プロポーズ

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プロポーズ

「俺、先に出るけど、同伴前のヘアメどうする。店か?どっか他でやって来る?」 「…ん、…あ、えっと…店に行きます。ヘアメの店って、緊張しちゃうし…」 「うん。イイコ、イイコ、うたは、イイコだなあ。可愛くて、忘れそうになるよ」 「…何をですか?」 「俺もな、幸せってのはあんまり慣れてなくて、なれるわけないし、どうでもいいって思ってるんだけど」 「幸せ、ですか?私、しょっちゅうなってますよ、本当ですよ」 「そう言う一瞬の幸せじゃなくて、ずっと続く、みたいなやつな」 「中村さんが言ってるのって、家族とか、そう言うもののことですか?」 「どうだろうな。そうなのかもしれないな。俺はちゃんとしてないからな、多分、守れないやつだ」 「そうなんだ。私もですよ。でも、今まで付き合った人たちはみんな、したがったなあ。どうせ、家事もまともに出来ないの知ったら、私のこと殴ったり蹴ったりする癖に」 「ははは、そうなんだよな。ゴールだけが綺麗に見えるもんだよな。ゴールの先も走らなきゃならないのになあ」 「なんですか、中村さん、誰かに逆プロポーズでもされたんですか?」 「しただろ、おまえ。さっき。って言うか、返事?」 したっけ? って言うか、返事? って、何の? どちらもした覚えがないのだけれど。 そんなロマンチックそうな言葉を、私ってばいつの間に中村さんに言っていたのだろう。 いやいや、私は誰とも結婚なんてしたくないし、将来は野垂れ死ぬのがオチだと思っているので、そんな人生を大切な人に背負わせたりするわけにはいかないと思っている。 良くない。 こう言うことは、20代後半になってから焦って考えて、失敗でもした方が良いのだ。 そうだ、そう言うものだ。 そうしたら、独りで生きるの最高!って、楽になれるはずなのだから。 「中村さん、遅刻ですよ?大丈夫なんですか?16時までに、店、着きませんよ?」 「ん、今日17時に行くって連絡してある。まあ、もう出るけどな」 「あれですよ、中村さんは男の人だから、歳をある程度重ねても、チャンスなんて幾らでもありますよ。私は女だから、賞味期限があるかもしれませんが」 少しの間を置いて、二人の声が同時に笑い声を含んで発される。 「まー、したくねえよなあ」 「したくないですよねえ」 「20時にユウキさんと待ち合わせしてるんだろ。19時にヘアメ予約入れておくから、19時から半までには一旦店に来いな」 「はーい!さてと!営業しなきゃ!ブログも書かなくちゃだし。書けたら、ヘアメの時に下書き見せるので、OKかどうか教えて下さいね」 「ああ、わかった。今日も、頑張れるか?」 もちろん、頑張りますよ、それしか私に答えられる返事などありはしないのだから。 上半身を起こして、腰を捻って後ろを向くと、中村さんの顔を見て満面の笑みを向ける。 それに、彼も同じようにして、応えてくれる。 私たちは恋人ではないし、友達でもなくて、同志とも違うけれど、きっと目指しているものだけは同じで、それを達成してみたいと思っている。 どうして中村さんが、私に対してそう言う想いを抱いてくれたのかはわからないけれど、それでもその気持ちはありがたいものだ。 「今日、このスーツにしたらどうですか?私がはじめて、中村さんの部屋にお呼ばれした日に、着ていたやつ。これですよね?」 「そうなの?じゃ、そうするわ」 彼はどうでも良さそうだけれど、私は覚えているのだ。 無駄な記憶力があって、それは時に強烈なフラッシュバックとしてこの身を襲うが、役に立つことも多いので、人生トントンだ。 私の方はどうしようか、出来れば中村さんに選んで欲しいと思うのだけれど、今、彼には時間があまりない。 わかっているけれど、適当でも良いから、このドレスワンピたちの中で、どれが一番好みで、好きなタイプの服装なのか、そのくらいは知ってみたかった。 「ちなみに、全然迷わず直観でいいので、中村さんは、私が今日店で着るならばどのワンピが良いと思いますか?」 「え?ああ、まあユウキさんは服の好みとかあまりなさそうだからな。俺が選んでも別に大丈夫か」 「中村さんの好みって、今まで聞いたことなかったんで、なんとなく」 シャツのボタンをとめて、スーツに腕を通している中村さんは、自分の準備が一通り終わると、壁にかけられた私の服たちを一通り眺めて、悩む素振りもなくその中の一つを指さす。 ふーん、なんて言って、そっか、なんて思って。 それから私も立ち上がってそのドレスワンピのかけられたハンガーを外す。 化粧をしてから着よう、と、自分の開きっぱなしのキャリーケースの上に広げておくと、テーブルの方の充電器にスマホを刺す。 「じゃ、俺は行くけど、なるべく飲み過ぎずに店に来いな。ユウキさんは話しやすいと思うし、出来た人だから、うたも気負わずフツーで良いと思うよ」 「わかりました。あ、このジャージ履いていいですか」 「いいけど、でかいぞ、おまえにしたら。別に、部屋の中まででいいだろ」 「玄関の外までだけですよ。新婚さんごっこしましょうよ」 「ははは、やだよ」 「じゃ、同棲してるカップルごっこ」 「それなら、まあいいか」 煙草や自分のスマホ、財布なんかをスーツのズボンのポケットに仕舞うと、中村さんが玄関へ向かう。 私は急いで履いたジャージの裾を引きずりながら彼の腕に自分の腕を巻き付ける。 ドアを開けると、部屋の窓の外の方は水色の空が広がっていたのに、こっち側には灰色の雲がかかっていて、雨が降り出しそうな雰囲気だった。 「ねえ、傘はないんですか?中村さん、濡れちゃいますよ」 「ないんだよなあ。俺、別に濡れるの気にしたことないし。うたは下のコンビニで買ってから行けな」 「わかりました。降らないといいんだけど。もし降っても、朝まで止むといいですね」 「雨だと客足がなあ」 「あ、そっちか」 「じゃ、行くわ、俺」 「はい!行ってらっしゃい、颯さん。…ちょっとくらい、かがんで下さいよ」 中村さんは革靴を履いて外廊下に立っていて、やっと向かい側に回った私は彼の大きなビーチサンダルをひっかけている。 背の差がエグいのだ。 なんせ私は150センチだし、彼は多分180はあるのだから。 背伸びしたところで、届いてなんとかその顎だか喉ぼとけくらいだろう、いやそれも無理かも。 キス待ち顔ではなく、キスしたいです顔を思いっきり作って背伸びした私がバカのようではないか。 「ほいほい、ん」 「ん、ありがとうございます」 ちゅ、っとおとぎ話みたいな行ってらっしゃいを唇にかましてから、私に手を振って、背中を見せる彼を見ていた。 ずっと見ていた、エレベーターのある方へと曲がって行くまで。 一度も振り返りはしない彼を、雨の降り出しそうな空に浮かんでいるような気持ちで、ぼんやりと。 なんだかわけのわからない三日間の最後の日がこれからはじまるのだ。 俺も後から行くからな、と戦友を見送るような気持ちと言うか。 違うか、今日もなんとか私を上手く使って下さい頼みましたよ、と言う、武器の方の気持ちの方が合っているだろうか。 はちゃめちゃなこの数日を過ごす間に、私の心も変化して来たような気がするのだ。 彼の姿が消えたので、私はドアを開けると部屋に入り、ビーチサンダルを脱いで並べると、洗面所で顔を洗ってから、冷蔵庫の前にしゃがみ込む。 中を見て、いっぱいに詰まっているカロリーメイトを見ると幸せでたまらなくなる。 あったかい心を抱え、しばらく眺めてからミネラルウォーターを取り出す。 それを飲みながら深緑色のクッションの真ん中に座ると、化粧をしつつ、やっぱり中村さんと同じ方の銘柄の煙草に火をつけた。 「全部嘘ばっかな方がマシだったかもだなあ。マジ、ミサのこと、何も言えない。まさか、って起こるんだなあ。こんなに好きなんて、おかしいんじゃないの、私。ありえない、ありえない、ありえない。こっわ。中村颯、こっわ。何者なの、アイツは」 独り言をブツブツ呟きながらも、目にカラコンを入れて、今日も顔に色んなもんを塗りたくってそれなりに見えるようにする。 時々灰皿から煙草を取る左手の人差し指と中指に挟んで、紫煙を吸い込んで、ふう、っと吐いては毒で胸騒ぎを紛らわせて、そんなわけない、を繰り返す。 ちょっと、ほんのちょっとだけだよ、少しだけ、思い描いてしまったのは、きっと中村さんがあんなことを言うから。 私が、逆プロポーズした? いつ?何故?なんの為に?まさか薬でラリってた時、寝たとばかり思っていた自分の口が勝手に何かを彼に告げたのだろうか? やめてくれよ、そう言うことは。 私は今までせっかく酒でも薬でも記憶を失ったことがないと言うのに。 …そう思い込んでいただけで、結構そう言うことをやっていたのだろうか。 うーん、でも、返事って言ってた。 じゃあ、最初にプロポーズして来たのは中村さんと言うこと? それに私が、何か、どっちだかわからないけれど答えたの? もー、かんべんしてよ、本当に。 結婚は墓場なんでしょ、よく聞くよ。 同意なんだよ私もそれには。 したことなどないけれど。 でもでもバカだな、なんとなくだよやっぱりさ、好きな人ってずっと一緒にいたくなったりするんだってこと、知っちゃった。 ビックリです。 私ってば、そんなこと普通に感じることが出来たんですね。 そうか、私は変わってしまったのか。 ただの、中村さんのことが好きな普通の女の子に。 彼のことが、好きで好きでたまらない、女ってやつに。
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