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がらんどう
私は、私の知っていることだけ、ミサから聞いていた話だけをママへと伝えた。
勝手な憶測や、こうなのではないか、と予想しただけの妄想は省いた。
もしかしたら、ユウくんのことを庇うような言葉を、ミサが途中で挟んで来るかと思っていたが、そんなことはなかった。
彼女は何も言わず、テキーラを頼んで飲んでいた。
一応、それはやめておけ、とはじめは止めたのだが、もちろん従ってはくれなかった。
耳を塞ぐかわりに、大きな声で騒ぎ立てては、聞き上手らしいガタイの良い方のスタッフの男性に、一方的にベラベラと話をし続けている。
ー まるで、何も聞きたくない、思い出したくない、と言う態度を取り続けている。
なんとなく、リスカをして血まみれな状態で私を呼び出した、と言うところだけは伏せておいた。
ミサが元々病んでいる類の人種で、それだけならまだしも、突然危険なことを仕出かしそうだから、迷惑だ、と勘づかれ、…いや、思われてしまうのは困る。
だって、出て行って欲しいとお願いされてしまったら、この店を紹介してくれたミズキさんの心象が悪くなる。
私とミサが出禁になるだけならばまだしも、ミズキさんには一切関係がないことなのだから。
彼女は、好意でこのような場を設けてくれたのだ。
そんな優しい人のことまで、誤解させてしまうことは避けたかった。
ミサのスマホは、一旦切れたり、しばらくしたらまた鳴りはじめたりを繰り返している。
「…そうねえ~…。相手の奥さん?に勝てない…それでも一番になりたい、って言う気持ちだけは、わかるわね~。でも、なれないわよ、私たちはね~」
「すみません。こんな話…でも、ミサはもう、これ以上は無理そうで…」
「ミサがどうしたいかって、一番になりたいってしか言わないわけでしょう~?結婚したい、それだけしか選択肢はないのかしら~?」
「私はあ!いまは、そのはなしはしたくないっ!!」
「でも、ミサさん、このままずっとここにいるわけにはいかないのよ。貴女は帰らなければならないし、私たちも永遠に付き合うことは出来ないわ。ごめんなさいね、それが現状なのよ」
「…じゃあ!!けっこんしてって!!いってみる!!」
唐突だし、自暴自棄でしかないミサは、そう叫んでテキーラを一気飲みする。
そんなミサの言葉に、ユウくんはもちろん「いいよ」と言うだろう。
だって金づるだし、言うことは聞くし、尽くしまくってくれるし、他の女と遊んでも文句一つ言わないし。
奥さんの次に使える女で、自分が既婚者であると言うことはバレていないと思っているのだから。
でも、ミサの問いかけにYESと答えたその後で、いずれ彼は何も告げずに突然姿を消すのだろう。
「バンドやってんだから、あんた、何かいい案ないの~?内情詳しいんじゃないの~?」
「俺っすか。いや、俺、全くやんないんでそういうの。多分ジャンル全然違うっぽいんで、そっち方面の話わかんないっすね。ただ、追い出した方がいいっすよ、絶対。離れて暮らせば、その内忘れんじゃないっすか?」
「…貴方が言っていることは正しいけれど、…まだ、今のミサさんには通じないと思うわ」
「奪っちゃえ~!!って言いたいわねえ~!でもね、金を女に頼って生きてくのが当然になってるようなヤツなのよね~?主婦やってくれるわけでもないの~?…もしそうなら、奪えても幸せにはならないと思うわよ~」
「結婚出来ないなら死ぬ、もしくは彼氏をそのうち刺すんじゃないかなあ?って思います。私はですけど…」
そうならないようにしたい、だったら別れるしかないし、ミサの気持ちが離れてしまった結果そう言うことになる、と言うのが一番良い。
しかし、まさか既婚者だとわかっても好きで、奥さんには勝てないとわかっても結婚したい、と思わせるとは。
そのユウくんとやらは何者で、どのようなやり方でミサの心をそこまで強く掴んでいるのだろう。
どこか素晴らしい魅力があるのだろうか、そんなにも優しくしてくれるのだろうか、一体どんな風にして彼女をここまで夢中にしたのだろう。
「ミサは頑固なのね~。諦めなくちゃならないことって沢山あるわよ~!離れた方が楽な気持ちになれるかもしれないわよ~?自分から苦しんでても、何も楽しくないわよ~?」
「…たのしく、ないのは、いや…!!…私、そういえばさいきん…ずっとたのしく、なかったかも…」
「そうでしょ?楽しい方がいいよ!ミサ、楽しく生きようよ、どうせ生きてるならさ!だって、今日いっぱい笑ったでしょ?大丈夫だよ、ユウくんがいなくなっても、楽しいこといっぱいあるって!」
私がそれを言うのか、と思わないでもないが、ママの何気ない一言がミサに強く響いたようだったので、グイグイ押してみる。
しばらく、ミサはベロベロに酔っぱらっているなりに、一生懸命何か考えていたようだった。
そして、閉じていた瞼を開くと、席を立って私のところまでやって来る。
こちらからは何も、察することの出来ない、そんな表情をしている。
そうだ、彼女は今めちゃくちゃかもしれないし、いつもめちゃくちゃではあるかもしれないが、それでも店でNo上位をキープすることの出来るキャバ嬢なのだ。
ミサは、私へと手のひらを差し出し、口を開く。
「…うたちゃん、すまほ、かえして?…私、たのしくないの、いやだから。ユウくんに、いいたいこと、できた」
「…何て言うか、教えてもらってもいいかな?」
「ううん。いえない。でも、私はきょう、しあわせになるって、きめてるから」
「わかった…。ミズキさん、大丈夫かな。スマホ、返しても。ユウくんと話をさせても…」
「うたこさん、ミサさんが返してと言ったら、ちゃんと返すと貴女は言っていたわ。それに、ミサさんが彼氏に伝える言葉を、私たちが勝手に決めるのはおかしなことよ」
私はバックからミサのスマホを取り出すと、彼女に渡して、そのまま手のひらごと包み込んだ。
温もりを感じられるその一瞬だけ、強く強く心から祈る。
どうかミサがこれ以上苦しまない結果になりますように、と。
また一緒に楽しく過ごそうよ、ミズキさんのお陰で色んな店を知れたし、遊びにだって付き合うよ、だって私はミサのことが大好きなんだから。
「いってくる!!うたちゃん、ミズキさん、みんな、ありがと!!」
「…いってらっしゃい。ちゃんと戻って来てね、ミサ」
「待っているわ。ミサさん、皆、ここにいるわ。何を言われても帰って来ると約束をして頂戴。…疑うわけではないのだけれど、バックをここに置いて行ってくれないかしら?」
「……わかりました…。もどります、やくそく、します!」
本当は、店内でユウくんと話をして欲しかった。
見守っていたかった。
もしくは、ついて行きたかった。
だって、ユウくんとの会話の内容によっては、このままミサが行方をくらましたり、車道に飛び出したり、ビルから飛び降りたり、とにかく衝動的に何かやらかしてしまわないか、それが心配だったのだ。
大丈夫、大丈夫、ミサは自分のバックをカウンターの上に残して行った。
それに、しっかり、約束します、って言ったんだから、私は待ってることしか出来ないんだ。
大丈夫だよね、どっか行ったり、しないでね。
入り口のドアが閉まる音が、やたらと大きく聞こえる。
電話なんかすぐに終わるだろうと考えていたが、ミサはすぐには戻っては来なかった。
だいたい、心配の電話だったならば、今いる場所と誰といるかを伝え、帰宅する予定の時間を伝えるくらいで済むだろう。
もし、ユウくんをタクシーで迎えに行くと言う約束を反故にしたことを怒られているのだったら、もうそんなことはしたくない、と伝えれば良い。
ミサにそれが…出来るもの、ならば。
言いなりではなくても自分のことを愛しているかどうかを、確認することが出来れば良いと思う。
ユウくんに、無理だと言われたならば、ミサだって目がさめるかもしれない。
もしくは、謝り倒して、縋り付いてしまっているかのどちらか、だ。
「…でも、おかしいですよね?ミサは、お腹が痛くて店を休んでいるフリをしていたと言っていました。なのに、タクシーで迎えに来い、なんて言いますか?」
「おかしいわ。気遣うのが当然だと思うのだけれど。…ミサさん、うたこさんが彼との状況をママたちに話している間も、蚊帳の外に自分から身をおいたわ。…一番誰かに相談をしたかったはずの彼女が、何故…」
「あのね~、ミサってコ、まだ何か隠してなあい~?人の人生だから、って思って言わなかったんだけど~。…でもね~、話しの内容だけにしちゃあ、やることもさっきの様子も、辻褄が合わないところばかりよ~」
好きで好きでたまらないから、既婚者であることを知っても、敵が、到底敵いそうもない相手だとしても、だから…
でも、違うとしたら?
店の客と同じで、貢いだ分、報われたいと考えてしまっている、…とは考えにくい。
そう言うコじゃない、ミサは、多分。
他には…他に…弱みを握られてるとか…うーん、どうだろう、そんな素振りはなかったけれど…。
「…ミサさんが、彼から離れることが出来ない理由…。彼女、電話に出たくなさそうだったわ、はじめは」
「さっきだって、怯えた顔しました。…好きな人から電話が来てるのに。そりゃ、約束破ったから怒られると思って、怖かっただけかもしれないですけど…」
「様子、見てこようかしら~?戻って来なくても困るし~」
「だったら私が行きます。それに…ユウくん、前と態度が変わってる気がする。付き合いだした頃は、すっごくすっごく優しいって、ミサは、ずっと幸せそうにしてた」
私が立ち上がろうとすると、ドン!と、店のドアに何かがぶつかるような音がした。
ミサが倒れたのだろうか、と考えて、すぐに出口まで行くと、ドアをそおっとゆっくり、少しずつ開けた。
誰もいない、と思って視線を彷徨わせると、下だった。
黒くて小さくて形の良い頭のてっぺんがそこにあり、長い髪は肩と膝を覆っている。
それが、無表情過ぎて、どんな感情を抱いているのかが全く読み取れない、そんな今の彼女の姿だと気づく。
重たく冷たい鉄のドアに背中を預けてしゃがみこみ、スマホを両手で自分の目線まで持ち上げ、液晶画面をただジッと眺めている。
その液晶画面に映っていたのはそう言うミサの顔で、思わず声をかけるのを躊躇わせたものは、彼女の瞳だった。
怒りも、悲しみも、喜びも、何も一感じさせないがらんどう。
こちらの方が痛みを感じてしまうような、宿すもののない、がらんどうが、二つ。
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