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飴に溶けたいアリ
「洗濯、俺がやっとくから。気にしないでミサと電話するならしろ。ラインでもいいし」
元気を出させる為なのか、私の前髪を掻き上げて、そこにキスをする。
キザだなあ、変なの、中村さんは私に対して、こんなことをする人じゃなかったような気がするんだけど、と、また考えてしまいそうになる。
変わってしまったのは確かで、でも何が、なのかはわからないままだ。
いや、もういいんだ、好きにするって決めたんだった、じゃあいい、好きにする。
「中村さん、土日、どっか秘密の場所に連れてって下さい」
「秘密の場所?例えば?」
「どこでもいいです。じゃ、ミサにラインしてから、電話してみます」
私はそのうち枯れてしまって役立たずになるのだから。
今、まだ咲いていられている間は、お水がもらえるのだから。
ちょっとだけ、おねだりをしてみたって良いかな、と欲張ってみた。
うーん、とかなんとか唸って、私からの抽象的なお願いに対しての良い答えを一応は考えてくれているらしい中村さんが、スッと立ち上がる。
洗濯機の方へ行ってしまう彼の背中に、期待してますね、と圧力をかけつつ、笑う。
それからミサに、今から電話をかけても大丈夫か、とラインを送ったら、すぐに返事が来た。
内容によっては、中村さんに聞かれたらまずいかもしれない。
そう思いつつも、深緑色のクッションに座ったまま、とりあえずは電話をかけてみる。
ミサの様子がおかしかったり、話しが暗い方へ行ってしまった場合は、洗面所へ行こう。
と、思っていたのだが、どうやら全ては私の杞憂で、取り越し苦労だった。
ミサは、すごく明るい声で電話に出た。
空元気なのか、夢からさめてテンションが上がっているのか、どちらでも良いのだが、とにかく嬉しそうに弾んだ声がスマホの向こう側から聞こえて来る。
私は一安心すると、突然店の話をするのもなんだし、と考え、酔いはもう大丈夫か、ミズキさんは本当に良い人だね、なんて、取り留めのない話をした。
中村さんが私の後ろを通って、いつの間にか窓際に辿り着いていることにも気がつかないほど、今日あった出来事で色々と盛り上がった。
『わかったあ!その客ってユウキさんでしょ?そうなんだ。いいよー、仕方ないもん』
何気なく、今ならいいかな、と思えたタイミングで、ミサの指名客から同伴を持ちかけられている、と相談する体で打ち明けてみた結果、返って来たのはそんなアッサリとした一言だった。
彼女は、連絡を怠ったせいだと思う、何より自分はその客、ユウキさんの相手には向いていない、と言った。
「どうして?前は結構、頻繁に通ってくれてたよね?一緒に遊びに行ったりしたし。そう言えば…最近は見なかったかもだけど」
『うーん、なんて言うか…多分、うたちゃんもすぐにわかるよ。長くは掴んでおけないお客さんだよ。でも、気前はいいよ!』
ミサは、私が聞く前に、そのユウキさんと言う客について様々なことを教えてくれた。
彼とは寝ていない、ただ、自由奔放に振る舞う女性が好みのようで、卓についている間は楽だったから少し残念だ、と少し寂しそうでもあった。
それから、色恋はかけない方が良いと思う、嫌いそう、ただ楽しくお喋りをするだけで良いと思う、なんてことまで明かしてくれる。
「…ねえ、ミサは今日、店に出る?辞めちゃったり、する?」
『うん?あー。どうだろ?辞めるつもりはないんだけど、今日は部屋片づけようと思ってて。後、ちょっとだけ休憩時間が欲しいなあって…』
「マネージャーにちゃんと言いなね?…心配してたよ」
『そうなの?じゃあ、一週間くらい休暇もらって、指名客にもちゃんと連絡して戻って来てもらえるようにして…ま、はじめからやり直す気で行こうかなあ』
「ミサ、なんかしっかりした、って感じだね!」
『三回目なんだよね、私。やり直し。その度に、頑張ろうって思うんだけどさあ…』
「これまでだってやって来られたんだから、きっと平気。ミサは今までよりレベルアップしてるんだから」
ユウくんの話題は一切出てこなかったので、私の方からもしなかった。
終わったのだ、きっと、ちゃんと。
リスカやODは平気で、DVも平気でやってのけてワガママ三昧な癖に、ゲロくらいで、って感じだけど。
もしかしたら、ミサからのラインに書いてあった以外のことも、彼女は本気で仕出かしたのかもしれない。
敢えて聞くことはないし、わざわざ思い出させて嫌な気持ちにさせたりしたくないので黙っておいたが、多分そうなのだろう。
『よーし!もういっそ引っ越そうかなあ!あ、そうだ、マネージャー、怒ってた?』
「全然怒ってなかったよ。普通だった。辞めないなら、辞めませんって言った方がいいと思うよ」
『そうだね。いつもありがとう、うたちゃん。また、店でね。その前に遊ぼう!って言っちゃうかもしれなけどー』
「うん、いいよ。いつでも言ってね!また連絡するね!」
通話を切って、ふう、っとため息をついてから、改めて例のユウキさんとやらに、同伴OKの返信をする。
色恋はかけない方が良くて、自由奔放に振る舞って、酒を沢山飲んで、楽しい会話で彼をいい気分にすれば良い。
と言うことは、私は彼が楽しいと思うような会話をしなければならない、と言うことだ。
過去、ユウキさんに場内を入れてもらっていた時、私はどんな話をしていただろうか。
「うた、終わったか。ミサはなんだって?」
「あ、洗濯、すみませんでした。ありがとうございます。えっと、多分連絡来ますよ、中村さんにも。ちょっと休暇が欲しいみたいです。…あの、ユウキさんて、覚えてますか?」
「わかるけど、何だ、ミサからおまえに指名がえするのってユウキさんなのか」
「どう言うわけだか、そうなんですよね。20時から同伴です。うう…私、あんな遊び慣れてる方を楽しませられる会話なんて…思いつかない…」
思い出せ、思い出せ、場内でついた時、ヘルプでついた時、私はユウキさんとどんな内容の話をしていたのか。
そう思えば思うほど、ただただ酒をたらふく飲んで酔っ払っていた記憶しかない。
素面で同伴の場で会ったら、私なんてユウキさんにとっては何の面白みもない女でしかないだろう。
「普通でいいんじゃないの。最初なんだし。普通のコ、好きだと思うけど、あの人」
「そうなんですかね…。って言うか、私って普通ですか?」
「あー、まあ、普通、に擬態出来てると思うけど。うたは自分で思ってるほど、普通じゃないわけでもないよ」
「…世の中、色んな人がいますもんね。ここに、謎の人もいますし」
ああ、乾ききっていない黒髪が、まるで雄々しくてたくましい馬のたてがみのように艶々と輝いていると言うのに、この人はどうして。
こんなにも不健康で、不健全で、肌も酷く荒れていて、骨ばった体で、アンバランスなことをしているんだろう。
そう、例えば洗濯物だとか、シャワーを浴びるだとか、仕事をするだとか、そう言う、ちゃんとした生活ってやつを。
その口から、普通、なんて聞いたって、普通が何なのか知っているのかすら怪しいだけですよ、中村さん。
私は、深緑色のクッションに座り込んだまま、両腕を中村さんに向かって広げて見せる。
彼は面白そうな顔をして、私のことを侮っているのを隠しもしないで、向かい側に膝をつくと、わざわざ高い背を精一杯丸めて、顎の下に頭を突っ込んで来た。
かなり無理がある体勢だけれど、こうしてみたかったような気がして、それが伝わったと言うことに機嫌が良くなる。
「キツイな、やっぱ。どうだ、ちょっとは、頑張れそうな気、して来たか」
「うん。ねえ、嘘ついて欲しいです、中村さん」
「…嫌だけど」
「そっか。じゃ、いいです」
「うたはワガママ言わないなあ」
「めちゃくちゃ言ってると思うんですけどね。気づいてないだけなんじゃないですか」
私が撫でる折れ曲がった背中、そこでしなる背骨はとても良い形をしているし、薄い肉だって本物の体温を宿している。
覆い被さっていた上半身を起こすと、もういいですよ、と彼を苦しい姿勢から解放する。
中村さんは四つん這いのまま、私の隣まで来て、定位置へと座ると、スマホを確認している。
ミサはちゃんと連絡をしただろうか、そうだ、私もナナさんのブログを見てコメントの返事をしよう。
「…まあ、一週間くらいだったら、誰も何も言わないだろ」
「ミサですか?」
「前は一カ月休んだからな。無断で。さすがに誤魔化すのも限界になった頃に、ひょこっと出勤して来たんだよ」
「へー!でもなんか、ミサっぽいですね」
ナナさんのブログは今日も可愛らしい。
どうやら、自分の私服のコーディネートと、詩を書くことにしたらしい。
細かいサクランボ柄の薄いピンク色のTシャツに、白いふわふわな素材のロングスカートを合わせていて、黒い厚底サンダルを履いていた。
撮影しているのは多分ユウコさんで、場所は学校なんかにある中庭のように見える。
もしくは、どこかの公園だろうか、木々が生い茂っていて、花壇も映っている。
ただ、文章の中に、幾つか気になるものがあり、それはやめておいた方が良いのではないかな、と思った。
でも、私ではなくてナナさんだし、ナナさんのキャラならこれもアリなのだろうか、とも思える。
人によっては、新人のキャストを育てるのが好き、と言う趣味を持っていたりもするらしいし、良い指名客がつくかもしれないし、私が口を出すのはおかしな話だし。
「うたは何時に寝るの。それと、服な。ユウキさんなら、そんなに清楚だとか露出だとか好み考えなくていいと思うよ」
「………あ、はい、ありがとうございます。あの…これって、…」
「ナナか。なんか、週6のレギュラーで入りたいって言って来たな、夜にライン来て。やる気はすごくあるんだよ。でも、まだ指名も持ってないし、ヘルプが上手いってわけでもないしな」
「フリーにどんどんつけてあげる、って言うのはダメなんですか?」
「なるべくそうしてるけど、合うだろうなって客じゃないとな。チェンジされて、モチベーション下げることになるし。…ブログか。悪くないけどな。そう言うキャラで行くなら、それなりの接客が出来ないとな。書き方、教えてやった方がいいかもな」
そうなのだ、ナナさんはやる気があるのだ、夢があるのだ、多分売れっ子になって漫画やドラマやSNSで活躍しているキャバ嬢みたいに、シャンパンのボトルをいっぱいあけて、楽しそうに微笑んでみたいのだろう。
ユウコさんは困っていたし、辞めさせたいようだったけれど、それでもこうして協力している…いや、もしかしたら、写メを撮っているのはヒロトくんだったりするのだろうか?
「さすがに、あれが欲しい、これが欲しい、って写メつきでブログに載せるのは、うーん、どうなんですか。いますかね、そう言うキャストさんって。…いや、私みたいな、モノ知らずなやつが言うのも変なんですけど。だって、もしかしたら、じゃあプレゼントしてあげよう!って思って店に会いに来てくれるお客さんもいるかもしれないですもんね」
「いやあ、なあ…。うちの店のキャストとしては、合ってない行為かもな。ナナは素直なだけなんだけどな」
「…ちなみに、私はどんな感じなんですか、中村さん」
「うたは場の雰囲気に合わせるだろ。客によって変わるだろ、おまえは」
「中村さんにとって、ですよ」
「可愛いけど」
「…あ、そうですか…」
聞くんじゃなかった。
バカだな、とか、何言ってるんだ、とか、はぐらかされるとばかり思っていたので、カッと頬に熱がたまってしまう。
こっ恥ずかしい人だな、本当に、どうなってるんですかあなたは。
アリと同じで、飴がないと目指す場所もわからないし、働けないとは言え。
そんなに飴ばかりだと、私はどんどん一緒にそれと共に溶けていっしょくたになって、そのうち動けなくなってしまいそうです。
そうなっても、中村さんは責任を取ってその飴を食べてくれたり、片付けてくれたりもしないとわかっている。
そうしないで欲しいと、私が言ったのだから、きっと彼はそうするのだろう。
でもいいんですね、今だけはこうして甘い匂いに釣られて、幸せな気分で歩いていても。
「うた、冷房。冷えて来たし、いいよ」
「うん…」
くっついてていいって。
そう言うこと言ってて。
本当みたいな、嘘の時間を過ごすの。
寄りかかって、体の横んとこがあったかくって、ついでに中村さんの手元を覗いてみる。
彼は特に隠したり焦ると言うこともなく、そのままラインを打ち続けている。
え、ダメじゃない?
嫌がって、やめろよ、って、普通に怒ると思ってたのに。
もしかしたら、私に見られても良いように、仕事用とプライベート用で実は二台持ってるのかもしれないな、なんて思いつつ一応は目を逸らす。
けれど、相手だけはなんとなくわかってしまった。
だってアイコンが、モロにナナさんだったからだ。
いや、ナナさん本人の顔ではないのだが、彼女であると思わしき女性の一部分を切り取ったアイコンだった。
小ぶりな向日葵を持つ白い手と、水色に小鳥の飛ぶ空の模様が描かれたワンピースの上半身。
顎の下までしか写っていないけれど、それでもわかる。
フワフワの、ウェーブがかった茶色い肩までの髪と、女性にしては少し広めな肩幅。
私はナナさんとはラインを交換しているので、彼女のラインのアイコンがこれではないと知っている。
だとすると、多分ヒロトくん…、なのだろう。
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