何にも気にしない?

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何にも気にしない?

良いことを思いついた。 私は、中村さんからもらった彼の名刺を、「自分の名刺を入れてある方」の名刺入れに仕舞った。 誰にも見られないように、一番後ろにそっと差し込む。 店の営業中に、何か辛いことがあったり、悔しい想いをしたり、哀しくて泣きそうになったりしたら、こっそりそれを見ることにしよう、なんて思いながら。 「うたこは、今日は同伴ないのか」 「あ!ちょっと、お客さんにラインしますね」 「ふ、真面目だよなあ」 「だって、No3までには入りたいですから」 「おまえは十分がんばってるよ」 「…中村さん」 「ん?」 「中村、颯、って言うんですね」 「本当に店で呼ぶなよ、下の名前。まあ、上もダメだけど」 「気をつけまーす」 私は笑って、ビールをグイグイ飲むと、ぷはあ、と今日の疲れを一気に吹き飛ばすように明るく声を出して息を吐いた。 マネージャーはもう飲み終わってしまったようで、次の一本を冷蔵庫に取りに行く。 私は時間を確認して、6時過ぎならばもう起きている客もいるだろう、と、妻子のいないと思われる客を選んで営業のラインを送る。 おはようごさいます、って。 今日もお仕事頑張って下さい、って。 いつも応援しています、って。 でも無理はしないでね、って。 いつも元気な貴方が好きだから、って。 そんなことばかり、店で話した内容を付け足して、いつも通りに。 自分が言われたかった言葉たちを。 自分が誰かから、いつも言われたいって、そう願っていた言葉たちを。 「うたこー、次、酎ハイでいいか」 「はい、空き缶ってどうしたらいいですか」 「ベランダにゴミ袋あるけど、後でまとめて入れるからその辺置いといて」 「わかりました」 「化粧どうする、もう落とすか」 「あ!!」 私は何も考えていなかった、気づいていなかった、思い浮かびもしなかった。 私が化粧を落とす、寝る為に。 肌が荒れないように、起きた時に酷い状態の顔にならないように。 それは、中村さんに、好きな人に、綺麗なお姉さんや可愛らしいお姉さんを普段から沢山見慣れていて、目が肥えている中村さんに、大してなんでもない顔である私が、スッピンを晒すと言う、とんでもなく恐ろしい事態になると言うことだ。 普段から誰かのところに泊まる時には、コンビニで化粧落としセットを購入していた為、今日も何も考えずに同じようにそうしてしまっていた。 しまった、どうしたらいいんだ。 「いや、気にしないから」 「でも、私マジで、化粧してないと、顔が」 「そんなの気にしたことないよ、俺は」 「笑わないですか」 「スッピンなんかみんな同じだから」 「同じなんですか」 「じゃないの」 「みんな同じだから」と言うセリフを、思わず他の女のコの、他のキャストのお姉さんのスッピンも見たことがあるから知っている、と、そういう意味にとってしまう。 でも、だとしても、私はそんなことをイチイチ気にするような性格ではなかったので、とりあえず目の前に置かれた缶酎ハイに手を出すとすぐに開けて、ゴクゴクと飲み干す。 喉が炭酸でじわりと痛む。 残り三分の一、と言うところで、コン、とテーブルの上に戻すと、コンビニ袋から化粧落としセットを取り出す。 「じゃあ、先にすみません、シャワー借ります」 「シャンプーとか男モノなんだけど平気か?」 「うーん、気にしたことないです」 「うたこは、本当に、なんにも気にしないんだな」 そう言うと、中村さんはまた可笑しそうに声を上げて笑った。 中村さんが声を上げて笑うところを、仕事での作り笑いでしか聞いたことがなかったので、私は一体何がそんなに面白かったのだろう、と不思議になる。 私のことで笑っているのは確かだと思うので、まあ、こんな面白みのない人間だと思っていた自分にも、好きな人を笑わせられるような部分があったのだな、と前向きに捉えることにした。 だって、好きな人には笑っていて欲しいじゃないか。 笑っている顔が見たいじゃないか。 もっとたくさん、こうして側で。 二人で、一緒に。
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