482人が本棚に入れています
本棚に追加
/609ページ
柘榴のブランデー
「…シゴト、終わったの?颯さん」
「いいよ、後で」
「…寂しかったんです、私、今日、ずっと」
酔っている、酔っている、全然、さめない。
もしかしたら何からもさめない、このままずっと、そっちの方こそただの夢だ。
私は、はしたないとわかっていながらも、衝動のままに、片手で中村さんの履いているスウェットと下着を掴んでずり下げる。
まだキスもしていないし、裸同士で触れあったわけでもないし、唐突にはじめただけの行為だから、何の反応も示していないのは当たり前。
でもいい、私、舌がすごく分厚くて長いのだ。
たまたまだけれど、どう言うわけだか長い、だから良く舌を噛む。
口の中に上手く仕舞っておくのが、ちょっとだるい。
けれど、たまには役に立つのだ。
露わになった彼自身の柔らかく芯のない状態を愛おしいと思いながら、全てを唇で含む。
そうやって口内で唾液でぬめらせた舌でもって、ゆっくりと育てて行く。
そのうち、指先を添えられる程度になって、手のひらで包んで、関節のしこりで刺激しながら上下に扱いて、唇を離すと舌先だけを絡めて時々付け根から先端までを舐め上げる。
私がしてあげたいの。
いっぱいしてあげたいの。
いつの間にか私の髪を梳いている彼の細長い指が、私の頭を両手のひらが覆っていて、時々込められる力が強くなる。
「うた、もう、いいから」
「飲みたい、欲しい、お腹すきました、ちょうだい」
ふ、っと、頭上で零された熱いため息は笑っているようだった。
中村さんは、私からの申し出を受けることにしたのか、そのままされるがままになってくれた。
私は、知っている限りの全ての手を使って、彼の吐き出す欲望を受け止める為に、好きそうな場所を探って責め立てる。
「…ん、」
「…、っ…、う、……ん。…美味しく、ない」
「そんなの、美味いわけないだろ」
「嘘、好き」
何も食べていない、酒が主食の人の精液は、ちゃんとアルコールの味がした。
量の少ないその全てを飲み下して、上を向いて笑いかけると、中村さんが私の口元を自分の手の甲でグイグイと拭った。
それから、脇の下に両腕を入れて、体を引き上げてくれると、今度こそ唇にキスをして、舌を差し込んで来る。
自分の出した液体の残る、粘つく口内を蹂躙する彼は、ちょっと変わっているなと思った。
普通、嫌じゃないのだろうか、と不思議だった。
私は深緑色のクッションの上に仰向けに倒され、不自然な体勢を取る。
首から上が、頭の重さではみ出して、天井しか見ることが出来ない。
脚を開かれると、その間には細い腰が推し進められ、下着を脇にずらされて行為に必要な部分だけを引ん剝かれたのだと知る。
既に濡れていて、何の準備もいらないそこに、それでも指を差し込む彼は用意周到で、もしかしたら焦らすのが好きなのだろうか。
私は、痛いのなんてどうだっていいのに、彼が与えてくれる圧迫感が、一番好きなのに。
どうされたって、すぐに快感へと変わることを知っているから。
満たされた気持ちになれるって、知っているから。
「…可愛いな、うた。困ったな、誤算ばっかで」
「そう言うのは、嘘でも漏らさない方がいいです、よ」
「背中、つかまってろ」
「…ん、…あ、…ああ、…や、…はいってくるの、いい、きもち、い…」
押し広げられて、体積のあるものでいっぱいにされる私の内側は敏感になり過ぎていて、エロ漫画みたいなセリフを垂れ流す。
でも、いい、気持ちいい、最高に、これだけでずっと達しているような感覚を得られる。
「可愛い、可愛い、うた、嘘ついてやるよ。愛してるみたいで、楽しいな」
「…んっ、うん、…あいしてる、だい、すき…っ、」
私の体は揺さぶられ続け、うっすらと体中に汗をかき、愛してるを必死で考える。
きっと、中村さんも「愛してる」がわからない人なんだ。
だから、そんな風に言ったんだ。
嘘っこの、愛してるを言ってみるのは面白かった。
だから、何回も言ってみた、重みも責任もないそれは、ただの五文字の媚薬。
彼が満足いくまで私を抱いて、ただその背や首に回す腕、指先でもって、爪痕を残すのを楽しんだ。
入れ墨になればいいのに。
私の、綺麗に切りそろえられた爪が食い込んだ皮膚に、血がたまって赤くなって、腫れあがればいいのに。
こんなとこならば、鋭く研いでおくんだった、なんて夢見心地で考えてみる。
腹の奥にたまる快楽に脳をおかされながら、私は意味のわかっていない、「あいしてる」を、ただ言葉遊びのように、喘ぎ続けた。
同じような、からっぽの「あいしてる」を聞きながら。
明るい時間帯に何をやっているんだ、と思いつつも、明るい時間にしかやることが出来ないのだから仕方がない。
そうしてもらうと元気になるのだから、してもらった方がいい。
本当だったら、何日か仕事なんかしないで、中村さんと部屋でダラダラしてみたい。
などと言ったら、嘘だと決めつけられて笑われて、それもいいな、って、本当にそう思ってるような顔をして言ってくれるのだろう。
でも私はね、そう言う幸せっていいな、やってみたいな、って憧れてたんです。
ああダメかも、わかんないですね、そんなに何日間も離れないで一緒にいたら、どちらかが嫌になったりするのかもしれないし。
きっと丁度いいんだね、今みたいなのが。
寂しくて、だからいいんだ、そう言うものなんだ。
だから、私は長く休んだりしないし、彼とずっとダラダラとするなんて言う、憧れの生活なんてしない。
「ははは、うた、後ろ頭、やばいな」
「…ちょ、めちゃくちゃなんですけど、ナニコレ、直るかな。もうー!中村さん!櫛ー!!」
「はいはい、俺が悪いしな。ちょっと待ってろ。千切るなよ」
無理な体勢で、おかしな風に何度も深緑色のクッションに擦りつけられ続けた後頭部の髪が、一部複雑に絡まってしまっていて、手櫛が通らない状態になってしまった。
両ひざを折って、股の部分にティッシュをあてて、もう片方の手のひらで自分の髪の様子を探ると言う、物凄くマヌケな姿だが、仕方がない。
こうしていないと溢れ出て来るものでクッションや床を汚してしまうし、なんだか無駄に後何度でもしたくなる。
すみませんね、こんな有り様で。
もう私、どうしようもない淫乱メス豚でいいです、中村さんだけにですけど。
しばらくすれば、中身は全部出て行ってしまって、残った熱もおさまるだろうし、今は髪をなんとかするのが先決だ。
中村さんが、洗面所から櫛を持って戻って来ると、私の後ろにかがんで、ゆっくりじっくり、くせっ毛で猫っ毛で細くて傷んだ扱いづらい私の髪を懸命に解いてくれる。
いじられるの、気持ちがいいな、と思いながら、そろそろ寝ないと、とぼんやり考えて、就寝前の薬を水で飲み込んだ。
「…あのね、中村さん。山口さんが言ってたんですけど、コニャックって言うお酒に、ドライフルーツとかナッツとかスパイスとかを漬けて作る保存食が、英国にあるんだそうです」
「んー?んー、で?美味かった?」
「いえ、私がやるらしいです。古き良き時代の英国では、女の子が生まれたらそれを仕込んで、嫁ぐ時に持たせたそうで」
「あの人、なんか、変なことに詳しいのな」
「お菓子を作る時なんかに、使うんだったかな。あと、フルーツを漬けて美味しいお酒にしたり出来るんだそうです。その、コニャックって言うのは、どんなお酒ですか?中村さんは、飲んだことありますか?」
「ブランデーだな。種類も、色々あったような気がするけど。ほら、髪、出来たぞ」
「ありがとうございます。…それが飲みたいです、私」
「じゃ、カオリのとこでも行ってみるか、土曜は。秘密の場所、ってわけでもないけどな」
そうだ、私は中村さんの秘密の場所に連れて行って欲しいのだ。
とりあえず、一つめはカオリさんの店に決まった。
そう言えば連絡をしていないな、と思い、バックから名刺入れを取り出すと、彼女の名刺を探す。
連絡先が書いてあったはずだ。
それを確認すると、ラインで番号検索をかけてカオリさんの凛々しく美しい横顔のアイコンが出て来る。
カオリさんをラインに登録すると、『よろしくお願いします』のスタンプを一つ送っておいた。
「カオリさん、この間は酔っぱらってましたね。中村さんのこと怒ってる時、お母さんか小学校の先生みたいでした」
「もう忘れてくんない。カオリは宮崎さんより年上で、ずっと飲み屋で働いて来た女でな。宮崎さんがいても、宮崎さんのことも慕ってるやつが多いから、セットで愛されてるようなすごい女なんだよ。店を出した時、宮崎さんと俺も行ったっけなあ。祝いにな。何年前だったか…、俺が20とかじゃなかったか、多分」
「いいなあ。私も行ってみたかった。カオリさんのお店は高円寺でしたよね?私、高円寺に行ったことないです。相談したいことあるけど、中村さんがいたら出来ないですね」
「俺のこと相談するのか、うたは。何でも、聞いたら答えてやるのに、俺に聞かないの」
「うん。聞いても、欲しい答え、くれないもん」
だから、聞いたらいけないことがあるんです、本人に答えて欲しくないことだってあるんです。
変なところで朴念仁だな、中村さんてば。
ううん、そうじゃない、わかっていて言っているんでしょうけどね、どうせ。
からかってる、知ってます、いいじゃないですか少しくらい、キャピキャピしたいんです。
「欲しい答えって何なの」
「いつも誤魔化されるので聞きませーん」
「ははは、そうか。嘘ばっかりつくやつよりはいいだろ」
どうなのだろう。
どうせいつか終わるなら、沢山素敵な気分にしてもらった方が得なような気はする。
けれど、そんな人に私は夢中になったりするだろうか。
コニャックか、ブランデーなのか。
酒の違いや作り方の違いや、価値も味わい方も上手な飲み方もわからない私は、土曜日にそれを飲ませてもらうことになった。
何も知らないけれど、ドライフルーツやナッツを保存しておくことが出来る酒だと言うこと。
それと、フルーツを漬けておくと、フルーツブランデーと言う美味しい飲み方も出来るらしい、と言う、それしか知らない酒。
何故突然コニャックかと言うと、私は、中村さんとお別れをする、その日が来たら、と良く考えるものだから。
その日が来たら、コニャックだかブランデーだかで、何かを漬けてみようと思ったのだ。
例えばそうだな、柘榴を漬けて、フルーツブランデーにして、死ぬと決めた日に飲もう。
美味しい美味しい酒になるといいな。
何日くらい、もしかしたら何年くらい、漬けるものなのだろう。
熟成期間。
それはつまり、あなたを失った後の、私の寿命。
![d218d434-b2ef-4b94-8c8e-ddf0d23da468](https://img.estar.jp/public/user_upload/d218d434-b2ef-4b94-8c8e-ddf0d23da468.jpg?width=800&format=jpg)
最初のコメントを投稿しよう!