いっぱいあげる

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ミズキさんも酔っているようで、楽しそうに微笑みながらシャンパンを飲んでいた。 時々ミサの様子に気を配って、声をかけ、急に落ち込みだしたりしないように注意深く観察しているようだった。 ミサの笑い声が途切れると、絶妙なタイミングで次の面白そうな話題を持ちかける。 私もシャンパンを飲みながらそんな対応に感服しつつ、拍手したり話に乗っかったり、ママに弄られたりしていた。 いいのだ、私は弄られるのが好きなのだから。 構われると言うのは嬉しいことだし、それにこの人は良い人だった。 シャンパン三本を飲み尽くすと、ミサのお祝いの分だと言って一本自腹で追加してくれた。 時々、ミサとミズキさんが二人きりで話をしている時なんかに、私はママに相談をした。 二人には聞こえるわけないだろうと、そう思っていたし、やっぱり酔っていたのもある。 「どう思いますか?やっぱバカですかね?あっさり落ちて、必死こいて売り上げ伸ばす為に馬車馬みたいに働いて、アホですかね?」 「うーん、でも別にNo1にならなくてもいい、って言ってくれたんでしょう~?一緒に出掛けたりしてるみたいだし~風紀なんじゃないの~?」 「え!!そっちのが困ります!!罰金とクビ確定ですよ!!」 「うたこ~…結局それって、あんたの方が、仕事が大事なだけなんじゃないの~?」 私は、呆れたような表情でママがため息交じりに言ったその言葉に、雷に打たれたような衝撃を受ける。 思わず、傾けていたシャンパングラスの中身を唇の端から零してしまって、片手の甲で拭う。 そうだ、そうかもしれない。 本当に心から大切にされていて、恋人として大切にされていたのだとしたら、それは困る。 …と、私は言っている? めちゃくちゃ働かせてくれ、無茶言ってくれ、好きにさせてでも愛とか返さないでくれ、私のことをコマとして扱い続けてくれ。 生きる為に、頑張り続ける為に、短い間だけでも自分に価値を感じさせて欲しいから。 私に仕事をさせてくれる、褒めてくれる、幸せだからそれ以外は要らない。 責任とか人生とか重たいものは怖いから、いつか死ぬ時に思いとどまらせないで欲しいから。 そう言うこと…? でも、すっごく、すっごく、すっごく好きだし、死ぬほど好きだし、え、どう言うこと? 「あああああー!!自分が…わからない…ママ、…私も、シャンパン入れます…でもモエにしときます…ドレス買っちゃったんで…」 「あらあ~!ありがと~!!そうよお、良くわかんない時は保留したっていいのよ~!一緒にいる間、幸せなんでしょう~?いいじゃない、幸せな時間をさ~、楽しめば~!」 「…そうですね!!幸せでいよっと!!ミサもなんか、今日幸せになるって決めたみたいだし!!お祝いですしね!!」 ご機嫌な様子でママが、モエシャンを取りに行く。 ついでに、って感じで、備え付けの製氷機から、ザラーっと直接取り出して来たアイスの山を、アイススコップごと大き目のワインクーラーの中に足す。 その中に、ザカッ、とモエシャンを突っ込むと、既に中身がからっぽになりかけているシャンパンのボトル数本を抜いて、私たちの前に一つずつ並べてくれた。 この雑さ、嫌いじゃない、めちゃくちゃ好感が持てる。 昔スナックで働いていた時は、いつ誰が、どの客が見ているかわからないのだから、なんでも丁寧に、上品にやりなさい、とキツく教えられた。 けれど私は本来こちら側の性格をしているし、見ていてとても気持ちがいい。 「ねえ、うたこさん。ミサさんがカラオケをしたいと言うのだけれど、貴女も歌えるかしら?私は、歌はあまり得意ではないのよ。だから、聴いていることにしたいのだけれど」 「もちろんいいですよ!私もちっとも上手くないですけど、歌うの好きなんで!」 「ママ、カラオケお願いしてもいいかしら?奥のお客様たちに、迷惑にならないようであれば、でいいわ」 「平気よ~!あら、丁度お帰りになられるところみたいよ~。上着、着ているわ。挨拶してくるわね~」 本当だ、奥のボックス席にいた客の内の二組は、どうやら知り合い同士で、六人組の団体客だったらしい。 上着を着て、丸椅子に座っていたスタッフも立ち上がり、帰る準備を手伝いはじめたようだった。 もう、結構な時間なのだろうか、そう言えば全然気にしていなかった。 けれど、これからミサの希望でカラオケ大会がはじまるようだし、店も貸し切り状態になるのだから、ここからが本番と言った感じだろうか。 …そうだ、確かマネージャーが… 後でラインする、って…言ってくれたじゃないか。 何時なのか確認しよう、そんで、ライン返して…でもモエシャン入れちゃったし、すぐには帰れそうにもないな。 「ねえねえ、うたちゃん!!なんか、またむかーしのやつ、うたって!!」 「え?私?…一番目は、緊張するんだよなあ。もうちょっと、飲んでからでいい?ママが戻って来たら、ほら、スタッフさんも二人いるし!モエシャン入れたから皆で飲もう!」 「うたこさんは、昔の歌が好きなのね。どんな歌を、良く歌うのかしら」 「んっと、昔スナックで働いてたんですよ。だから知ってるだけで、適当にウケが良かったやつとか、昔に流行ったやつとかです!」 ワイワイとそれなりに三人で楽しく会話をしている、その後ろをボックス席にいた客たちが通って行く。 彼や、彼女たちは、ママとスタッフと少し立ち話をして、笑い声を上げたり、からかい合ったりなんかして、再び訪れる約束をし、挨拶を交わす。 そうして、小さなドアを出て行く、そんな客たちを見つめる。 こう言った店の常連さんになるのも面白そうで、私は自分の中で「もしも」の世界をほんの少しの間だけ思い描く。 それでも私にはまだ、その「もしも」はやって来ないと思う。 「お待たせ~!このコたちも、ご一緒していいかしら~?カラオケでしょ!このコ、歌上手いわよ~!バンドやってんだから~」 …ママの言葉に、私たちは。 私と、ミズキさんと、ミサの三人の間の空気と表情だけが凍り付く。 いけない、ミサには今、ユウくんのことを思い出させるような、そんな言葉は一個だって聞かせてはいけない。 私は慌てて、なんとか固まってしまった空間をぶち壊す為に、大声でバカなことを言う。 大丈夫だ、やったことあるし、ちゃんとその時は成功したし、ミサの気さえ逸らせたならそれでいい。 「ママ!!モエシャン後、三本入れてもいいですか!?ねえ!ミサ!私と、このコたち皆で一気飲み勝負しない?勝った人のお願いを、負けた人たちがきくんだよ!」 「あ、え?…う、ん、…ん?シャンパンでやるの?じかのみで?」 「もっちろん!やったろうじゃん!キャバ嬢なめんなっつーの!意地見せたーい!」 「あら~!いいの~!?こっちだって強いわよ~!!負けんじゃないわよ、あんたたち~!!」 会計は一体幾らになってしまうのだろう、私は今日幾ら財布に入れて来たっけ。 いや、多分大丈夫なハズだ、いつでも何かあったらすぐにタクシーに乗れるようにって考えてる。 いちいちATMへ行くのが面倒で何日分も、とかなり余裕を持てるくらいには一度におろす。 ママはすぐにモエシャンを人数分用意すると、一本は自腹で、自分も参加すると言った。 隣でミズキさんは胸を撫で下ろすように、あからさまにホッとして上がった肩を下げた。 それぞれ飲み口を空けられたジャンパンを、ミズキさん以外のメンバーが手にして、それぞれに、勝ったら何をお願いするか、なんて話して盛り上がる。 すると、ミサが座っていた席の上へとフラつきながら、サンダルを履いたまま立ち上がった。 危ないからやめなさい、と宥めるミズキさんと、爆笑してくれるママと、手を叩いて囃し立てるスタッフの二人。 ミサは声高らかに、シャンパンを持っていない左腕を天井に向かって伸ばすと、呂律の回っていない舌で宣言する。 「私がかったらねえ!!みんな!!私のこと、ひとりずつ、あいしてるっていって!!」 「あらあ~!ミサってば!そんなことでいいの~!?勝たなくたって、言ってあげるわよお~!」 「私だって、全然言えるよ!すぐ言えるよ?いいの?そんなので?」 「…ミサさん、せめて、靴を脱ぎなさい。…私も、お願いじゃなくたって、言ってあげるわ」 「ミサさんいいんですか!?もっとでっかいことじゃなくって!」 「どうせだったら、飲み代チャラにしろとか言えばいいじゃないっすか」 そんな、そんなこと、お願いするの、ミサ。 そんなに、その言葉が欲しいの。 沢山、沢山、搔き集めたいの。 簡単で、単純な、ただの五個の文字を繋げただけのそれを。 今だけでも、嘘でも、冗談でも、ただの賭けでも、なんでもいいから、誰でもいいから、欲しいの。 「いいのお~!!でもね!!ぜったいにね!!こころから、ほんしんで、いってね」 満面の笑みで、でっかい声で、私よりもバカみたいなこと言って、無垢な顔してて、見てる方は、なんかもう、泣きそうだよ。 唯一、参加者ではないミズキさんが、珍しく声を張り上げて、「スタート!」と意味不明な戦いの火ぶたを切る。 皆、シャンパンのボトルの口の部分を咥えると一気に斜め上へと向かって持ち上げる。 私は一度やったことがあったので、自分は顔を上げ過ぎない程度に喉に真っ直ぐに液体が流れ込むようにして、ボトルの底を持つと、下唇にだけガラスの部分をあてる。 わざわざ、唇全体でボトルの口の部分を含まなくても良いのだ、これには、上手いやり方がある。 私が勝つだろうとわかっていた。 願いも決まっていた。 けれど、一つ付け足すことにする。 今、この店に私たちがいる間だけは、ミサのことをどうかお姫様扱いして。 チヤホヤして褒めて自己肯定感を上げてやって、そして、うん、愛してるって、いっぱい言ってあげて下さい。 いっぱい、いっぱい、嘘でも、いいから。
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