛のことを占ってもらったらいいと思うわ」
「はい!あの、ママ!私のこと占って欲しいです!って言うか、占い師だったんですか?」
「あはは、どうだろうね。水晶だよ。少し灯りを増やすから、待ってなね」
どうせだったら、仕事のことを占って欲しかった。
でも、確かに今のミサが興味を持ちそうな内容と言えば恋愛に関することかもしれない。
基本的に私は占いを全く信じていなかったし、どちらかと言うと嫌いだった。
まあ、店での接客で話題にも上げやすそうだし、何よりも最悪な結果が出て哀しんだならば、ミサも自分だけが不幸なわけじゃない、なんて気分になって少しは気分転換になるかもしれない。
ランタンの数が幾つか増やされて、薄暗い店内が多少明るくなる。
ママはさっそく私の前に、華奢な金属の台座に設置された水晶玉を用意すると、カウンターに肘をついた。
「…恋愛のことって、現在進行形のことですか?それとも、将来結婚とかする人のことですか?」
「好きな方にすれば良いわ。私は占ってもらったことはないけれど、当たるらしいわよ」
「マジですか。え、どうしよう…迷う…」
「はい、いいよ。準備出来た。恋愛ね、………うたこ、アンタ相手いるのね」
「まだ何も言ってないですよ!やめて下さい!私のプライバシーなんで!!」
しかも恋人じゃないし。
なんか、勝手に占いがはじまってしまった。
私は何も当てられたくないし、当たっていなくても、占いの結果に一喜一憂するのは嫌だ。
しかもミサには好きな人がいることすら打ち明けたことがない。
黙っていたことにショックを受けてしまったり、余計哀しい気分にさせてしまったら意味がない。
やめさせようとする私を他所に、ママは右手を水晶に翳し、左手を翳す、をゆっくりと繰り返し、水晶玉を見つめる。
「…いいと思うよ」
「何がですか?って言うか、やめよう、やめて下さい!」
「アンタは成長したいんだね。だったらいいと思うけどね。相手は、今ので」
「ですって。うたこさん、良かったわね。で、ママ、成長云々を抜きにしたら、その相手はどうなのかしら」
「そりゃあ言えないよ。プライバシーなんだろ。うたこはバランスを取るのが上手くないね。きっとそれは、ミサもだろうね」
そうだ、私たちはバランスを取ることが下手だ。
いつも綱渡りをして生きている。
そんな生き方しか知らないし、出来ないからだ。
どうして?
なんでこんな風になっちゃったの?
そうか、なんだ、だったらそれを聞けば良かったんじゃないか。
「あの!じゃあ、どうやったら、バランスって取れるようになるんですか?」
「難しいね。もう、そう言う人間になっちまったんだよ。何か大きなきっかけがいるね」
「きっかけ…ですか…」
「ねえ、ミサさん、きっかけを見つけることにしない?今しか見えない気持ちもわかるわ。でも、世の中は広いわよ。深い傷を負ってしまったら、すぐに治したくなるものだし、傷を負ってしばらくはひどく傷むわね。だから、そこから一旦、目を逸らしてもいいのよ」
そんな穏やかなミズキさんの声に、ミサはゆっくりと顔を上げ、こちらを向いた。
今日はきちんと綺麗に化粧をしており、服装もまともだし真っ赤な染みなどついていない。
薄紫で透け感のあるスクエアネックのチュニックブラウスに、ジーパンを履いていて、手首にはどうやら包帯が巻かれているようだ。
太ももの上には、少々大き目な、店に出勤する時に使っていたハイブランドのピンクのバックが置いてある。
そして足元は、やっぱりペタンコでヒールのない、ビジューで飾られたサンダル。
ペタンコな靴を履いているミサ。
それはまだ、ユウくんに可愛いと言われたい、ユウくんのことが好き、そう言うことなのだろう。
まつ毛や頬が濡れて光っているその顔を見て、第一声、どんな言葉をかけたら良いのかわからなかった。
私は、ニコッと微笑むと、先ほどママが作ってくれたブランデーのカクテルとやらを口にする。
美味しい、へえ、こんなカクテルがあるのか、と感心しながら、ついついゴクゴクとそのまま飲んでしまう。
ミズキさんもロックグラスの中身をからっぽにすると、ふう、と息を吐いてからスバックの中からスマホを取り出す。
「…ミズキさん、うたちゃん、…会ってくれて、ありがとう…。ママも、…あの人は、帰っちゃった?いい人だったのに、私、絡んじゃった…最悪…」
「気にしなくていいわ。あの人、慣れているから、そう言うの。ママ、ミサさんはお酒を飲んだかしら?」
「飲んだよ。ああ、まだ飲む?…話、聞いたけどね、酔っぱらって遊んで笑って泣いてりゃ、人生あっと言う間だよ!ババアになってから、笑い話のネタにもなりゃしない、そんな話ばっか集めても勿体ないだろ」
そう言ってニヤっと笑って見せるこの店の店主は、まるで魔女のよう。
だってその言葉はきっと当たっていて、今と言う時間は二度とはやっては来なくて、だから尊くて、様々な感情を抱いて、けれど、それら全てを無視して時は過ぎる。
例え自分が膝を抱えて何年もうずくまっていようとも、周囲はそれぞれに移り変わって行く。
そんなものの積み重ねで人生って言うやつは出来ているのだろう。
でもミサには、その「今」が、全てだ。
「ミサ!ミサはママに占ってもらった?私は当たってる気がした。ミサも、やってもらったら?」
「…占い…あ、ママ、さっきの、レモンのやつ、欲しい。あと、私も、占い…してみようかなあ…」
「レモンのカクテルもあるんですか?私も、次のはそれがいいな!」
「はいよ。どっちもブランデーのカクテルだよ。カクテルは、プロみたいには作れないけどね」
「ママは、店の一国一城の主ですよね。きっと塩梅がわかってるんですね。…あの、ママは、愛した人に奥さんがいたらどうしますか?」
「昔の私だったら、奪い取ったかもしれないね。敵わない相手だったら、他の男を探すよ」
「…奪い取る、の?敵わない時、どうやったらいいの?次の男なんて、思い浮かばないよ、私…」
ママは、私とミサに改めて作ったカクテルを差し出すと、うーん、と顎に手をやって考えてるフリをして、再び魔女のように笑う。
「粘り勝ちを狙うか、無理ならスパッと切って、忘れるまで遊び呆けるのが一番だね。…ああそれと、ミーちゃん、無理すんじゃないよ」
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