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命懸けの愛
大丈夫だろうか。
ミズキさんは、もしかしたらミサがメンヘラであることを知らないのだろうか。
もしくは、彼女のメンヘラの度合いをわかっていないのだろうか。
メンヘラってのは、面倒くさくって、バカで、時に思いもよらないことをしでかす、そして時に、常識が良くわからなくなってしまう。
普通の人がドン引くようなことも、仕出かしてしまう。
そう言う生き者だと言うこと。
それらを、知らないと言うことなのではないだろうか。
メンヘラ当人である私は思う。
まだ、ミサにユウくんとの別れを決断させるには、少し早いんじゃないかな、と。
だってミサは、命懸けでユウくんを愛しているのだ、多分。
それは、愛ではないかもしれなけれど、ミサにとってはそうなのだ。
私たちメンヘラの命懸けは軽い。
自分にとっては。
だから吹き飛ばないように、ぐるぐる巻きにして、命綱にするのだ。
見つけてしまった、恋とか、愛とか、好きとか、情熱とか、幸せだと感じた僅かな時間だとか、それを感じさせてくれるものに。
それを吹っ切ると言うのは、やっぱりこれもまた命懸けでしかない。
私はそう思っていたのだけれど、そうじゃない場合もあるのかもしれない。
「シャンパンあるんですかあ!?えっと、ママ、メニューみたいです!!」
「いいわよ~。せっかく来たんだから、楽しんでね~。何人かスタッフ帰しちゃったんだケド、私がいれば十分よね~!」
「ミサさん、少しは元気になったかしら?」
「うん!!私、いま、すっごーい、たのしい!!」
「……ミズキさん、…あの…」
「すっご!ドンペリ、やっすうーい!のみたーい!ママ、ねだん、ほんとー??」
ダメだ、また、ミサの隣にミズキさん、彼女を挟んで私、と言う並びになってしまった。
ミサと二人で話すことが出来ないし、ミズキさんはミサにばかり気持ちを向けている。
でも、うん、ミサはこんなに上機嫌で酔っぱらっているし、あのミズキさんの考えることだから、上手く行ったりするのかもしれない。
良くないな、私はいつも、どんなことでも、最悪のパターンしか予想することが出来ない、そんな癖がついていて。
しかもそれだって、外れることあるって最近わかったし。
うん、つまり、それよりさらに悪かったパターンとかあったわけで。
…ダメじゃん。
けれどもう今は、膝に置いたバックからは、ユウくんからの着信を知らせる不愉快な小刻みな揺れは感じない。
不安なんて感じなくて良いのかもしれない。
出来るだけの手を尽くさないと心配で心配で仕方のない私は、手を抜いた、気を抜いた。
ちゃんとバカみたいにやり過ぎくらいにキッショイくらいに、いつものように恐れていれば良かったのに。
だってその癖は、その地獄のような想像から、そうならなかった時に安心する為の材料で。
そうなってしまった時に「やっぱりね」と諦めることが少しだけ楽になる、御守りでもあったのだから。
「なあに?ドンペリ飲むの、ミーちゃんたち。白しかないわよ~!悪かったわね、安い店で~。ミサ?よね?どうしたの、目の下黒いわよ~?」
「えへへ~!けしょうひん、もってきてなくって!かお、いっぱいこすったから…けしょー、なおしたいなあ」
「あ、ミサ、私の使っていいよ。……でも、鏡がないから。お手洗い貸してもらっても大丈夫ですか?」
「いいわよ~!ボックス席の横にあるわ。鏡もね。シャンパン準備しとくわね~!」
私とミサは席を立って、ママが教えてくれたトイレへと向かう。
ミズキさんには聞かれないように、多少怪しいかもしれないけれど私も一緒にトイレの中へと一緒に入って、鏡の前で自分の顔を確認しているミサの様子を窺う。
確かに顔色も悪くない、と言うか酔いによってほんのりと首や鎖骨周りまで赤く染まっていて、口角も上げているし、目もパッチリと開いている。
今にも消えてしまいそうだった、あの日のミサではないように見える。
私は、バックの中から化粧ポーチを取り出すとミサに渡す。
それから、二つしか個室のドアのない、一面タイルで囲われた小ぢんまりとした空間の中で、小声でミサに話しかける。
「ごめんね、鏡、本当は持ってるんだ。ちょっと、ミズキさんに言えない話だから。ミサは、私が話す内容、秘密にしてね」
「なあに?どしたの??はやく、のもうよお!あ、このアイライン、いいねえ、つかいやすうー」
「…ミサ、シャンパンは、…ううん、酒はもう、これで最後にしよう?それでさ、明日も一緒に飲みに行こ?毎日でもいいよ!ミサの気が済むまで、何日だってついて行くから。今日はもう、終わりにしない?」
「なんで?やだ。私、もっとわらいたい。たのしーことないなんて、いきてるいみ、ない」
「だったら、明日も楽しくしよう!今日はもう寝た方がいいよ、ミサ。脚、引きずってたし、痛いなら沢山寝て治さなきゃ」
「ううん、きょうがいい。きょう、たっくさん!わらいたいの!きょうしか、ないの!」
ミサは私の話を、精一杯の説得を、全く聞き入れてはくれない。
簡単なアイメイクを手早く済ませ、涙袋の下に出来た薄黒い灰色の部分を、コンシーラーでベットベトに塗り固めて、手洗い場で指先と手の甲をゴシゴシと乱暴に洗う。
何度も鏡を見て、頬に両手のひらをあてては、ニコ、っとして、それをまるで練習しているかのように繰り返している。
どうしてだろう、今までのミサだったならば、私の話をもっとちゃんと聞いてくれたような気がするんだけど。
一生懸命伝えたら、わかってくれて、ちゃんと納得してくれたのに。
私には、今日のミサの気持ちを揺らすことは出来ないようだった。
ユウくんの連絡を無視したから、会って嫌われたり、冷たい態度を取られるのが恐ろしいのだろうか?
約束を破り、勝手に遊びに出ていることに対して、罪悪感があるのだろうか。
それとも、ただ今が楽しくて、それだけで、自分の選んだ時間を彼と過ごすことよりも、優先させたいと考えているのだろうか。
自分が楽しいと思える瞬間を、彼を蔑ろにしてでも選ぶことが出来るようになったのだろうか?
そうしても良いのだ、と思えたってこと?
自分を大事にする為の自我ってやつが、芽生えて来たって言うこと?
そうなんだったら、私だって、ミズキさんと共に、ミサの変わって行く姿を見たいと思うし、共に喜びたいと思う。
でも、そんな風に、すぐに、こんなたった数時間の息抜きで、ミサのユウくんへの気持ちが大きく変わったりするものだろうか?
考え込んでいたら、ミサが私の胸に化粧ポーチを押し付け、パッと背中を向けた。
「ありがとーね、…うたちゃん」
それだけ言って、トイレのドアを開けて出て行ってしまう。
ありがとう、を、私の顔を見て、目を見て伝えてはくれなかった。
ミサは、私よりもミズキさんの言葉を信じているし、正しいのだと思っている。
何よりも実際に、ミサに沢山の笑顔を与えてくれていたのは、ミズキさんの方だ。
少し寂しいけれど、それでもミサが、ミズキさんともっと遊びたい、ミズキさんの話が聞きたい、と思うのは当然なのかもしれない。
そう自分の中でなんとか気持ちに折り合いをつけると、私もトイレを出て、ミズキさんとママと笑顔でお喋りをするミサの元へと戻る。
私たちの前には、シャンパングラスと、何故かドンペリの白とモエシャンのロゼ、ヴーヴのロゼの三つのシャンパンが、少し大きめの氷がザカザカ山盛りに入っているワインクーラーに突っ込んであった。
いくら、キャバクラやホストクラブよりも値段が安いからと言って、オーダーし過ぎではないだろうか。
さっき注意したのに、ミサ…全然聞いてくれる気なんてないんだな…。
ママはとっても嬉しそうに、目にわかるくらい大袈裟にはしゃいで見せてくれる。
店が暇だったから閉めようと思っていたけれど、ミーちゃんたちが来てくれるなら開けておいて良かったわ!
今日の神客認定してあげるから、神らしく福音をもたらしなさい、なんて言って、ミサはそれに、福音ってなんですか、と本気で訊ねている。
「もちろんママも飲んでいいわ。皆でお祝いしたいのよ。ミサさん、ちゃんと楽しいことは沢山あるのだから、もっと外へ出て、他にも素敵なものを探してみてほしいわ。そうするとね、好きな場所や、居心地の良いところを、自分で見つけることが出来るようになるのよ」
「ありがとおー!!ミズキさん!!私、…しあわせになる。きょう、しあわせになる!」
「…ミサ、……良かった。本当に、そう、思えたんだね?」
「何なに~?今日って何かお祝いだったのね~!!このコのお祝いごと~?」
「ミサでえす!きょうしあわせになるんです!!ママも、のんでね、さいごまで、みんないっしょに!!」
激しい感情の振れ幅が、良い方向にグンっと動いたのかもしれない。
尊敬してたけれど、嫌われてると思い込んでいたミサさんには優しくしてもらえて。
酒までおごってもらって、知らない場所に飲みに来ることも出来て。
テンションが上がって、自分で決断することが出来るようになったのかもしれない。
そうだよね、あるよ、そう言うことって。
なんか気分上がってて、即決しちゃえ!って気分になれて、嫌だったけど捨てられなかったものを、手放せることってある。
嫌だったけど、捨てられなかったもの?
ミサは、別にユウくんのことを、嫌だなんて言ってなかった。
じゃあ、違うか、私とミサは違う人間なのだから、私の例を出しても意味がないな。
うん。
それじゃあ、今のミサはきっと、本当に幸せになろうとしているのかもしれない。
ミサの幸せ。
ミサの幸せって、なんだっけ?
…ううん、そうじゃないんだ。
きっと、気が変わったのだ。
きっと、考え方が変わったのだ。
きっと、何かしら彼女の中で変化があったのだ。
ミサの幸せは、そう、今変わったんだ。
幸せ、それはユウくんと結婚することではなくなったのだ。
だから、お祝いをして、楽しませて、その勢いのまま、別れを告げられるのであれば、それが一番良いことなのだ。
そうだよね?
誰か、そうだよって、言って。
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