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風紀と色管理
「見てもいいけど。気になるなら」
「気にはなりますけど、…ポリシー?に、反する?と言いますか」
「なんなのそれ。一応な、どうせなら管理もしろって言ったんだよ」
「…いいんですか、私にそんな話、したりして」
「いいんじゃないの。ヒロト、あんま管理出来てなさそうだし」
「…見ません、私は。私のも、見られたくないので」
「そうなの。どっちでもいいけどな、俺は」
私の方は、ナナさんのブログの画面が開きっぱなしになっている。
そのスマホを右手に持っているので、もちろん寄りかかれば中村さんからも見えてしまう。
そして、私の方からも、彼が両手打ちをする人な為、文章の内容が見えてしまいそうになる。
お互いに隠し合っていないので、どうしても視界には入ってくる。
なので、私は体は寄り添ったまま、顔だけ反対側を向くことにした。
「私は私のことで手一杯だし、ナナさんにしてあげられるようなことって、ないんですよね。この考え自体、おこがましいとわかっているし」
「うた、ナナの連絡先、知ってるの?」
「はい。交換したんです、ちょっと前に」
「店の話とか、しない感じか?」
「本当に、仲良くなったばかりで。深い話とか、まだ全然してないんですよ」
中村さんは、ふーん、なんて、割とどうでもよさそうに返事をすると、新しい煙草に火をつける。
困っているのか、困っていないのかどちらなのだろう。
それを知ったところで、私にしてあげられるようなことは何もないのだろうけれど。
だってそれは、私の仕事ではないし、余計なお世話と言うやつだろう。
黒猫柄のマグカップから水を飲んで、やっぱり新しく犬の柄のものが欲しいと思う。
今日は私の方もどうかしてしまっているらしい。
いつもよりも欲をかいてしまうし、弁えてます、イイコでいます、多くは望みません、と言う気持ちが薄くなってしまっているように感じる。
「ヒロトはなんでナナの暴走を止めないんだろうな。客観的に見てやり過ぎだとか、合ってないだとか、わかると思うんだけどな。…まあ、ナナはヒロトの言う通りになんか、しないか」
「え?お互い好きで付き合ってるんですよね?風紀の方ですよね?」
「風紀っつうかなんつうか。ナナは多分、なんの気なしに、店で連絡先を知ってるやつに色々連絡してただけだと思うんだよ」
「そうなんですか?ああ、でも確かに、距離感?みたいなのがちょっと、バグってるような?いや、あれが普通なのかもしれないんですけど」
「内容はな、今日の服装どうですかとか、飯自分で作りましたとか、写メ日記が送られて来るだけだったんだけど」
「ううん…、何故それを客にやらないのか…。ウケ、いいと思うんですけどね」
「ヒロトは、その送られてくるラインで、ナナに好意を持ったんだろうな。ナナから連絡減ったな、とは思ってたけど、いつの間にかヒロトと付き合ってたんだよ」
なんとなくだが、はじめた頃は多分普通のバイト先、と言う風に考えていて、出来ればモテたかっただけなのだろう、と思えた。
だから、連絡先を交換をした男性スタッフに、日常の自分をアピールして仲良くなりたかっただけなのだろう。
それって、ラインを知ってる客に同じことをするか、このブログでやれば良いことなのではないだろうか。
その方がだいぶ集客率は上がりそうだと思うのだが、何故やらないのだろうか。
「そう言うことって、よくあるんですか?仲良くなりたかっただけだと思いますけど」
「だろうな、別に言い寄って来てたわけでもなさそうだしな」
「ですね。ナナさん、そんな感じのコには思えない…でも私、人を見る目、ないっぽいんで…わかんない」
「客に対しての営業だってそれでいいのに、一体どんな営業ラインしてるんだろうな。ヒロトにはスマホ見せないって言ってたし」
可能性の一つとして、ナナさんは、キャバの客は何かを貢いでくれるはずなのに、どうして自分にはそう言った振る舞い方をしてくれないのだろう、とそう考えているのかもしれないと思えた。
どんな媒体から情報を得て、どの部分に憧れを持ったのかはわからないが、既にNo上位の「出来るキャスト」「売れているキャスト」の生活を、途中の努力をすっ飛ばして夢見ているのではないだろうか。
漫画だったとしてもドラマだったとしてもSNSからの情報だったとしても、地道な下積み時代などもきちんと描かれているとは思うのだが。
そうではなくて「入店した途端にいきなり売れた大型新人」みたいなストーリーのものでも見たのだろうか。
それとも、楽しそうな場面以外はつまらない、と思って、好みのキャラや、好きになったどこかのキャストのお姉さんが活躍しているシーン以外は切り捨ててしまったのだろうか。
「なんか、もったいないですね。素直で頑張り屋さんなのに、本当はブログにその写メ日記載せた方が絶対いいのに、…教えてあげないんですか?マネージャー。担当でしょう?」
「店じゃないのに、マネージャーとか言うなよ」
「そんなこと言うと、颯さんて呼びますけど、いいんですか」
「別にいいけど」
「…いや、やっぱいいです」
「ヒロトは役に立ってないみたいだし、俺から言うか」
私はナナさんのブログに書いてあった詩らしき一文を読み直すと、コメントを考えた。
なんだか切実そうに感じたし、切羽詰まっていて辛そうだと感じたから、励ましたいと思った。
ヒロトくんでは、ナナさんのことを上手く応援してあげることが出来ていないようだ、と言うこともわかった。
私の方が彼女よりも年下だし、偉そうなことなど何一つ言えないけれど、一言だけでも声をかけたかった。
『わたしの夢はかなわないのかナって、神様にきいてみたいナ。わたしが信じていたわたしは、ちっともその通りにならなくて。どうしてなのかナって、神様にきいてみたい…』
いや、バカっぽい、バカっぽいけれども。
ナナさんが伝えたいのであろう、と思われることはわかるような気がするのだ。
学校ではきっとモテて来たのだ。
今までの人生、割とワガママや願った物事は叶えてもらえるような環境にいたのかもしれない。
いや、勝手な憶測であって、全く当たってはいないかもしれないけれど、それでも、夢見ていたものが手に入らなくて苦しんでいるのだ。
ここでは、つまり店では自分のやり方が、自分が良いと思った対応が上手く通用しない。
それがどうしてなのかわからない。
と、言うことなのだと、私は理解したのだけれど、どうなのだろうか。
『ナナさん!おはようございます。うたこです。今日のお洋服も可愛いですね!また、元気なナナさんに会えるの、楽しみにしてます』
コメント欄にそう書き込んで、それからふと思った。
そうだ、ミサが言っていたではないか。
ユウキさんは、自由奔放な女性と楽しく会話するのが好きなのだと。
もしかしたらナナさんだったら、合うのではないだろうか。
ああでも、遊び慣れている人からしたら、最低限の接客が出来ないキャストは受け付けないかもしれない。
いや、人によっては新鮮味を感じるかもしれない。
自由に、自分勝手に好きなように接客をすることが許されるキャスト、…そうなるには、相手を惹きつけるような魅力やオーラが必要なのではないだろうか。
ううん、どうなのだろう、賭けだけれどユウキさんにナナさんをオススメしてみようか。
だって彼は、ミサ以外の新しい指名のキャストを探しているだけなのかもしれないのだし。
何も私でなくても良い、と言う場合だってある。
なんだか私は賭けてばかりだな、人生自体、賭けのようなものだけれど。
「…あ、…」
「どうした、うた」
「…またやっちゃった。私。今、ユウキさんには、ナナさんが合うんじゃないか、ナナさんに、指名客が出来たらいいな、なんて考えてしまって…」
「…いやあ、やめとけ。ユウキさんは、嫌な態度は絶対とらないと思うけど、ナナを特別気に入るかと言われると、微妙だな」
「微妙、ですか?」
「卓に付け回しする時、どんな客っぽいか、とか、どんな接客が良いと思う、とか、俺は一言、言うだろ?」
「はい、言って下さいますね。ちょっとした情報を」
「それを、ナナはあんまり理解出来てない時が多いんだよ」
「…マジですか。ううん。まだ、慣れていない、って言う…だけですよね?」
どうだかなあ、と呟いて、煙草を吸う中村さんは、スマホを打ち続けている。
ヒロトくんになのか、ナナさんになのかはわからないが、何か少しでも良い方に向かうことを願うばかりだ。
私は人様のことを心配している場合では全くないのだけれど。
そうだな、もう少し自分のことを、一生懸命考えてあげなければならない。
自分の益になるように、自分の為になるように、自分を活かせるように、自分が得をするように、と。
「…うた、考え過ぎもやめとけ。自己中になり過ぎない程度に、自分のことも優先する、ってくらいでいいんだから」
「むっず…って言うか私って自己中じゃないですか?」
「思い込みも激しすぎるし、…丁度良く酔っぱらってる時くらいでいいんだよ、多分な」
「…ああ、なんか、お客さんに対しては自己中になる時、ありますね確かに」
「って言うか、客のこと考えてみろよ。ユウキさんは、うたに連絡して来たんだろ。うたと同伴したい、って」
そうだ、私はちゃんと、「私」が良いと言ってくれた客に尽くすべきだろうに。
ユウキさんに、失礼なことを、ユウキさんの気持ちを無視するようなことを考えてしまっていた。
これでは、ナナさんにとってはいい人かもしれないが、ユウキさんにとっては、彼の気持ちを蔑ろにするダメなキャストだ。
人間って言うのは難しいな、私は頭を働かせるのに疲れたので、ぐだーっと中村さんの胡坐をかいている脚に頭を乗せるとそのまま膝を立てて上半身だけ横になった。
「あんま悩むな。さっき俺が言ったことが原因なら悪かったよ。簡単に言うと、自由にしてみろってことだから」
「自由ですかー?あー、じゃあー、指名客全員に、今日は絶対に来いよーシャンパン飲ませろ!!ってラインしてみますー??」
「はははは、やってみろやってみろ。上手く行ったらそれはそれでいいんじゃないの」
「…マジで、やろうかな。頭、沸騰しちゃいます」
私はすっかり甘えモードに入って、私の頭の上でスマホを打っている中村さんの腕に指先だけでスリスリと触れる。
脚は、そこがすぐ壁になっているので、伸ばせないから、上半身だけズリズリと伸ばして、彼の片脚の太ももから、中間辺りまで頭を持って行く。
「…ヒロトくんとナナさんは、案外上手く行ってそうです」
「なんでそう思うんだ」
「ナナさん、多分ヒロトくんがフロアにいる、ってわかってるから、頑張れてるところあるんじゃないかなって…」
「うたが、そうだから?」
「うん…そう。私、すっかり、ダメキャスト」
元々、素晴らしいキャストであったわけではないし、特別なキャストであったわけでもないけれど。
それでも、一人でやって行く、一人でこのフロアに立っている、一人で立ち向かって行く、そんなことの出来るキャストであろう、とする、強い気持ちを持つことは今の私には難しそうだ。
でも、いつかはそうならなければならないと思っている。
そうなったら、この人は喜ぶ?それとも、離れて行ってしまうの?
「ダメキャストなあ。ダメキャストは、あんなに頑張れないよ」
「頑張れって、言ってくれるからですよ」
「みんな言ってくれるだろ、店長だって、部長だって」
「颯さんじゃなきゃ、ダメなんです、もう」
そのうち、目がさめるかもしれませんけどね。
でも、今、私は酔っぱらっているから。
好き勝手、言わせて下さい。
「楽しいならいいよ、それがおまえにとって」
「何言ってんですか、地獄ですけど」
「そうか?」
「ドMなんですかね、私は」
「じゃないの」
中村さんが、スマホをテーブルの上に置いたのだろう。
コトン、と言う音がして、それから私の耳にぬるりとした感触と、吐息が届く。
髪の毛を掻き分けられて、首筋に冷房の風があたると、肩がほんの少し震えた。
どこにも行けない感情は、こうやって処理をするのが一番。
そのことを、私たち二人は知っていて、そしてそれはとても愉快で幸せな時間だ。
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