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飼い主さま
なんだか良くわからないけれど笑っていて、なんだか良くわからないけれどシャンパンやキープボトルをからっぽにしている。
そうしつつも、目の前の客はちゃんと楽しめているか、本心から愉快だと感じて笑顔でいてくれているのかどうかを探る。
大丈夫だよね、平気だよね、ちゃんと出来てるよね、私、失敗してないよね。
いつもどこかでは常にハラハラしていて、誰かに確認を取りたくてたまらないのだ。
しっかり出来ていると、今のでいいのだと、間違えていないよと、そう言って欲しくて。
喉を焼く熱いアルコールの触感に、思わず目尻に涙が浮かぶけれど、顎を思いっきり上げたのと同時にフロアを目だけでくるりと眺める。
マネージャ―、………ねえ、私、これでいいのかな。
客と絡めた腕とは逆の方の手で、私は再びキープボトルを掴むと、バカなことをまたすぐにやらかす。
割物で割ることもせずに、直接小さな飲み口に唇をつけ、どこまで飲めるかをさっきから競わされている、一人で。
そう、つまり競ってはいない、一人でキープボトルをラッパ飲みしているだけだ。
「ううんっ、…っ!ぱあ!!うええっ~何い?んんん?チョコお…??」
「うはは!うたこちゃん、やっばおっもしれえ!前についた時の記憶ってあんの?って言うかチョコじゃねえよ。どこがチョコなのよ、逆に!ブランデーだよ、コレ」
「えええ~?ぶらんでえ…、コニャック?」
「それもブランデーだけど。コレ、うたこちゃんの為に入れたんだし、頑張って!イレモン可愛いって言ったろ?からにしたら、もらえるんじゃないの?」
言った、確かに言うだけならタダだから、言うだけ言ってみたのだ。
そしたらまさかの、ブランデーのキープボトルを入れてもらえた。
そこまでは良い、よくあることだし。
そして、普通だったならば、グラスを自分と増田さんの分の二つ頼んで、水割りなりロックなりストレートなり、それぞれの好きな飲み方で楽しんでいるべき時間なはず。
これは、とっても正しくないブランデーの飲み方だけれど、でもこの客、増田さんがそう言う場がお望みならばせざるを得まい。
私はこの人がどんな人なのかまだ良くわからないし、すごく飲むテンションの高い面白おかしいキャストのキャラで通してしまうべきなのか、それとも別の顔も持ち合わせているのかを、出来ればこの卓にいられる時間以内に把握してしまいたい。
「私結構頑張ったんでえ、次は増田さんですねえ~!記憶とか!普通に超ありますからあ!増田さん、私のことを潰そうとしたでしょお?」
「へー!覚えてんだ!あんなに飲んでも記憶なくならないもんなんだなあ!すげえじゃん。今日もこの間の続きってことで!俺は一人でゆっくり飲むのが好きなんだよ」
「意味不明ですよお?女のコには一気飲みさせてて、自分はのんびり手酌でいいとか。何故ここに??って感じなんですけどお…」
「はは、そうなんだけどさ。騒いでくれる人がいた方がいいんだよ。なんとなく喋ってはくれて、適度にうるさい雰囲気で、でも自分は好きなペースで飲んでたいみたいな。すっげえ嫌だろ、俺の卓」
「まあまあそうですねえ!ややこしい!!一緒に楽しく飲んだ方がいいと思うんですけど、違うんだあ…不思議だあ…でも、ピンクは可愛いしい、ありがとおございます、増田さん」
「いえいえ、どういたしまして!礼儀正しいな、うたこちゃん」
卓についた時、増田さんはメニューを広げていたから、ひょこっと自分も覗いてみて、なんとなく言っただけだった。
邪な気持ちなんて一切なくて、無邪気に無知に何も考えずに、へえ、なんて一人で納得しながら一言呟いただけだった。
いや、一言ではない、付け足した、確かに余計なことも付け足した。
だって酔っぱらっていたのだ、だから色々疎かになっていただけで、まさかこんなことになるとはつゆほども思っていなかった。
「へえ、ハート!キープボトルなのに?ちゃんと、赤いの?それとも、ピンク?」
どう考えても、この酒に興味あります的な感じだったとは思う。
そして、あからさまに「私はこの酒を知らないし見たことも飲んだこともないかも」と親切丁寧にわざわざ、女のコにだけ一気飲みやらラッパ飲みをやらせることが趣味のような客に、お知らせしてしまったわけだ。
しかも増田さん、たまの贅沢だと言うではないか、つまりこのくらいの値段の物は頻繁には入れられないのだ。
うん、それはつまりありがたいことで、増田さんにはきちんと返せる分の満たされるお時間を差し上げなくては、と言うわけだ。
「わかりましたあ!増田さんがあ、それがいいって言うんでしたらあ!ただ、一気に全部って言うのはあ…ちょっと無理めですねえ。そこは、ごめんです、無理」
「そりゃそうでしょ、全部一気にからっぽにされちまったら、あと俺はどうすんのよ。はははっ!いくぞ、っと思ったらやる、くらいでいいから。変なとこ真面目だなあ。あ、でも俺の酒も別に作んなくていいからね。自分でやっから」
「んー?増田さんはアレかあ、あの、不良がたまにイイコトすると、イイヒトに見えるみたいな、そういう手法取る人ですねえ」
「何いってんの。めっちゃ笑うわ、全然わかんねえ」
この増田さんの卓では、私は実際には酔い酔いながらもお喋りを主に楽しみ、時々、今いける!!と思った瞬間や、増田さんがいって欲しそうだぞ!!と思えた瞬間を狙って、そのブランデーをラッパ飲みした。
何度かに分けて、本当にちょこっとずつではあったかもしれないけれど、それでもちゃんと終わりと言うものはやって来るのだ。
私は感動したし、やり切った感でガッツポーズを取ったし、そんな意味不明な私の行動を見ていて増田さんはそれなりに満足してくれたらしく、拍手をしてくれた。
あーわかったーやっぱ私はーどこまで行ってもー犬なんだわー。
「ねえねえ、増田さん、わん」
「はあ?何?うたこちゃん、結構キてる?」
「わんわん!もう一個お~!」
「いやいや、やめとけってさすがに、金とかじゃなくて体的にも、残りの時間的にも」
「そ?やはり、増田さんは意外と優しいって言うねえ!ほほーん。じゃあ、氷食ってます、私~」
「うはははは!!何、もうわけわかんねえ!!変な女あ!!」
勝手に世界の方が揺れているのだと感じてしまうけれど、どうせゆらゆらと左右にグラついているのは自分の体の方なのだろう。
アイスペールから、失礼ながらおしぼりで拭いた指で直接アイスを一つ二つ掴んで来ると、口の中に入れてカラコロと大きすぎる飴玉のように頬をパンパンにしながら舐める。
そして、時々齧ってガリゴリッと砕くのだが、その音が鳴るたびに増田さんはお腹を抱えて笑う。
なんだろう、笑いのツボが浅い人なのだろうか、ただ氷を食らっているだけで笑ってもらえるなんて楽だな、と思っていた。
「へんって、言ひまふけどねえ、増田さんだって、へんなんでふけど…」
「まあまあ、言われるけども。そうね、変ね、俺もうたこちゃんもね、ま、楽しけりゃいいんじゃないの」
「ん、っと。からになりましたあ。あのですねえ、犬って、多分めちゃくちゃ古い死語??みたいなのがあ、あるんですよお。すっごい昔、ホスクラでは、ぶちゃいくでえ、会話も上手く出来なくてえ、飲むことくらいでしか売り上げをあげられないってヤツを、犬って、多分、蔑称だと思うんですけどお。そう呼んだんですってって話です」
「悪い、蔑称って何?」
「ああええとお、侮蔑語って言うかあ、差別して、みたいなあ、バカにして使った呼び名ってことですねえ」
「そう言うこと。うたこちゃんは、自分が、その犬ってやつみてえだなあ、って思ったってこと?」
「そうですねえ、いっつも思ってますよお!でも別に、いいんですそれでえ。嫌じゃないですよお、犬もいいもんです、飼い主さえいれば!」
ほら、丁度ピッタリ。
歩く歩幅まで読めるようになって来ちゃったのかな。
しっかり聞いてたでしょう、今の話を全部、聞こえる距離に来たなあって思ったからしはじめたんだもん。
ね、私の飼い主さん、今回だってちゃんと三日間頑張ったら、何か素敵なご褒美が用意されてるんだよね?
もし何もなくっても、私は全然いいし気にもしないし少しも変わらないけれど。
それでも少しだけ期待はしてる。
その方が無理が出来るから、そう言う体だから、私はいらないはずの期待をすることにした。
気ままに、たまーに、だけどね。
「うたこさん、お願い致します」
「はあーい!」
ずっと増田さんの顔を見て話をしてはいた。
表情をコロコロと変えながら、それでも視界の端に入って来た黒いスーツのひょろっと背の高い彼が、この小話を全て耳に収めることが出来るだろうと計算しながら。
良くない、良くない、怒られる、とわかっているのに、歌うように最後の一文をするりと喉の奥から紡ぎ出す。
スッキリしたあ、なんて幸福感、どういうわけなのこんな気持ちになるなんて。
「あー、うたこちゃん行っちゃうのねー。意味深な話してたから聞きたかったんだけどなあ、続き」
「また次、ですかねえ?もうラストになっちゃうしい!実はあ、この話ねえ、超ながあーいんですよお」
「そうなの?じゃ、やめとくかなあ。一人がずーっと喋ってても、つまんねえだろ?」
「その通りー!だからこの話はずっと一生私だけの秘密って言うことです。さっすがあ!増田さん。ハート、ありがとおございましたあ!!」
パッと頭を切り替えるつもりで勢い良く立ち上がると、ぐわん、と天井が歪んだようにこちらに向かって落ちて来そうに錯覚してしまう。
こりゃあ酔っぱらったわあ、と思いつつも、ヒールの先につま先を押し込むと倒れないように、と気をつけてテーブルの外へ出る。
物凄く、ここがまるで宇宙のようで、私は頼りなくそこを漂っているだけの藻屑でしかなくて。
「…マネージャー…すみません…水…」
「こちら、リョウさんです。よろしくお願い致します」
マネージャ―の後ろにいたリョウさんが前に進み出て、頭を下げて笑顔で増田さんに挨拶をしている。
彼女が卓のソファに座る頃、私もフロアの床に座っていたものだから驚いた。
近くにいたみんなが、驚愕していたけれど、和やかに笑ってもいた。
もちろん、私以外のみんな、と言う意味だが。
増田さんに、頑張ったもんなーと元気が出るんだか出ないんだかわからないヤジを飛ばされつつ、リョウさんは無理に作った苦笑いを、私に気を遣って見せないようにハンカチで口元を隠している。
マネージャ―がひとしきり上手いことを言って、場を盛り立てて、話しの中心が増田さんとリョウさんになるように誘導している。
全部わかる。
わかるけど。
脚に力は入らないし、この箱全体が惑星のように自転をしながらも微妙に位置を変えてゆくような、なんだこの感覚は。
私は、動かせる体の部位はどことどこがあるのかと、必死で藻掻いているのだけれど、指先がフロアの冷たい床を撫でるだけだった。
「では、失礼致します」
「あ……、まねーじゃ、…あの、私、立てな……」
「しょうがないですねえ、うちのおっきなあかちゃんはあ…」
「…うえーん、ばぶーう…」
私のポジションは今、赤ちゃん。
いいです、心だけではハッピーな花嫁だとでも思っておきますので。
白いドレスで好きな人にお姫様抱っこをされているけれど、見る人みんな笑っているか気にもとめていないかのどちらかだ。
一切のロマンチックを排除され、通り道では話しかけて来る客によって爆笑してみせたり、困った顔をしてみせたり、ため息だってつかれてしまった。
そんなわけで、ぐでんぐでんになってしまった私は、増田さんの卓からマネージャーのお姫様抱っこにより厨房まで輸送される運びとなった。
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