浮気

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浮気

それから数ヶ月経った、とある日のことだ。 私は相も変わらずメンヘラであったので、自分の住んでいたマンションのある最寄り駅から一つばかり先にある駅の近くにある心療内科へと、月に一度通っていた。 大抵予約の時間は午前中で、店を上がってそのまま起きていて、予約の時間が近づいたら心療内科へと向かう、と言う場合が多かった。 もちろんとても酔っぱらった状態のまま、その心療内科へと受診することもあった。 とんでもなく迷惑な患者であったことであろう。 その日も、処方されている薬をもらう為に、予約の時間である午前9時には、心療内科へとやって来たところだった。 酔いはほどほどで、酒臭くはあるかもしれないが、他の患者には迷惑にならないようにしなければ、と言う意識はちゃんとあった。 受付で保険証と診察券を出し、番号が書かれたラミネートされている小さな紙を渡される。 その病院では、自分の診察の番がやって来ると、名前で呼ばれるのではなくて番号で呼ばれるようになっていた。 こじんまりとした、医師が個人で経営していると思われる心療内科で、幾つかの椅子が間隔を少だけあけて、診察室のある方へ向かって並べてある。 その中の一番後ろ、端っこがあいていたので、私はその席に座った。 スマホをカバンから取り出すと、自分の番号が呼ばれるのを待っている間に、何人かの客にラインを送ったり、やりとりをしたり、今日来店してもらえるようにとアレコレ考えながら、なるべく自然な流れでそう仕向けられるように心がけて文章を作る。 そんな風に待ち時間を過ごし、私の番号が呼ばれる。 診察室には、大きな横長の机の上に数々の分厚い本、そしてパソコン。 部屋を囲むように置かれている、天井まであるアンティーク調の本棚たち。 そして、立派で黒一色の、背もたれが頭よりも飛びぬけている、まるでどこかの会社の社長が座るような椅子にゆったりと腰掛けている主治医。 彼は、「最近はどうですか」といつもと変わらない言葉を私にかける。 それに「相変わらずです。ちょっと寝つきが悪くて困っている、くらいです」と答える。 その日私は、出来れば飲だら即効効くような、そんな睡眠導入剤が欲しかった。 主治医は私がいつも酒を飲んでここに訪れていることを知っていただろうに、平気でそう言う類の薬を処方してくれる医師だった。 都会だったから、メンヘラなキャバ嬢などと言う患者は珍しくもなんともなかったのかもしれない。 「では、少し強めのお薬に変更しておくので、何かあったらまた受診して下さいね」 そう言われ、私は「はい、いつもありがとうございます」と丁寧にお辞儀をして診察室を後にする。 薬さえ貰えれば良かったのだ、私は。 たくさんの頓服と、睡眠導入剤、つまり眠剤、それだけで良かった。 私はこの頃もよく自傷行為をしていた。 いつだって、精神科や心療内科に通っていても、精神的な問題の何かが解決したと言うことは一度もなかった。 だからもうそれは諦めていた。 薬で、酷い状態になりそうな時に、その気持ちを抑え、持ち直し、楽にさえなれるのであれば良いと考えていた。 少しの時間を再び待合室で過ごし、今度は受付から私の番号が呼ばれる。 会計の際に、ラミネートされた紙を返すと、会計を済ませる。 処方箋を受け取り、その心療内科を出て、近くにある調剤薬局へと向かう。 今日は同伴の予定があったので、部屋に戻ったらすぐに化粧を落とし、シャワーを浴びて早めに寝なくては、と考えながら、薬局までの道のりを歩いていた。 すると、スマホがラインの受信にしては長いこと震え、それが電話であることを知らせる。 スマホをジャケットのポケットから出して、誰からの着信かと思い確認すると、ミサだった。 「ミサ、なんかあった?」 『うたちゃん、あのね、今から、会えないかな?』 「え、っと、いいけど、ちょっとだけ待てる?」 『うん、駅に着いたら教えて。迎えに行くから』 「…どうしたの?」 『ユウくんが、浮気してる』 「ああ、」 ミサの声は怒りで震えていた。 いや、わからない、哀しみから震えていたのかもしれない。 でも、今にも喚き散らし出しそうな、怒気を孕んだような、そんな緊迫感のある、ドスの効いた迫力のある声音だった。 やはりどう考えても、怒りの方が強そうだった。 でもさ、ミサ、バンドやってる人は、ファンと寝る人多いよ。 そうやって、ライブに呼んだりするんだよ。 自分に夢中にさせて、貢がせるやつもいるよ。 ミサは同棲しているから本カノかもしれないけれど、だからそう言うファンとはちょっと立場は違うかもしれないけれど、金銭的な面では同じで、貢がされているかもしれないんだよ。 そんなことは言えなかった。 言えるわけない。 しかし、ミサは自分が客と寝るのは良くて、彼氏が他の女と寝るのは嫌なのだろうか。 ちょっとその思考や価値観は、私にはよくわからないな、と思う。 とりあえずミサには「落ち着いて」と伝え、「出来るだけ早く行くから、待ってて」と伝えると、通話を切った。
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