482人が本棚に入れています
本棚に追加
/609ページ
よくあること
私は、移動する為に座っている椅子から立ち上がる。
ミサのバックを強い力で抱え込んだまま、彼女に奪い取られないように細心の注意を払って。
カウンタ―の真ん中辺りまで歩いて行って、錯乱して泣いているミサはもう、そこを動かないとは思うけれど。
それでもかなり気を配りながら、ピンクのバックをそっと開ける。
― 思った通りだった。
中に入っていたのは、大量の精神安定剤や睡眠導入剤などが、何か月分貯めたのかわからないほど、パンパンに詰め込まれた白いビニール袋。
そして、さらにその下、バックの底でジャラジャラと音を立てているのは、貝印の剃刀だ。
それらが、何十本と散らばっている。
静かに、その全てを取り出すと、カウンターのテーブルの上に並べて、ミズキさんへと見せる。
「…そう、なのね…彼女は今日、最初から…そのつもりで…」
「ミサは、…いつでも、死のうとするんです…」
一歩間違えたら、死ぬんです。
メンヘラのファッションリスカ、なんて言われているけれど。
それでも、それが本気である場合だってあるんです。
ミサは、死のうとしてしまう方の人間なんです。
希望が、救いが、光が、何かが、失われたと感じたら、消失感に、焦燥感に堪えられなくなったら、衝動的にそう体が反応するんです。
そして、私もなんです、ミズキさん。
言葉は時に、人を殺すんです。
ほんの少しのタイミングのズレで、良く効く薬になったり、最強の武器になったりするんです。
メンヘラってやつは、厄介で。
メンタルが最弱で、普通の人が自分で作り出せるはずの防御壁を、生み出すことが出来ないんです。
私たちの感情はいつでもめちゃくちゃで、まともではなくて、まともな人から見たら理解不能なきっかけ一つで、何もかも、心も命も真っ黒に焦げて突然死を選ぶんです。
それを、ミズキさんはちゃんと知っていたはずだった。
けれど、今のミサにならば、正しい言葉であったならば、告げても良さそうだと見誤ってしまった。
「…本当に悪かったわ…。私も、知らないことばかりなのよ。無力で、間違えるわ…」
「全然悪くないです、当たり前なんです!こんなの、フツーだったら、わかんないんです!!」
「ミサさん、貴女を助けたかったわ。本当よ。傷つけたくなんて、なかったわ…」
「うあああああん!!もう、ど、しよ…っ!ごめ、…ごめんなさ…っ…ああああん!!」
「ミサさん、聞いて、お願いよ。私は、正しい人間ではないわ。私の言葉を信じたりしなくていいのよ、貴女のことは、貴女が決めて良いと言うことを知って欲しいわ。誰の言う言葉よりも、貴女は貴女の声を聞くべきだわ。貴女は自由よ、知って、そのことを…」
私のバカ、バカ、バカ!!
ミズキさんはちゃんと言っていたじゃないか、私に、自分は正しい人間じゃないって、正しいことも言えるけど、そうじゃないって!
それはつまり、私たちと同じで、誰とだって同じで、人間なんだから、間違ったりもするって言うことじゃん!
私はどうして、ミサさんが平気でやってのけているだなんて思っていたの!!
必死で、どうにか、一生懸命取り繕って、ミサの為に「正しい人」を演じ続けていることに、気づいていたのに!!
それなのに、ミズキさんの方がもう、限界だったと言うことに、なんで気づいてあげられなかったんだ!!
もっと早く色んなことに気がついて、ミズキさんのことをフォローするべきだった!!
ミサのことを守る為に、何か新しい次の策を考えるべきだった!!
ミサが暴力を受けていると言うことに、その可能性があると言うことに!!
もっと、早く気づくべきだった!!
少しかもしれないけれど、ヒントは、幾つかちゃんとあったじゃないか!!
私はなんて頭が悪いんだ!!
察しが悪くて、視野が狭くて、自分の予想外のことにまできちんと手を伸ばすことが出来ていれば…!!
もっと、もっと、観察眼が鋭かったら、ううん、普通の人だったら、ちゃんと気づいたかもしれないのに!!
「ミサ、ミサっ!!大丈夫、大丈夫だよ、私、見捨てたりしない!!ミズキさんも、ここにいてくれる!!話を、しよう?ミズキさんの話を聞いて、ママの話を聞いて、みんなの声、自分の声、ちゃんと聞いて!!」
「……うっ……あ、…私……」
「迷うのは当たり前だよ。わけわかんないよね。いみわかんないよね。どうしようって思うよね。だから、いいんだよ。人に聞いてもらったって、話してみたって、でも、言うことを聞いてその通りにするのが正解、なんてのはなくって、…自分で選ばなくちゃ、…ならなかったんだよ、私たち…きっと」
店ではない、給料が発生しない、そんな場所では私たちはすぐに脆い泡のようになってしまう。
悔しさに。
哀しさに。
虚しさに。
耐え難い辛さに。
私たちが、踏み躙られた時にすること。
傷つけられた時にすること。
言葉と言う武器で殺された時にすること。
それは、血の滲む傷口を、自分の手のひらで強く握って笑い、見せないようにと必死で隠すことではない。
呻き声は、喉を裂いて表へと出て、そして行動へと移してしまう。
ミサは、助からないのだろうか、どうしてこんな風になってしまうのだろうか。
どうしてこんなんなの、私たち、なんで病んでんの、メンヘラになんかなりたくなかったよ!!
普通が良かった、フツーになりたかった、フツーが羨ましい、フツーに生きてみたい!!
なのに、どうしてなの!!
何のせいなの、誰が悪いの、生まれて来て良かった?死んだら、もう苦しくない?
喜びも幸せも楽しさも感動もトキメキも、素晴らしい自分が得ることが出来るであろう全て、それらも失くしてしまうけれど。
でも、痛いのも苦しいのも虚しいのも哀しいのも辛いのもしんどいのも、生きてる限り続く責め苦だって、全部全部なくなるよ?
だったら、別に死んだ方がいいんじゃないの?
…誰かのせいじゃない、自分の考え方次第で、人は、きっと変われる。
そんなセリフを、私なんかが言ってあげても、ミサにはちっとも届かないってわかってた。
お願い誰か助けて、ミサを助けて。
ミズキさんは何も悪くない、私の頭が悪いせいで、彼女に責任を負わせてしまっただけ。
悪いのは私で、彼女は精一杯やってくれて、手伝ってくれて、ただそれだけだったのに。
「まあまあ~、落ち着きなさいよ~!大変ねえ、若いのって~」
「…うっ、…ううっ…、泣いたり、して…うっ、…ごめん、な…さい…っ…」
「ミサは姫なんだから~!笑って、楽しそうにしてればいいのよ~!!」
カウンタ―に並べてあったシャンパンのボトルや、飾ってあった写真立てが倒れてしまっていたので、それをママは片付けはじめる。
その手を止めることなく、一緒に表情と口も動かして、こんなことはどうでも良くて、ちっぽけなことだとでも言うように、軽やかにテキパキとカウンターの上を元通りに直して行く。
「…ママ、メンヘラってどうやったら幸せになれるんですかね…」
「あははははは!!そんなの、メンヘラじゃなくたってわかんないわよ~!!」
「いい?ミサも、うたこも、それからミーちゃんも!!知らなかったの~?この世には正しい人なんていないの~!!でも、正しくあろうと努力してる人は、沢山いるわね~」
「…わかっているわ。私では、役不足だと知っていたのよ。…でも、放ってはおけなくて…難しいわね。正しさだけでは人を救うことは出来ない、そのことも、…知っていたのに」
「ミサはさ~、正しい人に答えを求めてたようだけど…それは、正しい選択をしたかった、ってことよね?当ってる~?」
ミサは何も答えず、涙を流しながらも、黙って耳を傾けているように見えた。
もう心が壊れてしまって、俯くことも、声を出すことも、何も出来なかっただけかもしれないけれど。
ママは全然気にしていない、と言った感じで、笑う。
「他の店では気をつけなさいよ~?ま、今日はミサは姫だしね~!特別よ~!そうねえ~、これから私は、真面目に話すんだけど~、傷つけるわよ、いい~?」
そんな前置きをするから、思わず身構えたのに。
ママは、無理に親身になってくれたり、深刻になり過ぎたりせず、フラットであっさりしていて、もうそれでいいじゃんって、思わせてくれるような。
そんな、思いっきりアホっぽいことから、言ってくれる。
なんでもいいじゃん。
どうだっていいじゃん。
意味のないことなんか、いっぱいしたらいいし。
泣くのもわめくのもリスカも病むのも笑うのも、なんでもいいし。
ただ、それぞれの感情によっては、場を弁えるように、って。
それからね。
あんたたち、今、生きてるでしょう?って。
だって、どんな酷いことがあったって、今日まで生きてたでしょう?
今だって、生きてるでしょう?
なんで、このくらいのことで死ぬだなんて、思ったの?
バカね、って。
最初のコメントを投稿しよう!