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「一番」になれる場所
もう慣れたもので、シャワーを浴びて全身をくまなく洗い、洗面所で眉とアイラインだけの薄い化粧を施す。
借りたTシャツを着て、下着を身に着けて、中村さんが次にシャワーへ入ると、洗濯機のボタンを押す。
カロリーメイトの山は、からっぽだった冷蔵庫の中を埋め尽くして、少しだけ生活感が出たような気がしないでもない。
何本か、私の為に用意してくれたのであろうミネラルウォーターのうちの一本を取り出すと、深緑色のクッションに座って一気飲みをする。
今日だって大量に酒を飲んだのだから、一応はここでストップにしておく。
二日酔いの経験はまだなかったけれど、さすがにここ数日は飲み過ぎていると言う自覚はあった。
中村さんがシャワーを上がるまでの間、水をガブガブ飲んで、営業ラインを打ち続けながら、ブログを綴り、煙草に火をつける。
やっとで煙草が吸える!と思うと、少しばかり心のモヤモヤが消える。
なんとなく気分で、今日はずっと中村さんと同じ銘柄の煙草を吸うことにした。
哀しいことが起こる、といつも覚悟をしておかないと嫌なのだ。
変な癖だと我ながら思うのだけれど、なかなか治らない。
行儀が悪いが、咥え煙草でブログの編集画面へと視線を戻すと、管理ページから、ブログのアクセス数、観覧数などを見ることが出来るようになっているらしいと気づく。
けれど私には、その数字が一体どう言った意味を持つものなのか、イマイチ理解が出来なかった。
今まで更新したブログのコメント欄には、ハンドルネームと言うやつで登録しているらしい男性や、他の店のキャストなのであろう女のコたちから、幾つかコメントが残されていた。
その中で、ナナさんからのものだけは誰なのかわかったっていたので、丁寧に返事をすると、他の知らない人たちにも当たり障りのない文章を作り、答えておく。
お願いだから店に来て!なんて、がっついた内容でもって返事をするのは失礼だと思ったし、気が削がれるだろうと、ガツガツしたようなことは一切書かないようにする。
今作成しているブログを完成させなければ、と写メを選んで、丁度良いかな、と思えた部分へ貼りつけると、下書き用のフォルダへと保存しておく。
今日こそは同伴しなければならないだろう、と思い、営業ラインの方にも力を入れる。
丁度その最中に、ミサからのラインを受信した。
ちゃんと二人はまだ繋がっていて、ミサは私のことを完全に切り離してしまったわけではなかったのだ、と思うと胸が喜びでいっぱいになった。
そんな大切なラインの内容に、私は、あはは、っと声を出して笑ってしまう。
するとそこへ、タイミング良くシャワーを出て来た中村さんがやって来た。
「どうした、なんか良いことでもあったか」
「ええとですね。ミサが勝ったみたいです。そのうち、また店に戻って来るかも。うーん、わかんない…辞めるのかな、でもとりあえず勝利ですね」
「そうか、片付いたのか。で、辞めるかもしれないの?ミサ」
「うー、私の予想って外れまくるってわかったんで、あんまり信用しないで欲しいんですけど。変わったと思うんです、ミサ。でも、また店で笑いたいって言ってたし、戻って来るつもりは、あるのかも」
タオルを被せてくしゃっと拭いただけなのだろう、黒い髪からは雫がポタポタと降っている。
私の雑さがうつってしまったのだろうか。
中村さんは私の隣に座ると、自分はグラスに焼酎を注いで、黒猫柄のマグカップの方にはミネラルウォーターを流し込む。
やっとミサの話題に食いついた、と言うか、ただ私の友人に関しての話を聞いているだけ、みたいな様子がなんだか気にかかった。
「理由は言わなくてもいいけど、おまえ、割とダメージくらってただろ」
「そのようです…。その場その場では気づかないんですけど、後でダメージに気づくんですよ。で、浅ましいなあ、とか、自分って嫌なやつだなあ、ってわかってしまって、凹むんですよね」
「自分のことを一番に考えるのは、本来だったら当然のことだからな。うたは、無理に他人のことばかり考えるようにして、自分のことを蔑ろにして、見ないようにしてるだろ」
「…そうっぽいです。見たくないし、そうしてないと、きっとみんないなくなっちゃう」
「それは、周りからしたらいいやつっぽく見えるし、そう見られたいんだろうけど、あんまり良くはないかもな」
「…中村さんが、私に向かって、なんかまともな話してる。どうしたんですか?」
「どうしたんだろうな。人に説教出来るような人間じゃないんだけどな。ははは、悪い」
全然悪くないですけど、今までの中村さんっぽくないなあ、とは思った。
だって、店とも仕事とも売り上げとも客のこととも関係ない話で、私のご機嫌を取る為の言葉でもなかった。
正しいのか、正しくないのかはわからないけれど、中村さんはそう考えている、と言う、彼自身の価値観の一部を私に分け与えようとしてくれた。
そのことに、意味があるのだろうか。
例えば、どんな?
「あ、ブログってこれで大丈夫そうですか?後、多分、今日同伴出来そうなんですけど…。相手が、ミサ指名のお客さんなんです。以前、三人でアフター行った時に、連絡先の交換してあって。店ではいつもミサを指名してたけど、今日は私と同伴して、そのまま指名で行きたいって、ライン来て…」
「あー、どうだろうな。別に、客が指名のキャストかえるのは自由だからなあ」
「今日もミサは店、休むんでしょうか。中村さん、ミサから連絡ないですか?」
「ないな、ずっとないよ」
ブログの内容を読んで、勝手に公開をするボタンを押すと、中村さんは私の話に付き合ってくれる。
もしもミサが良いと言ってくれても、私からしたら心配なことがあるのだ、この客には。
以前はよく、ミサ指名で店にやって来ては私に場内を入れてくれて、三人で飲んで、アフターへ行ったりしていた。
結構な金額を使ってくれるけれど、最終的には私にタクシー代を渡し、ミサと共に二人でどこかへ行ってしまう。
どこだったのだろう、ミサを送ってから自分も真っ直ぐ帰路へついていたのか、それともホテルへ向かっていたのか。
「…いい人なんですけど。パーッと楽しく飲むのが好きって印象で、年配の方ですけど、話題も難しい話じゃないし…でも」
「悩むようだったら、断ればいいんじゃないか。他に、同伴してくれそうな客、いるの?」
「いるっちゃいるんですけど…ううん。無理をさせるのは躊躇われる方が多いかな、と言うか。でも、遅い時間にはなるけれど、山口さんは店に寄るって言ってくれてます」
「仕方ないよな、平日だし。ミサが今日休むようだったら、別に無理に知らせなくてもいいと思うけどな」
「…そうなの?…ねえ、中村さん、ミサのことどう思ってるんですか?あんなに仲良かったのに」
つい思わず、と言った感じで、問いかけるべきではなかったかもしれない疑問を口に出してしまっていた。
私ってば、まだ酔ってるんだ、これは聞いたらダメなことだった、と、すぐに後悔をした。
だって、中村さんの答えによっては、わざと曖昧にして、なんとか築いているだけの、愛しい大切な関係性に形が出来てしまう。
出来上がらなくても良い、ずっと未完成のままで良いパズルのピースを、一つか二つ、上手く嵌めてしまうような行為だったのだから。
「そうか?あんなもんじゃないの、みんな。ミサは頑張ってたからな。でも、今は頑張れないんだろ?店に来られないくらいの、何かがあるんだろ?そんなやつに、無理に仕事しろ、っては言えないよ。辞めるってラインして来たキャストに、店の話とか、客の話をするのは、ミサにとっては迷惑にしかならないだろ」
「…私には、無理に仕事させてません?」
「うたは、仕事を頑張ってる時、生きてるって思えるタイプだろ。だから、頑張らせるよ、俺は」
中村さんが、煙草を箱から一本取り出して、口に咥えて火をつけたので、私は自分のものを吸っていなかったことに気づく。
もうフィルターまで燃え尽きてしまっていたので、新しいものを、彼と同じ銘柄のそれを、再び吸い始める。
ああ、目が痛いような気がする、喉が痛いような気がする、鼻の奥が痛いような気がする。
中村さんは何もかもに気がついていて、私を自分の操り人形だと思い込ませるように、そう仕組んでいたのかもしれない。
だから、私を生きてる気にさせる為だとか、そう言うのも全部嘘で、さらに従順に動くようになるであろう言葉を選んだのかもしれない。
それとも、ただの真実だったならば。
いや、どちらでもいい、どっちにしろ彼は成功しているのだから。
「…中村さんて、頭良かったんですね」
「おっまえ、失礼だなあ。なんだと思ってるの、ほんと。俺のこと」
「ひどい人」
「どうだ、実際は」
「ふふ、謎の人」
スウっと思いっきり煙を吸い込んで、ぶわっと吐き出すと、ミサからのラインを読み返す。
もう大丈夫そうなミサ、今は元気になったように見えるけれど、いつまた急降下するかわからない、そんなミサ。
今日は、店に出勤するつもりなのかどうか、聞いても大丈夫だろうか。
もしするのであれば、ミサが指名客を取られるのが嫌だと言うのであれば、三人で同伴をすれば良いし、私は場内でも構わないと思った。
ミサからの先ほどのラインを、再び読み返して、私はふふふ、と笑う。
『別れてって言ったら、セックスでなんとかしてこようとしたから、股間にゲロ吐いてやった!凹んでた!機材にも吐いてやったら、私よりそっち一生懸命拭いてたんだけど!最低死ねって言ったら、財布とスマホだけ持って出て行ったよー!』
『この残ったゴミをね、片付けるの、手伝ってくれるような人、すぐに探すことにした!』
この二通のラインの文章は、私はやったよ!もう自由なんだよ!解放された!変わることが出来た!次の人をすぐに探す!と言う気合いに満ちていると思う。
そんな新たな夢を思い描いているミサに、今日は店に出勤する?指名客を取ってもいい?なんて、聞いても大丈夫なのだろうか。
やめておくべきだろうか、客には「ミサに悪いので、考えさせて下さい」と、今回は断って、他の指名客と同伴出来るように、営業をもっと頑張るべきだろうか。
色々と思案しながら、ミサに返信を打ち、隣で焼酎を飲む中村さんの表情を盗み見る。
彼は店のマネージャーで、ミサの担当で、私の担当で、それから、私を色管理してるわけでしょう?
ミサの方が貢献度は上だと言うのに、どうしてよりによってこんなメンヘラで、特筆した魅力を持っているわけでもない私を、罠にかけたのだろう。
ああ、そっか、ちょろそうだから、だろうか。
『ミサ、すごいじゃん、笑っちゃったよ。ミサはやっぱり強いよ!ミサは素敵な女性なんだから、好きになる人は沢山いる!ううん、今だって、現在進行形でいると思う!』
これが、私の精一杯だった。
つまり、何も聞けなかったし、勇気が出なかったし、先にミサの状態や状況を探って、どう考えているのかを知りたいと思ってしまった。
それで、大丈夫そうだと判断出来てから、聞こう、と決めたのだ。
私は中村さんに寄りかかると、彼の言う通りだな、と、哀しくなってしまった気持ちを、甘えることで忘れようとする。
― 人に良くみられたいだけ、自分のことを一番に出来ない、嫌われたくないだけの、自信なんか微塵もない、みっともない私。
そんな私でも、中村さんの体に触れていれば、その時だけは自分が一番なのだ。
あたたかいなあ、ミズキさんやミサと同じ温度を彼も持っていて、けれど中身はみんな別の人間で。
もちろんそれは客たちも同じで、触れればぬくもりがあって、生きているのだとわかる。
その客のうちの一人が、自分の親友だと思っているミサから、私へ指名がえをしたいと、そんな内容のラインを送って来た。
私とも寝る為?それともミサに飽きた?
本指名であるミサから数日ラインの返信がないから、ただ心配して私に話を聞きたいと思ったとか?
それもありえなくはないけれど、それならばわざわざ同伴をしなくても、普通に来店して私を指名すれば良いだけだと思う。
どうするのだろう、ミサは。
このまま本当に店を辞めてしまうのだろうか、それとも今日、もしくはいずれ、前までのように出勤して来るのだろうか。
「謎の人からの提案で悪いけど、マネージャーに聞かれたって言っていいよ」
「…中村さん、ミサのこと心配じゃないんですか?」
「心配してるかしてないかで言えばしてるけど、私生活のことまではなあ。ミサは俺には何も話さないし。店に戻る気があるのかないのか、マネージャーから聞かれたって言っていいから、って言うか聞いてるしな、実際」
「じゃあ、…一応、返信来たら聞いてみます」
洗濯機が、洗濯物が干せる状態になったと知らせる、高い音を何度か響かせる。
煙草を最後に一吸いしてから、灰皿で押し潰して消すと、中村さんも同じようにして、私の顔をジッと見つめてくる。
一体、どんな表情をしていたのだろう、私は。
そんなに心細そうだっただろうか、それとも不安定な状態に陥っているように感じさせてしまっただろうか。
横向きのまま抱きしめられて、いつものようにコドモ扱いをされる。
「うた、元気になれ。元気になれ。大丈夫だ、何かあったら、全部俺のせいにしていいから」
「…そんなこと出来ません。自分でやったことって、ちゃんと自分で責任を取らないといけないんだ、って。私、わかりました。…でも、もう取り返しがつかないことばっかり…きっとこれからもそう」
「じゃ、今までの全部、半分だけでも、俺のせいにしとけ。じゃないと、なんでいるんだって話だからな、俺」
「よくわかんないけど、なんかありがとうございます」
中村さんは、私に利用される為にいるわけではない。
と、思うのだが、彼はその為にいる、と言う。
それは、頼れ、とか、甘えろ、とか、そう言った類のものではなさそうで、自責の念を軽くする為に自分のことを使えと言う意味のように受け取れる。
私が辛くならないように、私が頑張って働けるように、ミサのように心の調子を崩して店を休んだりしてしまわないように。
そうでしょう、当たり。
ちゃんと、そう言うことにしておいて下さいね。
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