やめとけ

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やめとけ

ダメだったのだ。 木村さんは、どうしても、お願いだ、と今日に限って何度も同伴をしたいと言う内容のラインを私へと送って来た。 マネージャーである中村さん、しかも私の好きな人でもある中村さん、そんな彼に「ヤクザはやめとけ」と言われたばかりだと言うのに。 どうしよう、だって、そんな木村さんは、まさにヤクザであった。 私にはヤクザの仕事はよくわからない。 イメージ的には、違法の薬物を扱うような仕事をしていたり、賭博、ギャンブル系の開設、若い女の子に売春の斡旋をしていたり、後はそう、なんだろう、オレオレ詐欺だとか、何かの建物を建てる時に、なかなか首を縦に振らない飲食店や家があった場合、立ち退きを要求する為に脅しに行ったりだとか? 闇金からの借金を返さない、返すことが出来ない家に怒鳴り込みに行ったり、昔だったらスナックやキャバクラ、風俗店など飲み屋の店のバックだったりすることもあっただろうし、と、まあそんな感じだった。 私のヤクザへのイメージ、古いだろうか。 最近はインテリヤクザの方が多いと聞くし。 逆に半グレ界隈の方が治安が悪いような気もする。 ドラマや映画や小説の影響をもろに受けている、そんな私のヤクザのイメージ。 けれど、そんなヤクザである木村さんはいつも、私に仕事の話はしない。 同伴では必ず決まった行きつけの居酒屋に行き、二人で軽くご飯を食べて酒を飲みながら、季節が変わったと感じた光景の話をしたり、飼っている犬の写真を見せてくれたり、そんな些細な他愛もない話なんかを好んでして来る。 好きな映画の話だとか、私の好きな本の話だとか、そう言った「日常」とはあまり関係のない、各々の「好きな物」の話をすることが多かったように思う。 当たり障りのない、それでもお互いの中身、価値観を覗き込むには事足りる、そんな話ばかりだった。 どのような感性を持っていて、どのようなストーリーに惹かれることが多いのか、そう言ったことがわかれば、相手がどのような人間なのか、それを少しばかり掴むヒントになったりする。 いつも一人きりで来店して、私を指名するとすぐにシャンパンを入れてくれる。 二人で仲睦まじく膝をくっつけて、お互いを見つめ合いながらシャンパングラスで乾杯をする。 木村さんに対する私の営業方法は「色恋」ではなかったが、木村さんは私のことを気に入っているようだった。 そのことには気づいていたが、色恋営業をわざわざこちらからかけなくても店に通ってくれる客には、色恋をしかける必要はない、と考えていた。 木村さんはまだ若いヤクザだった。 30代くらいに見えたので、多分そんなに上の方の役職にはついていなかったのではないだろうか。 私に何か無理強いをして来たこともないし、いつも穏やかな飲み方をしていて、あくまでも楽しむのは酒と会話と雰囲気だけ。 はっちゃけ過ぎたりもしないし、ヘルプのキャストのお姉さんにも優しかった。 せっかくキャバクラで飲んでいるのだから、と、騒がしくして、めちゃくちゃにキャストを酔わせたり、自分が飲み過ぎて自爆したり、とにかく面白おかしく過ごしたい、などと言うタイプの客でもなかった。 「中村さん、今回だけ、ちょっと気になるので同伴してみます」 「そうか、まあ、うたの客だしな」 「店の客でもありますよ」 「そうだけど、うたと木村さんどっちを取るかって言われたら、うただろ」 「店が、ですか」 「そうだな、一人の客のせいで、大事なキャストがダメになるのはちょっとな」 「ダメになる、ですか?」 「いなくなったり、店とんだり、まあ後は色々」 「いろいろ…」 色々、か。 私は何も知らないから、中村さんは中村さんなりに心配してくれて、こうして注意してくれているのだろうと言うことはわかっている。 でも、木村さんは良い客だし、同伴もしてくれるし、シャンパンだって入れてくれるし、ラストまでいてくれることだってある。 乱暴なわけでもないし横暴なわけでもないし、もしかしたら仕事では何か危険なことをやっているのかもしれないけれど、私はそのこととは関係ない。 …はず、だ。 大切に扱われて、私に、店に、お金をおとしてくれる客には、それ相応の対価を、尽くしてもらった分に値する何かを、私は相手にはきちんと返してあげたいと思う。 私は、基本的にはそういうスタイルで仕事をこなしたいと望んでいるキャストだった。 「22時までに入れよ」 「木村さん、いつもご飯食べたらすぐ店に行くから、そんなに遅くならないと思いますよ」 「うーん、木村さんが前に指名してたキャスト、店とんだんだよ」 「理由、知ってるんですか」 「さあ。木村さんだけが理由じゃないかもしれないしな」 「じゃあ、やめとけ、ってなんで言うの」 「知らなくてもいいこと、知ったら面倒だろ」 「面倒なのは、私ですか中村さんですか」 「俺だな」 そう言った中村さんは笑って、私の方を振り返ると、こっちに来い、と手招きをする。 私は起き上がるとブラをつけて、パンツとTシャツを着てから、スマホを手にしたまま中村さんが胡坐をかいて座っている大きな深緑色のクッションへと向かい、彼の隣に三角座りをする。 もちろんせっかくなので肩を彼の腕にぺたっとくっつけるのも忘れずに。 「中村さんは、ヤクザの知り合いがいるんですか」 「そりゃあいるけど」 「大変そう?」 「結構ふつうだよ、人は人だから」 「個々として付き合うなら、問題ないって言うことですよね」 「そうだな、ただ木村さんは前の指名のキャストを好きになったんだよ」 「ダメなことなんですか?」 「その前の指名のキャストのことも、好きになった」 「…キャバ嬢のことが好きなんですかね」 「俺は滅多に、キャストにあの客に気をつけろ、とか、そういうのは言わないけど」 「知ってます。割と委ねますよね、こっちのやり方に」 「だから珍しいかもしれないけど、まあ頭にはいれとけ」 「わかりました」 イイコのお返事をすると、中村さんは私の前髪を掻き上げて、頭のてっぺんの髪ごとくしゃくしゃと撫でる。 わかりました、絶対気をつけます、本当に気を付けますね、私はもう中村さんに飼われている忠実な犬のようだ。 パソコンの画面に映っているのは、店の宣伝を兼ねているSNSのページで、それぞれキャストのお姉さんたち個人の、夜職のアカウントもフォローしてある。 中村さんが、テーブルの真ん中辺りに放置されていた、昨日購入して来た私のコーヒーを取って目の前に置いてくれたので、ストローを刺してチュウチュウと飲んだ。 彼は、寝る前までと同じグラスを使っていたけれど、焼酎ではなくて、ちゃんと水を飲んでいるようだった。 「俺はもう準備するから、うたは同伴気をつけて行ってこいよ」 「木村さんは、いい人ですよ」 「いい人かもしれないけど、おまえのこと好きだからな」 「なんでそれがダメなのか、さっきからよくわからないです」 「うたは、断れないやつだろ」 「まあ、…はい、断るのは苦手ですね」 「何かあった時はとりあえず逃げるか、連絡して来い」 「逃げるような目にはさすがに合わないと思うんですけど」 「じゃあ、連絡はして来いな」 ノートパソコンを閉じると、中村さんは立ち上がり、布団の横の壁に掛けられているシャツやスーツのハンガーを掴み、着替えをはじめる。 私は一旦洗面所へ行くと、顔を洗い、脇にかけてあるタオルでゴシゴシと顔を拭った。 眉毛が、消滅する。 中村さんに見られる前に急いで化粧をしなくては、と思い、深緑色のクッションへと戻ると、自分の化粧ポーチを掴み、中から小さめの折り畳み式の鏡を取り出してテーブルの上に立てる。 ピンクベージュのカラコンをコンタクトケースから出して装着すると、さっそく消えかけてしまっていた眉毛を描き、アイラインを引き直し、アイシャドウを瞼に乗せて行く。 私の場合、髪色とカラコンの色に合わせてアイシャドウは下から濃いゴールド、淡いゴールド、その上に細かいラメの入った肌色に近い白。 涙袋が目立つように同じ白を使い、目頭から目の端の方までを染めると、残った目尻の縁は先程使ったものと同じ濃いめのゴールドでぼかす。 元々のまつ毛が少ないので、派手すぎないつけまつ毛を専用ののりで瞼の方にだけつけて、ビューラーを使い上を向くようにして、下まつ毛の方はマスカラを使って存在感だけ出す。 リキッドファンデーションを手の甲にとって、適当に顔に広げて、フェイスパウダーを叩いて、はい、もう終わり。 「どうですか、中村さん」 「ん、おお、うたこの出来上がりだな」 「15分すらかかりませんでした」 「うたは、化粧濃いわけじゃないしな」 「マジですか」 「じゃないの」 「あ、また木村さんからラインだ」 「俺も出勤確認の電話するから、うたは、一旦、しー、な」 「しー、ですか」 マネージャーが担当しているキャストは、ミサと私と、それから20代のお姉さんが二人と、 後は誰と誰だろう。 私は詳しくは知らなかったし、知る気も興味もなかったので、あまり気にしたことがなかったが、どうやら今日は電話をかけるようだ。 多分はじめにラインで一斉に連絡をして、返事がなかったキャストのお姉さんや、何か事情があって店に来たくなさそうなキャストのお姉さんなんかには電話をかけて話を聞いてあげたりするのだろう。 しー、な。と言って、人差し指を唇にあてる仕草が、29歳の中村さんらしくないような気がして、私を子供扱いしていることがよくわかって、ムカつくのに、それでも可愛らしく思えてしまって、私はこんなちぐはぐな時間がとても好きだなと思った。 大人しく声を出さないようにして、木村さんからの「どうしても同伴がしたい」と言うお願いのラインに、私は「約束していた女の子にはキャンセルしてもらったので、大丈夫です。時間は何時がいいですか?」と、絵文字で飾り立てた文章を作って送信した。 今度は布団に胡坐をかいて担当のキャストのお姉さんと何か電話で話をしている中村さんの、どこか作ったような優しい声を聞きながら、私はテーブルの上の黒猫柄のマグカップを眺めた。 多分、このマグカップの持ち主は、きっと中村さんがいつかどこかで、もしかしたら今の店か、とにかくキャバクラで働いている時に、同じ店で働いていたキャストのお姉さんが置いていった物なのだろう。 多分、当たり寄りの、きっと。 そう、なんとなく確信に似たような気持ちを抱いていた。 …私なんかには、そんな風に、彼が取って置くような何かを、残すことなど出来やしないのだろうか?
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