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カロリーメイトの証明
中村さんは、逆のホームの出入り口にいるとのことだったので、そちらへ向かう為、踏切を渡ろうとしたら、真ん中でひょろりと背の高い彼と出会った。
少しく皺の寄ったスーツ姿で、口角を上げてくれているので、私の姿を既にその目に捉えているのだとわかる。
片手を上げると、真横まで来て話しはじめる。
「うた、お疲れ。まだ8時だけど帰るか?…元気ないようだったら、宮崎さんたちと遊ぶか?」
なんで私が今、暗い気分なんだ、ってわかるんですか。
すっごく嬉しそうな顔を、作っていたつもりなんですけど。
なんなら、会いたかった、って、抱き着いてみた方が良かったでしょうか。
見抜かれてしまうんだ、と思うと、実際には表情筋はクタクタだったので、頬に込めていた力を抜いた。
「まだみんな遊んでるんですか?パワーあるなあ。…私は、今日はさすがに疲れました」
「カナちゃん送って来たんだよ。カナちゃんが住んでるとこも、ここが最寄り駅だってよ。おまえのこと迎えに行くって行ったら、そこ住んます、って言うから」
「へえー!!やった!カナちゃん家、めっちゃ近いんだ!嬉しいなあ。…あ、中村さん、いくら美人だからって、カナちゃんに悪いことしたらダメですよ?」
「するわけないだろ。うたがいるしな」
「…そう言うのの、説明をお願いしたいので、帰りましょう。後、普通にブログ更新したり、営業もしなくちゃならないし…」
踏切の真ん中で立ち止まって喋っていては危ないし、邪魔になるので、私たちは早々に歩き出す。
中村さんの存在は私のことを元気にしてくれるし、嬉しい気持ちにもしてくれる。
だからひっついていたいし、離れてしまう日が来るまでは一緒にいたいと強く強く願ってしまう。
どうしてもそう思ってしまう、だって私は彼に出会う前から本当はとっくにぶっ壊れていたのだから。
それに気づいてしまっただけだ。
ちゃんとしないと、しっかりしないと、考えないと、自分の将来ってやつを、そんな気持ちを抱くのが怖くなるほど。
「うたは偉いなあ、たまにはさぼれば。で、なんで哀しそうなの」
「…いえ、多分、簡単には自死出来ないと気づいたんで、未来とかマジで怖ええええええってなって。だって私、何も出来ないんですよ」
「あーそう言うやつか」
中村さんは、タクシーを止めると、私に先に乗るように言うので、その通りにする。
彼も乗り込んで来て、すぐに私の肩を抱くと、運転手へと行先を告げる。
なんだこれ、こんなんはじめてされたんだけど、やめてくれませんか、マジで意味わかんないんで、何もかももう怖いんですよ私は。
それでも、振りほどくことなんて出来るわけなくて、肩同士がぶつかるように寄せられるまま、私の体は言いなりになる。
「……慰めて下さい。私、なんで生まれて来ちゃったんだろう」
「考えるだけ無駄なことだからなあ、それ」
「そうなんですよねえ…」
「うた、俺はおまえがいないとつまんないよ。だから大事にしようって思ったし、可愛いって言うし、イイコだって言うし、死ぬなって言ったんだ」
「生きてても、いいってこと?」
「何にもしてやれないけどな」
「…そんなこと、ないです」
「ありがとな、ちゃんと帰って来てくれて」
そんなこと、言わないで下さい。
いっぱい、してもらってます、幸せだなって思えるようなこと、いつも、いっぱい、もらってます。
ほらだって、今も。
― 帰って来てもいい、って、言ってくれるのは、いつまで続くのかな。
「うん…中村さんも、ありがとうございます。待っててくれて」
「待ってる、って言っただろ」
― 私に、No1にならなくてもいい、って言ってくれた人。
― それでもいいって、言ってくれた人。
― それじゃあ、私の価値って、なんなんだろう?
― 価値なんてなくても、生きていていいってこと?
― 自分で自分を認めること、愛すること、それは私には、とても難しいよ、ミズキさん。
私は、二丁目のバーで、賭けに勝った時、みんなに「ミサのことをお姫様扱いして」とお願いをした。
でも本当は、私がお姫様になりたかった。
沢山褒められたかったし、変われるきっかけの話をして欲しかった。
羨ましかったし、ミサを元気づけようとして頑張れば頑張るほど、彼女を想ってしていたつもりの行為が、もし誰かから自分に向けられたものだったならば、と考えていた。
周りからかけてもらっていた言葉や気遣い、全部全部、この身を焦がすほどに、欲しくて欲しくてたまらなかったのは、自分の方だった。
「…中村さん、大好き。でも、間違えてる」
「うたは、ダメなわけ?何か、間違えてたら」
「多分、中村さんが今考えた間違いと、私が言った間違いは、違う意味です」
「まあなあ、間違いなんて人によって違うからな。うたは間違ってると不安なわけか」
「不安と言うか、…間違えているままがいい。私が勝手に思い込んでいた方が真実で、それがもし間違えていたとしたら、私はどうしたら良いのかわからなくなってしまうんです」
「なんとなーくわかったような気いするけど。ま、うたが思いたい方でいいと思うよ、俺は」
「んな…また簡単に…」
中村さんてば酔ってるのか、私の肩を抱いたまま、顔を寄せて来て唇にキスをした。
今の私の姿は、そんなに弱っているように見えたのだろうか。
悔しいけれど、その通りなのだが。
彼の元気づけ方は、いつも良くわからないけれど、ちゃんと私の気持ちを自分の元へと戻すように、そう言うやり方をする。
上手いなあ、って言うか、私がちょろ過ぎなのかもしれないけれど。
「簡単に、とかじゃなくてな。人の気持ちとか考え方は変えられないからな。俺は、うたが思ってるよりは、そんなややこしくないし、素直な方だとは思うよ」
「マジですか。でも、お仕事は大事ですよね?」
「仕事は大事だけどな。嫌いじゃないしな。でも、公私混同はする方だな」
「ぜーんぶ、嘘だったりして」
「ははは、まあ、好きに思えばいいけどな。うたが、生きることに理由が必要なら、何か見つかるまでは俺でいいんじゃないの」
「よくもまあ…うぬぼれやさんですね…」
「そうしたいって、顔に書いてあるんだよ、おまえは」
もうそろそろ、中村さんのマンションにつく。
私はバックを、ミサのバックを抱きしめた時のように、ギュウっと強く両腕で掻き抱く。
無言でいる間に、停車するタクシー。
いつもみたいに、私には出させず、運転手へと支払いを済ませる中村さん。
バックを潰している片腕を引き剥がすと、手を繋いでくれて、私のことを車内から引っ張り出す。
無言のまま、引き摺られるようにしてコンビニに入る。
中村さんは、入り口で緑色の買い物カゴを一つ取って、スタスタと進む。
どこか一点だけを目指しているようで、その場所につくまで一切余所見をせずに私を歩かせる。
こうやって、ずっと歩かせてくれたらな、私、何を目指したらいいのか、いつも何にもわかんないから。
そんなことを考えていたって、ここは小さなコンビニだ。
すぐに、彼の目的が何だったのかを、知ることになった。
「何、やってんですか」
「買いだめ」
「中村さんも、食べるんですか」
「食う時は食うよ。こんだけあったら、大丈夫だろ」
何が、ですか。
大丈夫って、私がですか?
「…あの、…私、…」
「なくなる前に買い足すし、たまには宮崎さんとこにも行こうな」
「…は、い…」
「ちゃんと帰って来い」
「………うん」
「一人じゃ俺、食いきれないからな、こんなに」
ミサは、紫の色をしていた。
私は今、何色だろう。
その色は、私がずっと考えていた操り糸と同じ色をしているのだと思う。
多分きっと、元々濃かった変化の色が、ますます広がったと言う、ただそれだけなのだと思う。
そう、思っていても良いって、言ってくれたから、そうする。
今回は、チョコレート味のものだけではなくて、フルーツ味や、プレーン味、チーズ味のもの、色々な種類をカゴの中に適当にぶち込んでいた。
緑の網の隙間隙間を歪に埋める、不格好に積み上げられた沢山のカロリーメイトの箱で出来た砦。
私のご飯、私がお腹がすいた時に食べる為の、食べさせる為の、私のご飯だ。
普通はさ、手料理とかなんじゃないの、そう言うやつ作ってくれて、胃袋掴むみたいなこと、やるんじゃないの。
嘘でも、本当でも、なんでもいいけど、そう言うんじゃないの。
ううん、構わないけど、だって私も、料理なんて一つも出来やしないし。
「…参考までに、お聞き、…したいんですけど。…中村さんの、支えって…なんですか?」
「俺か?あー、何だろうな。今は、うたがなんてないことでイチイチ喜ぶの、見てると嬉しいけどな」
「…っ、…ははあ、そう言うこと、言っちゃうわけ、…ですね…」
「泣きながら笑えるんだな、うたは。ほんと、忙しいやつだなあ」
偽ろうとしてもどうやらバレてしまうと言うことはわかったので、感情的なまま、その時の気持ちで、素直に好きにすることにした。
信じることは出来ないし、普通の夢を見ることも出来ないし、哀しい気持ちでいるのは嫌だし、好きな人には笑顔でいて欲しいし。
だから、じゃあ、私も笑っていよう。
たかがカロリーメイト、されどカロリーメイト。
そして、量を買い込めばそれなりの値段になってしまう。
けれどやっぱり、どう言うわけだか中村さんは私から金は受け取らない。
半分だけでも、と言ったけれど、それでも頑なに、別にいらないから、気にするな、と言うのだ。
タクシー代だってそうだし、宮崎さんの店の会計だってそうだった。
カロリーメイトがギュウギュウに詰まったコンビニの袋が、ガサガサと鳴る音と、私の小さな嗚咽。
何にも、答えなんか、いらない。
私は、答えなんかいらないや。
スッキリしなくたっていい、解決しなくたっていい。
私とミサは、別の人間で、別の選択をして、別々の生き方をすのが当然なのだから。
一人ぼっちになっちゃった、なんて、そんなことはないのだ。
私は私で生きるのならば、自分で決めて生きて行かなくてはならないのだから。
同じように、同じタイミングで同じ風に変わる、そんなことは到底無理なことでしかなかったのだ。
操られていると思い込んだままでいよう、それが真実である可能性の方が高いのだから。
だったら思いっきり踊って見せるよ、見てみたい光景を、あなたに見せてあげたい。
私に死ぬなと言った人。
私が生きてたら、嬉しいと言った人。
帰って来いって言ってくれた人。
まるでこんな私でも、必要なものみたいに言ってくれた人。
「中村さん、…中村さん、私は、幸せです」
「そうなの?こんなのが?ほらな、おもしろいだろ、おまえ」
「これもだけど、いっぱい、なんか、思い出しました」
「そりゃあ、良かったな」
「ただ、疲れてただけみたいです」
「そーだなあ。うたも、働きづくめだしなあ。今日が終わったら、息抜きするか」
「息抜き、ですか?」
コンビニを出て、エレベーターに乗って、外廊下を歩いて、覚えている部屋の前で鍵を取り出す。
私に、開けさせてくれる。
それだけでも幸せになれると言うのに、もうこれ以上何かいいことが起こったら、ある日突然運が尽きてとんでもない不幸がやってくるのではないだろうか。
私はいつも、そんなことに怯えている。
「土日で何か、したいことでもあれば考えとけ」
明るい声でそう言う中村さん。
開いたドアの向こうへと消えて行く後ろ姿に、私もぼんやりとしたまま、玄関に入る。
ハイヒールを脱いで、フローリングの床が冷たくて、脚の裏がビックリしてしまう。
ずっと酔っていたのだ、体に熱がたまっていたのだ、きっと心にも頭にも。
ヒールのカカトを揃えながら、目尻にたまった水の珠を瞬きで散らせた。
私のしたいことなんて、何もないんですよ、中村さん。
あなたといられたら、それだけで、もういいんですよ。
「…バカでしょ」
聞こえないように呟いて、重症だから入院した方が絶対に良いと思った。
ミサどころじゃないんです。
私があなたを失くしたら。
そして、それを止めてくれる人も私にはいません。
だからどうかお願いします。
私に利用価値がなくなった時には、下手な捨て方をして下さい。
優しくしたりしないで下さい、タイミングを見計らったりしないで下さい。
わかりやすくて、絶望しやすい、血も涙もない「やっぱりね」ってすぐに思うことの出来る、そんな方法で糸を切って。
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