実際は?

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実際は?

その時の私には、そんな、本当だったら可愛らしい少女の恋のような、ありきたりなことが、物凄く怖いことのように思えた。 自分がなくなっちゃうんじゃないかな、って。 大切にしていたものさえ、価値を失くしてしまう。 好きな人に好きでいてもらえるなら、別人になったって構わない、そんな風になっちゃうのかな、って。 でも、私には、元々自分なんてものはないような気もしていた。 だったら、いっそその方が、楽になれるのかな? 「うたちゃんは彼氏作らないのー」 「うーん、今は、…好きな人が、いないから」 「そっかあ、みんなでご飯とか行きたいのにな」 「うん、楽しそうだね」 「絶対楽しいよー!」 ミサと一緒に店の自動ドアを出て、踊り場に出ると、横長の短い階段を下りる。 それから他愛もない会話をしながらすぐ近くの居酒屋までの道を、ハイヒールを鳴らして歩く。 私だけの、一個だけになってしまったその音が、なんだか少し物悲しかった。 居酒屋につくと、もう私たちは馴染みの客なので、店員が「いらっしゃい、今日はそんなに酔ってないんだね」なんて、からかいを含めて出迎えてくれる。 私たちは「いつものお部屋がいいでーす」なんて言って、お座敷の方へ案内してもらう。 脚が伸ばせるし、くたびれたら最悪横になったって誰にも何も言われない。 最高。 とりあえず座敷の端っこのテーブルに通してもらうと、はあ、と二人して座り込む。 今日も疲れた、ああ疲れたと言い合って、店員がそんな私たちを見て笑いながらオーダー品を聞いて来る。 私は生ビールを頼んで、ミサは梅酒のロックと焼き鳥を頼んだ。 あまり飲むなと言ったのに、これだ。 そんなミサのことを私はとても好きなのだけれど。 帰りはどうやら肩をかさなければならなそうだな、と思いつつも、聞きたかった二つのことのうちの一つをさっそく聞いてみることにした。 「ねえねえミサ、あのさ、ミサってマネージャーに相談事とかしたことある?ラインとか電話とか、店以外で会ったりとかして」 「えええ?なんでそんなこと聞くの?」 「お店で禁止されてることとかさ、別に破っていいのかなって。ただの暗黙の了解ってやつがあるのかなって思って」 「うたちゃん、なんかマネージャーに相談あるの?」 「うーん、例えばなんだけど、休みたい日に普通にマジで病んでるから休みたい、とか言ってもいいのかなあって」 「それは別にいいっしょ、普通に言うよ」 「あ、そうなんだ」 欠勤したい時の理由を伝えることは、私的な関わりや、相談には当てはまらなかったらしい。 もしくは、私がバカ真面目に規則をそのまま鵜呑みにし過ぎていただけと言う可能性もアリだ。 それに、可愛い子ぶってる癖して本当は負けず嫌いだった私は、人に弱みを見せたり、泣きついたり、慰めてもらうことがあまり得意ではなかった。 でも、マネージャーにだったらいいかな、なんてちょっと思ってしまう。 頼ってみたい、あのひとにだったら。
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