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鳴り続けるスマホ
それからミズキさんは、新宿二丁目に私たちを連れて行ってくれた。
私もミサも、まだお互いに独り身だったならば、いや、独り身なのだが、好きな相手がいない頃だったならば、もしかしたらいつかは行くこともあったかもしれない。
けれど、その機会が訪れる前に、私たちはそれぞれ勝手に自分を生かす手段、目的となってくれる人物を見つけてしまった。
ミサはユウくんと共に過ごすことが至上の喜びとなっていたし、私の方だって仕事とマネージャーのことでいつも手一杯だった。
自分の好きなこと、自分の趣味、新しいことへの興味、楽しいことを渇望する気持ち。
新しいことへの挑戦や、知見を広げることや、その経験への憧れ。
抱くはずだった全ての関心や好奇心は、好きな人のことを想うだけで、湯だった脳が自動的に蒸発させてしまう。
それ以外の何もかもは、好きな人に尽くすことでしか満たされない、と心が完全に麻痺してしまっている。
縋り付いた勘違いや幻惑だけで、どうにか息をすることが出来ている。
彼が、好きな人がそこにいるから、だから、やっとで生きているだけのそんな私たち。
あなたを映す為の目だから。
これは、その為の目なの。
とち狂った、キチガイ状態のそんな目なんかじゃ、いくら良く凝らして見たところで、新しい世界など見つけられるわけなどない。
そこにミズキさんがやって来たのだ。
ちょこっとだけ珍しくて、胸をワクワクとハラハラで騒がせてくれるような、刺激的なプレゼントを持って。
他のものにも興味を持ってみて、と、自分から塞いでしまった窓のカーテンに隙間を作り、新しい輝き一筋で一時目を覚まさせてくれる。
彼女が見せてくれる世界は、自分が檻の中にいたのかもしれないと気づかせてくれて、少しだけここから抜け出してみようかな、なんて思わせてくれた。
面白そう、テレビや雑誌や漫画やドラマ、ネットや人づての話じゃない。
本物へと遊びに行こうと、そう誘ってくれたのだ。
「…ミズキさん、…私、スマホが…、ずっと、なってて…」
「彼氏からね。ミサさんは、出たいかしら?それとも、出たくない?」
「…私、…きょう、…ひさしぶりに、わらったんです…」
「ミサ、良かったらスマホ、私が預かってようか?」
「うたちゃん、…うん、…もってて、くれる?」
「返して欲しくなったら、いつでも言ってね。絶対に返さない!!なんてことしないから!…大丈夫だから、ね?」
頬を酔いで赤く染めたミサは、一瞬躊躇ったようだったけれど、コクン、と首を縦に振ってニコッと笑顔になる。
そうして、マナーモードに設定されている、震え続けるスマホを私へと手渡した。
私はミサの目の前で、不安にさせないように自分のバックの中へとそれを大切に仕舞う。
ミサさんはその光景を見て微笑むと、うーんと首を傾げてから言う。
「ショーをやっているようなところへ案内したかったのよ。でも、今日はもう閉まっていたのよね。時間って、あっと言う間ね。でも…ミサさんは、まだ帰らない方が良さそうだわ」
「そうですね…。めっちゃ電話、鳴ってるし。ユウくんが、寝てからとかですかね?」
「…ふたりとも、ごめん…。ミサさんも、うたちゃんも、きょうだってしごと…あるし…、………うん、やっぱ、かえろ?」
「平気よ。貴女は何も気にしなくていいわ。行きましょう。まだ営業している店を知っているわ。うたこさんは…」
「行きますよ!帰ってから、水、がぶ飲みすればいいし!私は平気なので!」
ミズキさんは心配そうにしてくれたけれど、ミサは喜んで私に抱き着いた。
放っておけるわけなどなかった。
いくら、さっき笑っていたからと言って、人の話を聞いて相槌を打つことが出来るようになっていたからと言って、そんなものは私にだって出来る。
私たちは、どんなに心では絶望していても、笑ったり接客をこなすことが出来てしまうのだ。
だからと言って、消えたわけじゃない。
無くなったわけじゃない。
不安や恐怖心や、虚無感や苦しみはずっと自分を蝕み続けているのだ。
だからミサだって。
例えどんなに楽しそうにしていても、ちゃんとしっかり、溺れ死ぬ程に苦しくて、今にも叫び出しそうなはずなのだ。
― ひとりにしたら、まだ、ダメだ。
私たちは心細い気持ちを分け合うように、腕を組んで体を寄せ合う。
そうやって、口調は変わらないものの多少フラついて歩く、少しばかり酔っている様子のミズキさんの後をついて行く。
「店に入る前に、気を付けて欲しいことがあるわ。私、大切なことなのに…訊ねるのが遅かったわね。二人とも、LGBTQへの理解はあるかしら?偏見を持っていたりは、しないわね?意味は、わかる?」
「私は、ぜーんぜん!気にしないですね!嫌な感情もないです。人間は、人間なので!それぞれです!」
「…すみませんんんん!!ミズキさん、私、いみ、わかんないです…」
「ミサさんは、男性なのに男性のことを愛する人や、女性なのに女性を…」
「ああ!いみ、わかったあ!!しってる、それ!!わかりますー!!私も、ぜんぜんだいじょぶ!!」
「…大丈夫かしら、本当に。…そう言った方に、失礼なことは言わないように。冗談でからかったりするのも、絶対にしてはいけないことよ。私たちは客だけれど、金を支払うからと言って、人をバカにしたり傷つけたりしても良いなんてことにはならないわ。客だからと言って偉くもないし、何を言っても許されるわけじゃないのよ。…それは、…そうね。そうよね…」
ミズキさんは、そこで一旦言葉を区切ると、俯いて、誰かに同意を得るようにこう言った。
「そんなこと、私たちは…、身を持って痛いほど、知っていたわね…」
悔しそうな。
私たちが、踏み躙られた時に。
傷つけられた時に。
言葉と言う武器で殺された時に。
血の滲む傷口を、自分の手のひらで強く握って、それでも笑顔で。
痛みを、辛さを、流れる血を、相手に見せないようにと必死で隠している時に。
必死で絞り出す呻き声のような、そんな声だった。
ミズキさんは、ちゃんと知っていた。
それは、私たちに対しても、そうだと言うことを。
― それなのになのに。
入り口はとても狭い路地を入ったところにある、行き止まりなのかと思えてしまうような、そんなところにあった。
ここに来るまで、沢山の看板があった。
大きくて派手なものや、黒一色に赤で店名が入っているちょっと怖そう、なんて印象を持ってしまうものや、それから、直に地面に置かれ、建物へと立て掛けられているようなものまで。
入り口である、重たそうな鉄で出来た小さなドアだけを見たら、中はやはり狭いのだろうかと思えたが、そんなことはなかった。
フロア、と呼ぶのかはわからないが、室内には十名ほど客が座れるカウンターがあり、入り口から見て一番奥は、壁に沿ってコの字型に繋がったソファの卓が二つ。
カラオケが出来るようで、大きな液晶の画面がボックス席の上に二つと、カウンターの棚と棚の間に一つ設置してあった。
私から見たら、カラオケのあるガルバ、もしくは店員が男性のスナック、みたいな印象を持つような店だった。
「あらあ~!お疲れ!ミーちゃんじゃないの~!どうしたの、一人じゃないなんてはじめてじゃない~?」
「お疲れ様、ママ。…そうね、ミサさん、何が飲みたいかしら?好きなシャンパンが、店にあったら良いのだけれど」
「シャンパンですかあ?私は、シャンパンは、なんでもだいすきです!」
「ミサ、でもミズキさん、ずっとミサの分も払ってるんだよ。ちゃんと、メニュー表、見せてもらお?」
「いいのよ、うたこさん。ミサさん、今日を記念日にしなさいよ。お祝いしてあげるわ。だから、貴女は今日、変わるのよ」
ミズキさんは、ミサにそう言って発破をかけた。
果たしてこの言葉の意味することを、ミサは理解することが出来ていたのかどうか、それはわからない。
フロアへと自分から進んで入って行って、カウンター席の一番端っこに勝手に座って、周りを見渡している。
他に客は、奥のソファのボックス席に二組、それぞれ三人くらいで来店しているようだった。
店のスタッフなのであろう、ガタイの良い黒髪短髪で白いTシャツにジーパン姿の男性と、少し華奢な印象の髪を青に染めている、派手な柄のシャツにハーフパンツを履いた、若そうな男性の後ろ姿が見て取れた。
時々大きな笑い声が上がっており、彼らは上手に接客をこなし、酒を作ったり話を盛り上げたりしているようだ。
ママ、と呼ばれていた、カウンター内で私たちの相手をしてくれると思われる人物も男性だ。
化粧をしたり、女装をしたりはしていなかったし、スタッフは全て男性で、ママはオネエ言葉。
そんな雰囲気からして、この店はゲイバーかLGBTQが特に指定されていない、所謂観光バーなのかな、と予想する。
一言さんお断りとかではなくて、ノーセクの女性客でも受け入れてくれる、そんなバーのことをそう呼ぶのだ。
奥の客は団体っぽいので、ここでは三人でちゃんとミサの問題の解決について話を詰めることが出来そうだと考えた。
けれど、ミズキさんはどうやらミサに、もっと酒を飲ませようと思っているようだった。
判断力をこれ以上奪ってしまったら、大変なことにはならないだろうか。
でも、ミサは物凄く楽しそうだし、ミズキさんは「気晴らしに付き合う」とはじめは言っていた。
もしかしたら、ミサの気晴らしは、一日で済むだろうと、そう考えていたのだろうか。
…先ほどは、「今日を記念日にしろ」と、まるで今、この時に、全部終わるみたいなそんなこと言ったのだし。
今日を、ダメ男と別れられた日にするのだ、と応援するような、そんなことを。
ねえ、ミズキさんは、そんなこと、ミサに出来ると思ったの?
ー きっと、もうなんとかなる。
ミズキさんは、そう答えを出してしまった、…そう言うことなのだろうか?
それは、人によっては可能だと思う。
でも、ミサは。
ねえ、ミズキさん、ミサは病んでてメンヘラでリスカしてて、血まみれだって平気な女なんだよ?
私のバックの中では、ミサのスマホが鳴り続けていた。
★RGBTQ★
レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クエスチュニング、などの性的マイノリティの方を表す総称の一つです。
★二丁目に遊びに行く際の注意★
暗黙のルールと言いますか。
まずは「RGBTQ」に偏見を持っている方は絶対に行かないこと!!!
店のママやスタッフの方たちの性的マイノリティをからかう、バカにする目的で行くことも厳禁です。人として当然です。相手も人間です。
ストレートの方がゲイの方を「オカマ」「オネエ」「ホモ」と言った言葉で呼ぶと、差別的な表現と捉えられる場合がありますので避けましょう。
「イケメンなのにゲイなんてもったいなーい!」なども、とても失礼な言葉です、何気なく言っただけだとしても、相手をとても傷つける可能性があります。言葉には充分気を付けましょう。
そして、店の方や他に飲みに来ている客の方に「普段お仕事何をなさっているんですか」などと言う話題を振るのも避けましょう。
ゲイバーなどでは、様々な仕事をなさっている方が来店なさいます。
仕事に触れられたくない場合もありますので、相手の方から話題にして来た場合は別ですが、こちらから振るのは避けましょう。
誰もが「オープン」「カミングアウト」なさっているわけではないので、プライバシーに関わる話題はこちらからは避けましょう。
また、政治や宗教の話題も避けた方が無難です。
スマホを長時間使用するのも辞めた方が良いかもしれません。
相手に気をつかわせてしまう可能性があります。
それと、ショット一杯で長居は厳禁です。
これはゴールデン街でもそうかもしれません。
酒に弱い場合は、店のママ、マスターやスタッフに「良かったらどうぞ」と酒を振る舞うと良いでしょう。
後、二丁目~三丁目周辺だと、何度かスリ被害の話を聞きました。
抱き着きスリと言った方法で、酔っているフリをして抱き着いてくる方がいらっしゃって、抱き合っている間に貴重品を盗まれるのです。
見知らぬ方にハグを求められても応じないことです。
なので、どれだけ酔っても路上寝は避けましょう。(いや、どこででもダメですが)
二丁目にはホテルもネカフェもあるので、酔い過ぎたらそちらへどうぞ。
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