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二人の彼
「んーっと、じゃ、まずはこれ、はい。うたこちゃん、改めてよろしくね」
「どうもありがとうございます。…って言うか、え?」
「どうかした?」
「ユウキさんの苗字って…」
「俺の、苗字?」
そこでまた店員がやって来て、頼んだ酒を置いて、からっぽになった方のジョッキやグラス、皿や器なんかを片付けて持って行こうとする。
もう、なんだか面倒くさくなってしまったので、私は去ろうとする店員を呼び止めると、ちょっと無茶なお願いをした。
こう言った、ちょっと高級そうな居酒屋では、あまりやらない方が良いことなのかもしれないが、ユウキさんが私を指名するのはきっとこれで最後だろうと思っていたので、別にいいやと思った。
「すみません、柚子サワー、五つくらい一気に持って来てもらってもいいですか?」
「かしこまりました。ご注文は以上ですか?」
「あはは、じゃあ俺も、焼酎、コレのボトルとロックグラス、氷とか全部セットでお願いね」
「了解致しました。少々お待ち下さい」
店員が今度こそ個室を出て行くと、私はまじまじとユウキさんのくれた名刺を見る。
彼は、会社名や、住所や、役職名について私が興味を示したわけではないと言うことに気がついているだろう。
こんなこともあるんだなあ、と思いつつ、名刺入れにユウキさんの名刺を仕舞うと、化粧ポーチの中へ入れた。
うん、まあね、よくある苗字だし。
そう言うことだってあるだろうに、私ってば。
何、ビックリしちゃってるんだろう、恥ずかしいなあ。
「…ユウキさん、…お名前、中村優紀さんっておっしゃるんですね」
「そうだけど、もしかして知り合いだったとか?」
「違うんですけど。えーっと、あのね、…ユウキさんだから言っちゃうんですけど~…」
「何、何、やっぱナシ、ってのはやめてよ?」
「あ、バレました?今はまだ早いかなあ…みたいな!もし、いつか仲良しになれたなら、教えてあげますね!」
ちぇーなんて言うユウキさんの顔立ちは、とても若く見えるし、ノリも良くて話す内容も小難しくない。
背だって高くて、多分180以上はあるのではないだろうかと思われる。
マネージャ―よりも高い背丈を持っているけれど、あんな風にひょろっとはしていないし、どちらかと言うとガッチリしっかりとしている。
不健康そうにだって見えないし、グっと押した肌だって弾力がありそうで、すぐに元に戻るに違いない。
ちっとも彼と似ている箇所など見当たらない。
あ、でも謎なところは似ているかもしれない、とも思う。
多分、頻繁にジムなどに通って鍛えたりしているのではないだろうか、と思わしき肉体に、全身を覆う小麦色の肌も艶があって健康そのものと言った感じだ。
しつこいかもしれないが、なんと言うか、とにかく筋肉がすごい。
スーツの上からでもわかるくらい、逞しくて均等の取れた体格をしているのだとわかる。
と、じーっと私が見ていたからか、ユウキさんはスーツをその場で脱いでしまう。
いえ、筋肉が見てみたかったとか、そう言うわけではないのですが。
真っ黒な髪は野暮ったく見えないように、清潔感のあるツーブロックになるようにサイドを刈り上げている。
そんな髪型が、真剣にちょこちょこ弄って来たわけではないのだな、とわかるような、適度にアレンジされた、爽やかな白にワンポイントの入ったブランドもののシンプルなTシャツにとても似合っていた。
太過ぎないけれど意志の強そうな濃い眉の下には、優しそうな一重の瞳と、くっきりとした鼻筋、明るい彼が豪快に笑う時、まさにその時に相応しいといつも思わされていた、大きめの唇。
年齢を聞いたことがあったような気がするけれど、お互いに酔っぱらっていたので嘘をつかれてしまっていたのかもしれないな、と思う。
だって、これで50ちょい、だなんて、私には到底思えないのだ。
年齢不詳、どの店のどのキャストがついても必ずと言って良いほど行われる通過儀礼、THE「いくつなんですか?」「いくつに見える?」「うっそ~信じらんな~い!」の中の、真面目に信じられないパターンだ。
でも、物凄く若いと言うわけではないと言うことだけはハッキリとわかる。
それは名刺に記されている役職名からもだが、何より貫禄のある人だし、人生経験も豊かで、そして何より賢いのだろうと思わせる行動が節々から見て取れた。
様々なことを知っているし、ほど良く何でも上手くこなして行ける、ううん、もしかしたら何でも完璧にこなしてしまう、なんて空気を纏っている。
それは持って生まれた才能と言うやつなのか、それとも彼が自力で努力して手に入れて来たものなのか。
この自信に満ちた姿を見ている限り、後者なのではないだろうか、と思わせる。
彼は相当にモテるだろう。
それは、キャバクラやラウンジなどの飲み屋のキャストの女のコや、もちろんそれ以外の職種の女のコからもだ。
それだけ魅力的な男性だと言うことだ。
謎なのに、魅力がある。
私からしたらそれはまるで。
彼とは正反対のもの。
あるいは、全く同じ色彩がたったの一つも混じり合わない、高価な絵画のような。
「三番目って言うのはさ、俺の秘密にしておきたい女のコってことにしようと思っててさ」
「日陰の身ってことですかね?」
「良くそんな言葉知ってるねえ。19歳だっけ、うたこちゃんって。俺は未婚だよ、心配なし」
「一番大切なキャストのお姉さんがいて、二番目に大切な女性がいて、そのコたちにはバレないような遊び方が出来る、楽チンな女のコってところですか?」
「言っちゃえばそうだね。仲良くなったらハワイでも行こうよ。部屋は別でとるし」
「めちゃくちゃ展開が早いんですけど。まだ一回めの指名なんですけど。ユウキさん、私のことどんな女のコだと思ってるんですか?」
「俺の名誉ある三番目の女のコに値する、価値のある女のコだと思ってるよ。だから選んだつもりなんだけど」
「まだ全然知らないじゃないですか、お互いのことなんてなーんにも。変なの~」
そこで、何度目かの個室の襖が開く。
やった、柚子サワーのジョッキ、やっと5つ来た!
そして、もちろんユウキさんの頼んでいた焼酎のボトルと、ロックグラスにアイスペール、新しいおしぼりなんかもだ。
私が、自分の柚子サワーに口をつける前に、ユウキさんのボトルやアイスペールをテーブルの真ん中辺りまで持って来ると、ロックグラスに「氷、2個でしたよね、ユウキさんは」なんて言いながら、彼に酒を作る。
アイスが二個入ったグラスをマドラーでカラコロと掻き混ぜてグラスを冷やしていると、そんな私をニコニコと眺めながら、ユウキさんは言う。
「別に全く見てなかったわけじゃないよ。ミサと一緒の時はいつだって見てたしね。アフターでの遊び方だって、他の卓に呼ばれる前の、あのちょこん、って膝を折って挨拶するとこも。アレ、俺好きだったんだよね」
「ふうん?そうなんですか?はい、ちょっと多めに作っちゃいました。酔っぱらってた方が、話しやすいかなあって思って」
「サンキュ。今日、ビップルームでもいいかな、連絡とれる男性スタッフに聞いてもらってもいい?それとも、俺がする?」
「ビップルームですか?多分あいていると思うので、大丈夫だと思いますけど…わかりました、聞いてみますね」
私はまだ自分の柚子サワーにはありつけないらしい。
スマホを表にすると、何名からかのラインを受信していて、ユウキさんもスマホを弄り出したので、こちらも手早く数名に返信をしてしまう。
それから、マネージャーに、ビップルームを22時にユウキさんの名前で取っておいてください、とお願いをした。
時間は20時半。
まだまだ同伴の時間は長いので、あまり酔うなとは言われていたけれど、どうやらそうもいかないらしい。
私は結局、酒が目の前にあって、飲んでも良い状況だったのであれば、喜んで飲んでしまうのだ。
そうしてそれは、マネージャーですらも止められない。
側にいてくれたならば、全然違うのだけれど。
「ガルバとかスナック行っても、うたこちゃんて歌わなかっただろ。どんな歌うたうの?」
「歌ですか?あ~…なんか、古い歌?ですかね。ミサみたいに流行りの歌を知っていたら良いんですけど。私は偏っているんですよ」
「へえ。楽しみにしてるよ。照れるんだったら、好きなだけ飲んでもいいし。店でも飲むけど、他の客に迷惑かかるようだったら、ビップルームで寝てればいいよ」
「そう言うわけにはいかないですよ。一応、こんな私でも、お喋りがしたいって言ってくれるお客様もいますし」
「じゃ、ギリだな。キツイなって思ったら、戻っておいでよ。適当に店の人に言っておくから」
「そう言うのってよくなーい!なんか、好きじゃなーい!」
ちゃんと、私に会う為に金を支払ってくれて店に来てくれているのだ。
私が楽しませられるだけ楽しませて、良い気分で帰って頂かなくては気が済まないのだ。
サボりみたいな、楽チンな卓でずっとぬくぬくさせててもらう、だなんて。
そんなことは出来ない。
出来ることならしたいかも、と言う気分にはなってしまうかもしれないけれど、それでもなんだか許せない。
だってその間、私の指名客はヘルプのキャストのお姉さんとの時間を楽しんでいるわけで、下手をしたらそちらに心を持って行かれてしまうかもしれないのだ。
それもそれで嫌だし、何よりもどちらにも申し訳ない。
「おお、珍しいな、甘えてこないなんて。いいんですかー?とか言って、好き勝手に振る舞えばいいじゃないの」
「嫌ですよ。私はちゃんと、私を指名して下さったお客様には満足して頂きたいですし、まだ営業中でお給料が発生していると言うのに、ぬくぬくと眠ってるなんて出来ません」
「へえええ。うたこちゃん、やっぱり三番目で決まりかなあ。二番目にするにしては年齢がアレだし。一番はね、不動だから、俺は」
「なんか、三番目三番目って、良く言われてるのか悪く言われてるのかわからなくなって来ちゃいました。実は、ユウキさんって失礼な方なんですか?」
クスクスと笑って、二本目のジョッキの取っ手を掴むと、炭酸の効いた甘酸っぱくて美味しい液体で口内をいっぱいにする。
酒でぷっくりと膨らませて見せた頬は、一応怒っている、不貞腐れている、と言うのが伝わるように表現してみたのだが、まあ、なんせ中身は酒だ。
ユウキさんも大きく低い笑い声を上げると、自分のロックグラスを傾け、一気にからっぽにしてしまう。
「正直者って言ってよ」
「…正直者、ですか」
「そう、俺は割と正直だよ」
「嘘つかないってことですか?」
「たまにはつくね」
「それ、正直者って言わないですよ」
嘘つきな正直者の中村さんが、ここにも一人いた。
謎の人で、嘘つきで正直者の、中村さん。
その時は私は、ただ苗字が同じだけの、たまたま今日一回同伴出勤して、指名してもらうだけの客だと思っていたのだ。
だってユウキさんには、一番の推しのキャストがいるのだし。
私のような小娘は、ちょっと遊ぶのに体の良い、扱いやすい位置の女なのだろうと。
それになんたってメンヘラが嫌い、って言う時点でアウトなのではないだろうか?
と言う気もいしていたし。
三番目。
その言葉の意味ってやつを。
出来ればもっと、早めに教えておいてもらえれば助かったのだが。
そしたら私は、ユウキさんのことを軽蔑するだろうと彼はわかっていたのかもしれない。
そうか、だからハッキリとは言わなかったのか、と。
今ならわかるのだけれど。
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