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生きる理由
私は、どう言うわけだか西武新宿線の、ミサの住むマンションの最寄り駅で中村さんのことを待っている。
タクシーで帰ると言うミズキさんのことを見送り、二人で以前のようになんてことない話題で笑い合い、はしゃいで西武新宿駅まで歩いて電車に乗った。
酔っぱらっていたので、そんなに混みあってはいなかったが、他の乗車客からしたら迷惑だったかもしれない。
けれど、なんとなく静かに黙って大人しくしていることが出来なかった。
自分も新宿からタクシーに乗って中村さんの部屋へ行く、なんて言うわけにはいかなかったし、ミサのことが心配でもあった。
だから、私は自分の部屋へ帰るフリをして、彼女と共に途中まで電車を使って一緒に帰ることにしたのだ。
はじめは自分の部屋のある最寄り駅まで行って、そこからタクシーで中村さんのところへ帰ろうと、そう計画を立てていた。
ところが、二丁目の店を出る前に、中村さんに『今から帰ります』とラインをしたら『ミサの住んでるとこの駅にいて』と、すぐに返事が来たのだ。
迎えに来るつもりなのだろうか?と思い、断ったのだが、例のカナちゃんの働いている宮崎さんの店にいるのだと言う。
『すぐに着くから』とそれだけ残して、中村さんに送るラインには既読がつかなくなってしまった。
私はミサに、私も降りてもいい、と問う。
当たり前だが、彼女は、なんで?と疑問を口にする。
そうだ、なんでだ?
…何か起こった時の為だ、そりゃあそうだろう。
中村さん、さっき二丁目から電話かけた時は、ミサのこと一切心配してなかったな。
話題にも上がらなかったし。
それどころか、私に早く帰って来いなんて言った。
色々、おかしい、キャラブレも、ミサを心配したり、しなくなったり、だって彼はミサの担当だと言うのに。
何日も店を休んでしまっている、No上位をキープし続けていた自分の担当するキャストであると言うのに。
相談に乗って気分を上げてあげたり、店になんとか出勤させようとしたり、普通ならばそうするだろうと思うのだが。
だって以前はそうじゃなかったっけ、私は確か、そんな二人の関係が羨ましくて、No上位に入りたい、って…いつの間にか、中村さんのことを好きになっていたんじゃなかったっけ。
売り上げの貢献度の高い担当のキャストが、調子を崩して休むと言っているのだから、本来ならばメンタルのケアをしてあげたりしなければならないのは当然ではないだろうか。
休んでいる間に指名客へと、ちゃんと営業の連絡を取っているのか、気にはならないのだろうか。
私にもっと、ミサの様子を詳しく聞いて来たっておかしくないのに、彼は何も聞いてこない。
何か、変わってしまったような気がするし、多分そうなのだろうと思う。
けれど、どうしてもその、何かってやつが、一体何なのか私にはわからない。
そうこうしている間に、ミサの住むマンションのある最寄り駅に電車が停車して、彼女は降りて行く。
すぐに良い言葉が浮かばず、何も話すことが出来なかったので、後半が沈黙になってしまったのは少々痛かったが、私も彼女の後をついて行く。
ドアが閉まる音と、走り出す電車の黄色を見送って、発する声が届くようになるまで待つ。
私は、もう、今のミサには必要のなくなったであろう言葉を告げる。
「いざとなったら、埋めるって言ったでしょ。…近くにいるからね。連絡して」
「…うたちゃん。ありがとう。大丈夫だよ。私、今日幸せになるんだから」
「うん、私だって、それを近くで応援したいの」
「たくさん笑ってやるんだ。…お金なんかいいの。怪我なんかいいの。別にどれも、慣れてるし、大したことじゃない。でも…もう飽きちゃった。次は、本物が欲しいな」
そんなことを、別に気にしてない、よくあること、慣れっこで当たり前だった、みたいに言うミサ。
それがもうすぐ、全部過去になるのかもしれない、そんな気がする。
自分の自己評価が低過ぎると、他の人は全員どんな人でも凄い人で、逆らったり出来るわけがなくて、言いなりになることが自然になってしまったりする場合がある。
自分よりもまともで、すごい人なんだから、それが普通なのだと思い込んでしまう。
飽きた、って言葉は、ユウくんの方が自分よりも優位な人間で、尽くす価値のある彼氏ではなかった、と気づいたと言うことだ。
次は本物、うん、そうなるよ、きっと。
次がダメでも、今までとは違う結果を、ミサには選べる、絶対にだ。
私を一人ホームに残して、いつもみたいに甘えて腕を組んで来ることも、ハグをすることもなく、背を向けると手を振って行ってしまうミサに、私も手を振った。
今までのミサに、手を振って、お別れをしているような気分だった。
何かの誤魔化しの為に言ったんじゃないよ、本心からの言葉だったよ。
ただそれはもう、彼女にとっては必要のなくなった、メンヘラっぽい励ましであって、今やチープでバカバカしい、雑でしかない終わらせ方の一つへと変わってしまったのだ。
そうなのだ、私からの言葉は彼女にとってはもう、実際には何の役にも立たないもので、支えにするべきものではなくなった。
大好きだったよ、今日までのミサ。
出来る限り何でもしてあげたかったよ、でも、さようならなんだ。
しばらくは、ホームのベンチに座ってスマホで指名客やフリー客に営業をかけていた。
今日だって、出来る限り客を店に呼ばなければならないのが現実だし、私の方だっていつまでも感傷に浸っているわけにはいかない。
おはよう、お仕事頑張って、無理はしないで、いつでも連絡して、気にかけているから、想っているから、返事をもらえると嬉しい、声が聞きたい、あのお話の続きがしたいね。
そんな言葉を、沢山沢山、指先がもう、自動的に打つ、だって覚えてる。
多分次に会うミサは、自分のことはなるべく私に頼ることのないように振る舞う、そんな人になっているのではないだろうか。
また一緒に遊ぶし、仲だって良いし、普通なんだろうけど、それ以上の何かを曝け出すことはなくなるのであろう。
ま、わからないけれど。
メンヘラは気まぐれだし、感情の波も激しいし、でもそんなとこも好きだよ。
そろそろ、いいかな。
そんなわけで、私は改札を出て、ミサらしき女性の姿がもうどこにもないのを確認すると、駅の出口のところ、その端っこの壁に寄りかかる。
そうして、中村さんからの連絡、もしくは見つけてもらえるのを待つ。
みんな変わって行くと言うのに、私と来たらこの様で、何にも変わっちゃいなくって。
ううん、どうだろう、少しだけ、なんとなくだけど、もしかしたらって。
…でもそれは自信過剰過ぎるし、やっぱあり得ないって言うか、ほらこの考え方だとか。
おっかしいなあ、なんて思わなかったじゃん。
今までだったら、ただ喜んで尻尾振ってただけだったじゃん。
早く来てよ、謎を解明して、スッキリしたいよ。
だけど、聞いてしまったら私はまんまと更に深みにハマって、どんどん抜け出せなくなるだけなのだろうか。
それとも、もういらない、バレたならポイ、なんて、そんな風にゴミ箱行きの日が早々にやって来てしまうのだろうか。
指標がどう変わって、どんな操縦方法でやっていて、今はどちらに舵を取っているのか、イチイチ説明してもらうコマがどこにいると言うのだろう。
いや、ここにいるのだが、めちゃくちゃ存在しているのだが。
上手く甘えることが出来なくなってしまうのは嫌だし、心地良い時間が消えてしまうのは怖い。
私は、色管理を逆に利用して、働きやすくしてもらえるよう頭を働かせる、なんて上等なことが出来るようなキャストでもないし。
ラインが鳴ったので、指名客だと思って、すぐに返さなければ、とアプリを開く。
数個のラインは確かに指名客のもので、一つは中村さんからのものだった。
私はまずは中村さんのラインを開いて、そこに書いてあった場所へと向かう為に歩き出す。
私って、どこへ向かってるんだろう、私って、どうなりたくって、何がしたくって、こうやって足を動かしてるんだろう。
何がなんだかわからないのはいつものことで、そのことが当たり前だったから、不安なんて感じたことがなかったけれど。
普通の人はちゃんと、未来を見据えて今やるべきことの計画を立てたり、取るべき行動をしっかりと考えたりするのだろう。
私には、そんなことは出来ない。
今までやって来なかったから、死ねばいいと思ってたから、でも死ぬのはきっと大変で、勇気がいることで、だったらちゃんと、私は先のことを考えるべきなのかもしれない。
刹那的に生きることへの恐怖を、私は思い知った。
仲間を一人、失ってしまったのだから。
どう変われば良いの、何をしたら変われるの、これしか、やり方を、生き方を、知らないと言うのに。
みんな、どうやって、生きてるの?
みんな、どうやって、何を目的にして、生きてるの?
私は、一体どうしたらいいの?
頼りなくて、今にもぶっ倒れて、何もかもやめてしまいたい気分。
でもそんなことは出来なくて、体は生きることへの情熱で燃えている。
それに引き摺られるようにして心は息をする。
私なんか死ねばいいと思ってた。
でも、死んでたまるかっても思ってた。
そこに、理由なんか、いらないと思ってた。
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