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担当のお仕事
ナナさんが、私に最初に送って来たラインはこうだ。
『うたこさん、お疲れ様です!教えて下さい!シャンパン飲みたいのに、なんで頼んでもらえないんですか?キヨシさんは、シャンパンが好きなんですよね?キヨシさん、うたこさんのことが好きなのわかるんですけど、わたしのこと指名してくれるようにしてもいいですか?うたこさんがお願いしたら、キヨシさんはわたしのこと指名してくれますよね?』
と言う、ちょっと色々と意味のわからない内容。
多分、指名とか、そう言うのが何なのか、何の為にあるのか、理解していないように感じられた。
指名してもらえたらシャンパンを入れることが出来る、とも勘違いをしているような様子だし、内容自体、全体的に、私のことを不愉快にさせかねない文章でもあった。
どう説明すれば、一つ一つ間違えていることについてわかってもらえるのかを考え、なるべく丁寧に返事を書いたつもりだった。
『お疲れ様です、ナナさん。まず、シャンパンなのですが、そんなに簡単にオーダーしてもらえるようなものではないです。なので、フリーのお客さんがシャンパンを入れるとしたら、何か良いことがあった日だとか、ついているキャストのコたちを喜ばせたいと思ってくれた時なんかが多いですよ。お客さんの雰囲気や、今日の気分なんかを探ってみると良いと思いますよ。ついているキャストのコを凄く気に入った場合なんかも、チャンスがあるかと思います。なので、まずは、ついているフリーのお客さんに、すぐにシャンパンを強請るのではなくて、気に入ってもらえるように、沢山喜ばせて、楽しいお話をして、気に入ってもらえるように努力をして、場内指名をもらってからお願いしてみた方が良いですよ』
と、一通送った。
そして、続けてもう一通、こちらはまあ、店で居づらくならない為に、と考えて作った文章だ。
『キヨシくんは私が言っても、指名をかえるかどうかわかりません。キヨシくんはお客さまなので、キヨシくんが指名のキャストを選ぶのが当然です。なので、キヨシくんに、凄く気に入られるように接してみると良いと思いますよ。私は別に構わないのですが、他のキャストさんに、このような内容のラインはしない方が良いですよ。指名客と言うのは、キャストにとってとても大切なお客さんなので、普通は自分に指名がえするように客に言って欲しい、と言うお願いは失礼にあたります。気を付けて下さいね』
自分で書いていて、合ってるのか合っていないのかどうなのか、そう言うのはよくわからなかったが、暗黙の了解みたいなものは、暗黙なのであって、ハッキリとは口にされないものだ。
言葉に直すのはとても難しかった。
けれど、一応自分なりに、なんとかわかってもらおうと努力したのだが、ナナさんからの返信はこうだった。
『どうやったら、場内が取れるんですか?怒ってますか?ちょっと難しくて、わかりません。キヨシさんは、うたこさんが言っても、指名をかえたらダメなんですか?失礼なことを言ったならばすみませんでした!知りませんでした。指名って、結局なんですか?』
無になると言うか、一体何を見て、キャバで働こうと考えたのだろうか。
漫画やドラマではなさそうだ、だって読んでいたら必ず出て来るであろう言葉ばかりだし、どんな風に接客をして成功しているのか、そう言った部分も描かれているだろう。
いやまあ知らないけれど。
私は、そう言えばキャバクラの出てくる漫画やドラマや小説なんて一切読んだことがなかった。
「…うた、多分なあ、文章じゃダメだ。なら、話せばあるいは、って思うだろ?俺だって一応担当だからな、話したよ、何度も」
「…ヒロトくんは、何も教えてないんですかね?」
「どうだろうな。もう別れろって、言ってるんだけどな」
「ナナさんとヒロトくんだったら、ヒロトくんを取るってことですか」
「そうだな。仕事出来るからな、あいつは」
自分がもしもナナさんだったとしたならば、どうすれば目指している魅力的なキャストになれるのだろう、と徹底的に調べるに違いない。
そして、学ぼうとするだろうし、自分の活かし方を考えるだろうし、見て盗めるような手があれば、どのような場でそれをどのように使って成功していたか、を覚えておく。
そして、自分なりにアレンジして、実践に活かせるようにと必死でやるだろう。
いや、ナナさんは必死ではあるし、頑張ってもいるし、調べようともしているのだ、多分。
「ちょっと、無理かもです…私は、ナナさんのこと、好きだし、頑張って欲しいんですけど…でももうなんか…」
「そうだ、あれじゃないか、ヒロトの言うことは聞かないけど、うたの言うことなら聞くんじゃないか?」
「…私ですか?」
「懐いてるだろ、おまえに。何か知らないけど」
「そう、でしょうかね?…ブログ、服装のコーデは別に良いと思うんですよ。手料理載せたりとか、自分の得意なことアピールして、日常の私感満載で行った方が良んじゃないかなっては思いました」
「そう言うの、言ってやれば?…って、俺の仕事なわけだよ、それ。でも、全然言ってること、通じないんだよな」
とりあえず、成功するかどうかの責任は取れないのですが、試してみて欲しいことがあります、と前置きをして、言うだけ言ってみようか。
何もしないよりは、ああでも、私は人のことを考えている場合ではないはずで。
ユウキさんと同伴だってするし、私の接客で楽しんで欲しいし、山口さんのことも考えなければならない。
山口さんは、はじめて私に「好き」と言ったのだから、営業方法は色恋にシフトチェンジして、尚且つ彼の喜ぶドレスでフロアに立たなければならない。
「自分のこと、ちゃんとやってからにします!彼女のことを考えるのは。とりあえず、ブログのことは言ってみます。接客術はもう、自力で学ぶ以外ないじゃないですか。自分のキャラ理解して、どんな方法が得意なのか知って、って…経験しかないと思います」
「お、いいじゃないか。その調子だ、うた」
「ちょっとキヨシくんのことは…気にかかるんですけどね…アカウント変えて、ブログストーカーとか…荒らしとか、されたら嫌です。ライン、ブロックしちゃったので」
「守ってやるよ。店も、おまえのこと、大事だからな」
「…中村さんも?」
「ああ、大事だよ」
じゃ、いいです。
優しい顔して、言ってくれたから、どう言う意味の「大事」でも、許すし、嬉しいです。
私はナナさんに、今日最後になるかもしれないラインの文章を打つ。
厳しい言葉かもしれないし、偉そうかもしれないし、私のキャラじゃないかもしれない。
「今のままじゃダメだ」と言う言葉は、ナナさんを傷つけるかもしれないし、私を嫌になるかもしれない。
けれど、まどろっこしい言葉の羅列では、全く為にならないし、どうやらわからないらしいし。
『ナナさん、私、怒ってないですからね。ちょっとしたアドバイスです。責任は取れませんし、成功するとも言い切れないです。ただ、気が向いたらやってみて下さい。ナナさんはブログに詩、ポエムを書くのをまずはやめましょう。私服の紹介はとても良いと思います。あと、欲しい服や、ブランド物のバックやドレス、靴なんかを載せるのもやめた方が良いです。ナナさんは、自分で料理が出来るのですよね。毎日、自炊した料理を載せると良いと思います。文章は簡潔に、店に会いに来て!と書いても良いと思います。ナナさんのキャラでしたら、おかしくないと思います。店では、いきなりシャンパンを頼んで欲しいと言うのはやめましょう。お客さんを楽しませる、喜ばせることが出来る会話をまず見つけましょう。自分の特技はなんですか?どんな部分に自信を持っていますか?それらを、接客で活かせるように、多少手を加えましょう。嫌かもしれませんが、地道な努力をして下さい。いきなり人気になるのは、ナナさんには今は無理です。けれど、ナナさんを気に入って沢山のお金を遣って下さるお客さんも現れるかもしれません。なので、希望は捨てないで下さい』
…疲れた。
でもこれ以外は、もう、今わかって欲しいと思えることは出てこなかった。
「さて!私は、ぶっちゃけ眠いです!!起きたらドレスを決めなくちゃ!指名客とフリー客に営業をかけたら、もう寝ます。薬飲んだんでした、そう言えば、ちょっと、ラリってるかも」
「いいよいいよ、俺も寝るし。ヒロトからも返信ないし、ナナには最後に、電話だけするわ。ヘルプでも役に立ったのはうたの卓だけだし、しかも一度きり。たまたまだしな。待機席にいるばかりで、最低給料だけ支払い続けてるの、多分もうギリギリのとこだ」
「…ナナさんのことは、また、機会があったら話してみます」
「無理はするな、親身になり過ぎるな、うたはうたのことを考えろ」
頭がぼんやりとして来て、顔が勝手に緩んで、深く物事が考えられなくなっている。
薬、回ってきてるし、体に力が入らない感じ。
横になりたいし、でも中村さんはナナさんに電話をすると言っているし、先に一人で布団に入ることになるのだろう。
「…ねえ、中村さん、甘えていいですか?」
「いいよ、って言うか別に断らなくてもいから」
「うん…頑張るから、一生懸命やるから、だからお願い、私のこと好きって言って」
「はは、なんだ。どうした?うた、ちゃんと好きだよ」
「嘘じゃない?って聞かれるの、嫌?」
「わかんねえなあ、変わるからな、俺だって」
「じゃあ、今は聞きません」
「うたのことが可愛いし、イイコだと思ってるし、一緒にいたいし、大事だよ。それは、本当」
お互いの顔が寄って行く、それだけでわかる、読める、何をするのかが。
唇を薄く開いて、瞼は閉じて、首を少しだけ傾けると、私の両頬は大きな手のひらに包まれる。
深い口づけを交わして、激しく口内を舌で蹂躙されて、私はその心地よさに翻弄されて、操り糸の強度が強くなって行くのを感じる。
それでいいの、そうして欲しいの、そうじゃないと私は今は、店で上手く動けない。
飲み込みきれなかった唾液が、顎まで垂れて皮膚を汚すけれど、その感覚すらも気持ちがいい。
頭を撫でてくれる、首筋にキスをしてくれる、愛しい人にするみたいに、Tシャツの中に潜り込んで来た大きな手のひらが私の肩甲骨をなぞる。
埋められた黒い髪に鼻先を擦り付けている間に、鎖骨に浮いた骨を齧る歯並びはとても良くて、私はいつも羨ましくなる。
「あ…っ、な、んか…やば…」
「はは、おまえ、薬飲んだんだろ、もう寝とけば」
「ん…で、も…」
「しょうがないなあ、うたは」
切り忘れてる少し長い爪がひっかく痛みが嬉しいよ、この皮膚にたくさんあなたの痕をつけて。
ギュッとそのまま抱き上げられると、布団に運ばれて、ストンと下ろされる。
いつの間にか、頭がコクリコクリと上下していた。
瞼が重たくて、世界が二重に見えるし、中村さんは私が何かを喋っているのを聞いて苦笑いを浮かべている。
しょうがないんだもん、私。
どうしよう、こんなにどうしようもなくて。
でも、今日も頑張るから。
呆れないで。
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