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ヒールのない靴
「あ!うたちゃーん!起きたよー」
「ミサ、水いる?厨房でもらってこようか?」
「もうマネージャーからもらったー」
「そっか、すみませんでした、マネージャー」
「いいよ。ミサ、歩けそうだから、送らなくて大丈夫だってよ」
「そうですか、本当にありがとうございました」
「うたちゃん、行こお!バックありがと、自分で持つね」
「いつものところでいい?飲み過ぎ禁止ね」
「だいじょうぶ。ご飯食べたいし、お腹空いたあ」
マネージャーがミサの二の腕をつかむと、ひっぱって立ち上がらせる。
ヨロヨロとロッカーに寄りかかりながら、ミサはそれでも自分の脚で一歩ずつこちらへと歩いて来た。
良かった、もう大丈夫そう。
酔いはまだ残ってるみたいだけど、これくらいなら平気だよね。
マネージャーが私たちの横を通ってロッカールームから出て行くので、私は振り返って「お疲れ様でした!!」と元気良く声をかけた。
マネージャーは「お疲れさーん」なんて軽い調子で言って、そのまま店長の元へと戻って行ってしまった。
さて、と。
私はミサの方へと向き直る。
彼女はいつものように、楽しそうに私の腕に自分の腕を絡めてくる。
思わずよろけないように踏ん張るけれど、私の方がミサよりも高いヒールを履いていたので、なんとか均衡が取れる。
そこで、あれ?と思ってしまう。
ミサも、カカトの高いハイヒールが好きじゃなかったっけ、と思ったのだ。
いつもだったら、こう言う時に、私はかなり体勢を崩すし、下手をすると転ぶのだが。
150しか身長のない私と、170近くあるミサ。
普段なら、さらに6~8センチくらいのハイヒールを履いていて、まるでモデルのようにカッコいいのだ。
それが今日はどういうわけか、店用のハイヒールから履き替えた靴は、ペタンコな、カカトのほとんどないパンプスであった。
「ミサ、靴どうしたの?」
「ああー!うたちゃん、気づいてくれたあ!」
「うん、だっていつもと違うから」
「彼氏がこっちの方がいいって言うから」
「そうなの?ミサは、ハイヒールもカッコいいよ」
「でも、彼氏ね、背が私と同じくらいだし」
「そっか」
「こっちのが、可愛いよ、って言ってくれたの」
「…うん、良かったね」
ミサの、好きな人から可愛いと言われたい、と言う気持ちは良くわかったので、私は何も言えなくなってしまう。
ただ、ミサの、ミサらしいところや、ミサの好きなものを、そのまんま全部を受け入れて、好きだと言ってくれるような彼氏ではないのだな、と言うことだけはわかった。
自分よりも背が高い彼女と道を歩くのは嫌だと思うような、そういう彼氏なのかもしれない、と言うことだ。
なるほど。
私だったらそんな彼氏は嫌だと思うかもしれないけれど、ミサはその彼氏のことが大好きなようだし、ミサが夢中になるようないいところも沢山ある人なのかもしれない。
今日、この後で居酒屋に着いたら、惚気話を聞かせてよ、なんて言って、ちょっと偵察させてもらおう。
ミサがどんな男と付き合おうと、ミサがどんな男を好きになろうと、ミサの勝手だし、ミサの自由なのだけれど。
それでも私にとっては、その「彼氏」の存在一つのせいで、なんだか今までの楽しいミサとの毎日が脅かされてしまいそうだなんて言う、不穏な予感に胸を痛めることとなった。
ミサのことが心配だった。
ミサは変わってしまうのだろうか。
その彼氏に、好きでいてもらうためだけに。
そうして、私もそうやって変わってしまったりするのだろうか?
好きな人に、好きになって欲しいと思ったら。
好きな人に、夢中になってしまったら。
ミサのようになってしまうのだろうか。
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