あなたの名前

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真夏だと言うのに、まだ外は薄暗いと言っても良い方だろう。 けれどやはり、完全な夜は過ぎ去ってしまっているのだ。 東の方は淡い陽の光が溢れ出しはじめて来ていて、止める事など誰にも出来ない。 今日も暑くなるのだろうな、と、そう思わせるのに、触れたら冷えたガラスのように冷たそうな透明な琥珀色、そんな空だと思った。 まるで薄めた海の底と水面に浮かぶ泡たちが重なり合っている部分との狭間のような色。 綺麗だな、と思った。 酔っぱらった頭で、この微妙な一瞬の、すぐに様変わりしてしまうであろう景色を、ずっと覚えていたいな、と思った。 テーブルに寄りかかったまま、ただただその空模様に見惚れていた。 「ほら、うたこ、お待たせ」 マネージャーがやって来ると、私の脇に、先ほど購入した化粧落とし用のクレンジングオイルと洗顔セットが入っているコンビニの袋を放り、ビールの缶を差し出してくれたので、微笑んで受け取る。 「マネージャー、名刺下さいよ」 彼が床からエアコンのリモコンを拾って冷房を入れる姿を見届けると、私はさっそくマネージャーに甘えた声でお願いをした。 名前、そりゃあ苗字でだけど、「マネージャー」ではなくて、名前で呼びたいと考えていた。 今だけ。 今日だけ。 この時間だけでいい。 仕事じゃない、その間だけでいいから、名前で呼ばせて。 ちゃんと全部、秘密にするから。 マネージャーは、スーツのポケットから名刺入れを取り出すと、中から一枚だけ抜き取って、約束通り私にそれをくれた。 そこには店の名称と住所、電話番号、それから役職名とマネージャーの名前が印刷されている。 そっか、マネージャーの名前は、これか。 これがマネージャーの名前で、うん、でも、なんて読むのかわからない。 テーブルは部屋の壁にくっついているので、空いている箇所は二か所しかない。 私が座っている逆コの字の下にあたる部分ではなくて、横の部分。 マネージャーは、長い脚で大きめの深緑色のクッションを跨ぐと、そこに胡坐をかいて座り、ビールを飲み始める。 その姿を見て、私もプルタブを開けながら当てずっぽうに声に出してみる。 「かえで?そう?りょう?」幾つか、苗字ではなくて、下の名前の方を字面から想像して口に出すと、ううむ、と唸った。 漢検1級を持っていると言うのに、すっかり頭が悪くなってしまったようだった。 「はやて、って読むんだよ」 「はやて!そうなんだ」 「読めないやつ、たまにいるな」 「はやて」 「呼ぶなよ、店で」 「呼びませんよ」 もらった名刺を、カバンの中を探って、「客から貰った名刺を入れる方」の名刺入れを見つけると、そこに仕舞おうとする。 でも、ちょっと考えて、…そうだ。 こうしよう。
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