No1.にはなれない

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No1.にはなれない

私は、中村さんと寝た。 その間、ずっと気持ちが良かったし、ずっと楽しかった。 愉快、とか、面白い、の方の楽しいと言う感覚だった。 酔っぱらっていたからだろうか、とも思ったけれど、酔っぱらってこういう行為をしたことは今までだって何度かはあったはずだ。 それなのに、私ははじめて、この感じは今までと全然違う、なんて思ってしまったのだ。 嬉しいだとか、幸せだとか、愛してるだとか、そういうのはどうだって良かった。 そもそも、愛してる、は私にはわからない感情だったので、一番近いのはどれかと言われたら、まあ「幸せ」だったのではないだろうかと思う。 そうか、きっとそれだ。 私は多分、あの時とても幸な気分だったのだろう。 もしかしたら私は、恋みたいなことをして、その恋をした相手と、こうして寝るって言う、そんなことがしてみたかったのかもしれない。 普通の恋の、幸せなところだけを味わってみたかったのかもしれない。 例えそれがよくあることで、ただの俗っぽい、どこでも行われているような、誰でもやっているような、沢山の人が既に知っているような、それらの行為と何一つ変わらない、そういう類のものの中の、たった一つにしか過ぎないとしても。 その時は、彼だけは特別なのだと思った。 今までの、他の誰とも違うのだと思った。 好きな人とするのって、こんなに気持ちがいいんだ。 そう思って、またいつか彼とこういうことがしたいな、と思った。 あんなにどうでも良い行為だと思っていたのに。 私はそれはもうあっさりと手のひらを返した。 なんだ、私はただ、今まで誰のことも好きじゃなかっただけなんだ。 そんな風に、単純に答えを出した。 手に入らないから、本来ならば規則違反に当たる行為だから、いけないことをしているから。 そういう、背徳感や罪悪感と言ったような要因も含まれているかもしれないと言うことには、まだ気がつけなかった。 子供だったからなのか、浅はかだったのか、そのどちらもなのか。 私は、何にも気づいていなかった。 その幾つかの要因のせいで、私はさらに彼を好きになってしまうのだろうと言うことにも。 そして、好きになれば好きになるほど、私は店にもっと多くの貢献ができるキャストにならなければならないと言うことにも。 そうすることが、私の担当であるマネージャーの中村さんにとって、自分を必要としてもらう手段となるはず、と、そう自分を追い詰める結果になるであろうと言う事実にも。 「ん、…」 「お、うた、起きたか」 「あ、…はい、」 「おまえ全然寝返り打たないな」 「あー、らしいです、って言うか!中村さん、ちゃんと寝ましたか?」 「寝たよ、見てただろ」 「…私、薬ですぐ眠っちゃったから」 「ちゃんと寝たから、気にするな」 本当だろうか。 中村さんの顔色は、元々はじめて会った頃から良いものとは言えなかったので、さっぱりわからない 。 私は割と肌は全体的に白い方なのだが、反対に中村さんは色黒で、だからだろうか、クマがあるかだとか、具合いはどうなのだろうかとか、酔っているのだろうかとか、そういうのが、顔色からは全く判断が出来ないのだ。 私は、隣に裸のまんまで寝っ転がってスマホを弄っている彼にくっつくと、胸の上に頭を乗っける。 耳を押し付ける。 どくどくと、心臓が体中に血液を循環させている音がする。 響いてくる。 「中村さん、あったかい」 「うたは本当に、子供みたいだな」 「子供ではないです」 「そういやおまえ、なんで古い歌ばっか知ってんの」 「私18歳の時にスナックで働いてたんですよ」 「あー、だからか」 「好きな歌は松任谷由実の翳りゆく部屋です」 「死ぬ歌好きだなほんと」 「これは死ぬ歌じゃないですよ」 「今14時だけど、うた、どうする?」 「ここに、いる」 「わかった。俺は16時前になったら行くから」 「わかりました、タクシーですか?」 「そ。昨日は飲み過ぎたな、俺も」 ごろりと中村さんがこちら側を向くと、同じく裸のままの私の首の下の隙間に腕を通して、腕枕をしてくれる。 細くて肘の骨の形のよくわかる、長い腕だな、と思った。 髭の生えたチクチクとする顎を私の額に乗っけると、手のひらで頬を包まれる。 ただでさえスッピンで寝起きの私の顔なんて、そんなに近くで見られたくなかったのに、中村さんは、「うた、がんばれ、うた、がんばれ」と言いながら、しばらくそうしていた。 「私は、ミサには、勝てないですよ」 「いいんじゃない」 「…いいの?」 「うたは、頑張ってるからな」 私、No1に、ならなくても、ちゃんと価値があるの? No1に、なれなくても、中村さんはいいって言ってくれるの? 彼の手のひらはいつもと同じであたたかい。 勘違いしてしまいそうになる言葉と温度をくれる。 私は中村さんに「色管理」をされているだけだ。 そう思っておかないとダメだ。 でないと、私がNo上位入りが出来なくなった時に、きっと変わってしまう彼の態度に深く傷つくことになる。 言い聞かせる。 何度も何度も、愚かなことをしでかしてしまった自分に。 彼の担当している他のキャストのお姉さんが、私のことを抜かして、ミサのことを抜かして、いつかNo1になって、しかも中村さんに好意を寄せていたら。 その時はそのキャストのお姉さんが、きっとこの声と温度を手に入れるのだろう。 なんでもないこと、私にはそんなの、どうでもいいこと、って。 今までの男たちみたいに、そう思えるように。 そうだ、そうしよう。 私は、前までの恋愛観でいい、その時だけ楽しければ、後はどうだって良かったはずだ。 それでいいんだ、私は、間違えないようにしなければ。 中村さんの鎖骨におでこをくっつけて、心臓のあたりにキスをした。 私は幼稚で、はじめてかもしれない恋愛にまさに心を焦がしすぎていて、しかもメンヘラだったものだから、自分の誓いの為にそんな陳腐なことをした。 ちゃんと睡眠をとったのに、まだ酔いがさめていなかったのかもしれない。 バカらしいことをしちゃったなあ、と、恥ずかしくなって、すぐに顔をあげると、触れていた彼の顎をどけて壁際の方を向いた。 「なんだ、拗ねたのか」 「違います」 「おまえに、No1は無理だって、そういう意味じゃないよ」 「それは関係ないです」 「わかんないけどな」 「私もわかんないです」 何がなんだかわかんないです、中村さん。 やっぱダメだ、離れてたくない、平気じゃないじゃん、私のバカ。 私はどうやら変わってしまったらしい。 全然違う人間みたいになってしまったらしい。 誰かに背中を向けて寝るなんて、よくあることだったのに。 ちきしょう、やられた、もう終わりだ。 私は観念する。 元には戻らないと言うことを、悔しくなるほど思い知る。 わかったよ、頑張るよ、頑張り続けてみせる。 今出来るのって多分、それしかない。 何度だってこうして、中村さんと過ごす為には。 簡単じゃん。 いや、簡単なことじゃない。 でも、すぐにわかった、簡単なことだ。 ただ、成し遂げ続けるには、ちっとも簡単じゃないってこと。 「うた、ちゃんと出勤しろよ」 「わかってます、頑張ります」 「そうそう、おまえのスマホずっと鳴ってたよ」 「ああ、木村さんかな」 「別にいいけどな、あんまヤクザと同伴するなよ」 「なんで?」 「うーん、うたは何も知らないから」 「じゃあ、知りたい、経験値つんで、レベルアップしたい」 「そうかもしれないけど、世の中なんて、知らなくていいことあるから」 「そうなんですか?」 「あるよ、そんなこと、沢山」 中村さんは起き上がって布団から出ると私のスマホを取って来てくれる。 彼から受け取ったスマホには、数名の友人や、ミサや、よくやりとりをしている客たちからラインが届いていた。 その最新の、一番上に来ている人の名前は、やはり木村さんだった。 木村さんは、いつもだいたい同じ時間、今の、14時過ぎくらいに、必ず連絡を寄越すのだ。 『うたこ、今日、同伴かアフター出来るか』 同伴か。 しかも、今日、これから。 私は少し悩んでしまう。 この人は、別に悪い人じゃない。 見た目的には、ガタイもよくてイカつくて、怖く見えるかもしれないけれど、とても優しい人だ。 私に度数の高い酒を一気飲みしろだとか、体に触らせろだとか、そんなことは言って来たことがなかったし、同伴だっていつも一緒に居酒屋で夕飯を食べて少し飲むだけ。 ホテルに連れ込まれそうになったりだとか、風俗に売られそうになったりだとか、そんな漫画だかドラマだかみたいなことだって起こったことはなかったし、私は木村さんのことが嫌いではなかった。 まあ、当然好きでもなかったが。 「偏見かもですよ」 「偏見、ねえ」 「まあでも、中村さんは大人だし、言うことはなるべく聞いた方がいいのかな」 「決めるのはうただけど、そうしときなってしか、言えないな」 「うー。木村さん、今日も同伴したいみたいで」 「まあ、それはうたが決めろ」 「でも、中村さんはオススメしないって感じ?」 「選ぶのはうただからな、俺はこれ以上は言わないけど」 その言葉を聞いて、とりあえず私が結構太い指名客である木村さんにラインの返信を打ちはじめると、中村さんは脱ぎ散らかしっぱなしになっていた下着とスウェットをぐちゃぐちゃになっている布団の中から見つけ出して身につけた。 私に背を向けて、定位置である深緑色のクッションに座ると、煙草に火をつけてノートパソコンを開いている。 私は、そんな中村さんの、少し背骨の浮いた丸まった背中を見ながら、一度作ったラインの文章の内容を削除して、180度反対のセリフへと書き換える。 『今日はもう、他のキャストの女のコとご飯を食べてからお店に行く約束をしてしまったんです。本当にごめんなさい』 でも、その言葉は結局、通じなかったのだ。
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