ピッタリの輝き

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ピッタリの輝き

「失礼します。こちら、如何なさいましょうか」 「あー、やってくれる?俺、多分酔ってるから、ちゃんと出来ないと思うんだよね」 「わーい、動画と写メ撮っていいですか?ユウキさん!可愛いし、なんか私にピッタリって感じ」 「可愛いから?」 「何言ってるんですか。私は可愛くないので、このくらいの小さなヤツがお似合いかなあ、ってことですよ」 「あっはっは、うたこちゃんねえ、満面の笑みで言われても俺も困るよ。それ普通、嫌味で言うやつだよ」 黒いスーツ姿のその人にしがみつきたいと思った、そんなこと出来るわけなどないのに。 アルマンドのロゼの栓をあけると、マネージャーがてっぺんのクープ型のグラスに中身を丁寧に注いで行く。 なみなみとたゆみ溢れ出して、そのすぐ下のグラスへ、そしてまた同じようにしてその下へ、と言った具合に、多少の内容量の差はあれど、ゆっくりと行きわたって行く。 私はその様をスマホで動画に撮影しながら、酔っぱらった頭と瞳でうっとりと眺める。 そうしていると、先ほどまでの何とも言えない嫌な予感は、ゆっくりと薄れて行く。 一番下のグラスから零れた液体がしとしととバットに広がって行くのを見届けると、私はスマホでの撮影を一旦止めて膝の上に置く。 くるりとユウキさんの方へ上半身を捻って向けると、ペコリと頭を下げてお礼を言った。 「ユウキさん、遅くなりました。あの、全部、本当にありがとうございます。私なんかにはもったいないです…」 「おいおい、本当だったら、こんな小さいの入れられるくらいだったらいらない!って怒るとこなんだぞ、こう言うのは。ほら、うたこちゃん、怒って」 すると、ほど良く酔っているのであろうユウキさんも、相変わらずニコニコとしながら私の片腕を取ると、弱く握られている拳で自分の頭をポン、と叩かせた。 ひゃ、っと思って、慌ててその手を引っ込めると、油断ならない人ですねえ、と呟きつつこう続ける。 「言ったじゃないですか。私にはこのくらいで十分って!本当に、心から嬉しかったんです。えっと、こう言うのってどうするんですか?普通は飾っとくんですか?」 「好きな方でいいよ。飾っとくなら他のやつ何か頼むけど、どうする?」 「え!飲まないの、もったいないですよお。じゃあ、飲んでから!全部!そしたら次にしましょう!」 私がそう言うだろうとわかっていたのか、マネージャーはすぐに一番上のグラスを取って、底の部分を拭いてコトンとテーブルの上に置いた。 そして、もう一つ同じように二段目の取りやすい場所のグラスを手にすると、こちらの方も濡れている部分を拭った。 「前、失礼致します」 「えー!なーんだ!私、直接そこから一個ずつ、腰に手えあてて飲むつもりだったのにいー!」 私の前と、ユウキさんの前に、マネージャーがシャンパングラスをそっと置いてくれたので、思わずそう言って立ち上がる為に浮かせていた腰をソファに沈める。 ほんの少しばかり不服そうな私に、マネージャーは呆れて、ユウキさんは豪快に笑った。 二人の中村さんの笑い声に包まれて、和やかなビップルームで私は楽しくて愉快な気持ちで私は過ごす。 隣からは、ユウキさんが吸う煙草の煙がふんわりと漂ってくる。 その香りと雰囲気から、ついつい自分も吸いたくなってしまうけれど、あと数時間の我慢だ。 私の好きな色がピンクだと言うことを、いつの間にか知っていて、ロゼのシャンパンを頼んでくれたユウキさん。 どう言うわけだか、突然ミニシャンパンタワーなんかをやってくれて、店には迷惑をかけてしまったかもしれないけれど、私を喜ばせてくれたユウキさん。 いつか私、ユウキさんの前で煙草吸ってたりして、なんてね。 そんなわけないのに。 ね、マネージャー。 ミニシャンパンタワーに使われていたクープ型のグラスで、片方のテーブルが半分以上埋まっている。 その中で、シャンパンの量が不足していたものへと、マネージャーが次から次へとつぎ足して行く。 それが全て終わると、マネージャ―は静かにドアのところまで下がって一礼した。 「では、失礼致しました」 「マネージャー!ありがとうございましたー!」 「どうもね、次からこんな無理なことお願いしたりしないから。多分ね。本当に、ごめんね」 「ユウキ様、どうぞお気になさらないで下さい。では、また何かありましたらお申しつけ下さい」 マネージャ―が出て行ってしまうと、私は目の前のシャンパングラスを持って、乾杯する為に再びユウキさんの方へ体を向ける。 彼の方も、私が笑顔だからだろうか、嬉しそうにシャンパングラスを持って、少しだけ傾ける。 こうして色恋をかけていない指名客と共に、シャンパンを飲むなんてことは、すっかりなくなってしまったなあ、と思うと、自分の力量のなさや手管の限界を感じて悔しくも思った。 カチン、とグラス同士が当たって音を立てる。 私は、乾杯、いただきます、と言ってから、心の中では、ええい仕方がないじゃないか!と、マイナス思考になりそうな気分を消し去るように思いっきり叫び、クイっと一気飲みをした。 だってさ、それしかその時は出来なかったんだから。 だってさ、私にはそれしか思いつく最善策はなかったんだから。 だってさ、それでもなんとか今日までやって来たんだから。 「わーい!美味しい!ユウキさん、本当にありがとう!!」 私は、二杯目のグラスに手を伸ばしながら、パタパタと伸ばした両足をはしゃいで騒がしく上下に動かす。 ヒールのカカトが床に敷かれた絨毯に、ポスポスと何度か埋まる気の抜けた音がする。 「うたこちゃんは元気でいいね。いつも元気でいて欲しいなって思わせる何かがあるのかもしれないなあ。ミサには本当に申し訳ないんだけどね。俺じゃ、支えになってやれないからね。店のこととかでしかさ」 「…えっと、うん。なるほどです。そう言うことかあ…。ちょっと、わかったかもです。もしかして、ユウキさん、何か相談されました?」 「言えないんだけどね。ミサの大事な話だろうし。きっと、うたこちゃんは知ってるんだろうけど」 「多分、片付いた話かなあ。それとも…その後まだ何かあるのか…いえ、詮索はしないので、大丈夫です」 「うん、助かるよ。いやね、俺は客だからさ。ミサの私生活はどうにもしてやれないだろ?」 どうやら、ユウキさんはメンヘラが無理だとか、自分の精神状態の調子でいきなり店を休んだり、出勤時間などを守らないなどと言った、ルーズなコが苦手だとか、そう言うわけではなかったらしい。 それらも、もしかしたら多少はあるのかもしれないけれど、そう言うコには自分は何もしてやれないから、何か求められても助けてやれないから、なるべくなら指名客でいることは自分からはやめておく、と言うスタンスのようだった。 「そうですね、応援しているキャストの女のコの私生活を助けてあげたい、力になりたいと言う方もいるでしょうけど、そうじゃない方もいらっしゃいますよね。ユウキさんは、そっちってこと。ただ、それだけの話ですよね?」 「まー相談の種類にもよるし、全く相談にのらないとかじゃないけど、内容にもよるよねえ」 「ミサってば一体何を…ま、いいです!これからもユウキさんは、ミサに態度、変わったりしないんですよね?」 「もちろんそうだよ。嫌いなわけでもないし、仲良くしてくれてた時間は大切だと思ってるし、楽しかったからね」 喋りながらも、私がパカパカシャンパンを飲んでしまうものだから、ユウキさんはずっと半分笑っている。 いや、わかってる。 真面目な話をしてるのはわかってるんですよ。 でもですね、私は酔っていないと面白くないので、いえ、この場が面白くないとかじゃなくてですね、私と言う人間が面白い人間になれないので、と言う意味で、面白くないので、とにかくもっと早く酔いたいんです。 「笑いますけどねえー!必死なんですよ、これで!いっつも必死!元気は元気ですけど、やっぱりお客様には楽しんで欲しいですからねえ!」 「うーん、そんなに無理しなくてもいいよ?俺んとこではさ」 「なんて言うか、自分も楽しいのが好きなんですよー!後は、純粋にシャンパン美味しいです!美味い!マジで!」 「そうなの?他には?」 「売り上げと、自分の価値かなあ!!」 「ほうほう、そう言う感じか」 この人には、店での私のことを何か隠そうとしたって、どうやら無駄だと言うことがなんとなくわかった。 何より、はじめに彼自身が、私に全てを明かしてくれたではないか。 一番がいる、二番がいる、うたこちゃんは三番目になってもらうつもり、と、そんなようなことを。 そう簡単に、その三番目とやらに私がなれるのかどうかは、これからの頑張り次第と言った感じなのだろうけれど。 つまり、私と会うことにそれなりの意味を見出して、それを得る為ならば金と自分の時間を割いても良いと思わせるようなキャスト。 例え一番ではなくても、他の店にも通うとしても、私がそのようなキャストであれば、この店へも通う、と言うことだ。 そう言われたのだ、と私は理解したのだが。 合っているのだろうかどうなのだろうか。 ユウキさんの三番目はきっと入れかわることもあるだろうし、初めからそのつもりでいかなくては、と考えてもいたけれど、なるべくだったらそりゃあ指名客として通って欲しい。 「ユウキさんも飲んで飲んでえ!カラオケするんですよね?一番目のコが好きな歌をうたうんですか?」 「いいよ、それは。別んトコに来た時くらい、自分の好きな歌をうたうことにするよ」 「それもいいじゃないですか!さては、一番目のコの前では、結構無理してますね?」 「そりゃあねえ。まあでも、こればっかりは惚れた弱み。惚れたって言うのは、生き様だよ。そのコの生き方、本当に、カッコイイんだよねえ。なかなかいないと思うよ、あんなコは。つまりね、そのコに女として惚れ込んでるわけじゃないんだよねえ」 「…へえ、私、いつか会ってみたいな、そんな凄い人。でも、時間もお金もないです。…あとは、勇気が、ないかな」 そうか、そんなにすごい女性なんだ。 ツカサさんと言う源氏名を名乗っている、あのキャストのお姉さんは。 私が勝手に思っているだけだが、いつだかの超人気があったキャストのお姉さんのことを忘れられないのかもしれない中村さん。 有名で、沢山の人を惹きつけてやまない、そのツカサさんと言うキャストのお姉さんのことを、一番だけれど手に入れようだとかは考えていない中村さん。 なんで二人とも、そんなに魅力があるのに、きっとモテると思うのに、手早くお手軽に良くある幸福を選んだりしないんですか。 ああそうか、幸福って言うのは、本人が決めることだった。 だから、私だってこうしているのだった。 すみませんでした、二人の中村さん。 彼らは、きっと既に幸福でもあるのだ。
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