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ふたりきり
私が19歳で、そのキャバクラに勤めていた頃は、某歓楽街には朝までやっているキャバ嬢のドレスを扱うアパレルショップがあった。
今はどうだか知らないのだが、とにかくそのアパレルショップがあったことで、私は夏に三日間も同じ服を着て店に出勤する、と言う自分からしたら出来ればやりたくない失態を免れることが出来たのだった。
4時前くらいにマネージャーから、今どこにいるのかと、そのアパレルショップのある場所への行き方が書かれているラインが届いた。
私は一人で飲んでいたバーを出る為に支払いを済ますと、すぐにそのアパレルショップへ行って来る、と言うことをラインで伝える。
『じゃあそこにそのままいたらいいから』
と、返信があったので、マネージャーも仕事が終わったのだな、と思い、私はさっそく色ボケし始める。
でも、昨日とは違って、まだ色々な店が開いているし、人通りもそこそこある時間帯だ。
マネージャーと私が、一緒にこの辺りを歩いていて果たして大丈夫なのだろうか。
アフターに行ったキャストのお姉さんとかち合ってしまったり、誰かまだ飲み直している客に見られたりしたら、何と言い訳をしたら良いのだろうか。
そうだな、例えば、私が酔っぱらっていたから、タクシーに乗せる為だったと言えばいいだけなのかもしれない。
実際そうやってミサの事をタクシーのところまで、マネージャーは抱えて連れて行ったりしていたし、私もそれを手伝ったことが何度もあった。
なんでも、案外どうにかなるのかもしれない。
だってなんかマネージャーは、こういう事態には慣れていそうだし。
そんなことを考えつつ、教えてもらったアパレルショップへ行き、なんとかギリ私服でもいけそうな膝丈の白いワンピースを探し出すと、それと一緒に棚で見かけたヌードブラも一緒に購入する。
背中の部分の布がほとんどなく、脇腹の一部や胸元の部分などもあいていて、結構露出の激しいデザインだったけれど、上にジャケットを羽織ってしまえばなんとかなりそうだと思った。
素材は微妙な気がしたが、この際文句は言っていられない。
しばらくの時間、ドレスを見ながら時間を潰していると、マネージャーから『外に出て来て』と、それだけの短いラインが届く。
着いたんだ!と思うと、これから二人きりになれるのが嬉しくて、顔が自然とニヤけてしまう。
もう、めいいっぱい色ボケしようと思っていたので、そんな自分でもいいや、色管理がなんだって言うのだ、と言う気持ちですぐにそのアパレルショップを後にする。
「マネージャー、お疲れ様です!」
「うたこ、お疲れ、おまえまた飲んだのか」
そのショップから少し離れた場所に立っている、ひょろっと背の高い細いスーツ姿を見つけて、思わず駆け寄るとフラついてしまい、マネージャーがそんな私の二の腕を掴んで転ぶのを防いでくれた。
ちょっとだけ、私を咎めるような声音だったので、ついつい反論してしまう。
「だって、一人で待ってるの、つまらないじゃないですか」
「いいけどな、飯も食えよ」
「マネージャーもですよ」
「俺はいいんだよ」
なんだそれは。
マネージャーはやっぱり私と同じで、食べる事にそんなに重きを置いていないだけなのか、ただ面倒で食べないだけなのか。
謎だったけれど、私も他人のことは言えないので、わざわざ理由を問い詰めたりはしなかった。
自分が聞かれて答えづらいことを、他人に聞くのはおかしなことだし。
「少し離れて歩きますか?」
「どっちでもいいけど、まあそうだな」
「わかりました、じゃあ、しー、してます」
「さ、帰るか」
「うん!」
どこかへ寄って、一緒にご飯を食べたり、お酒を飲んだりすることは出来ない。
ただ一緒にマネージャーの部屋へ帰ることしか出来ない。
だって秘密だから、誰かにバレたらまずいから、マネージャーが困るから、私だって困るから。
腕を組んだり、手を繋いだりすることも、すぐ隣を歩いたり、客と一緒の時のように寄り添って歩いたりすることも出来ない。
私、それでも全然いいよ、中村さん。
ちゃんといい子にして、仕事も頑張るよ。
だから、どうかその間だけでも、私のことを可愛がってね。
酔っぱらっているし、マネージャーと今日も一緒に帰ることが出来るし、すごくいい気分だった。
頑張れば、頑張った分だけご褒美はもらえるのだろうか。
だったら、もしかして私が不動のNo1とかになれたなら、彼女に昇格することだって出来たりなんかするのだろうか。
まあ、そんな奇跡は起こったりはしないだろう、と言うことは理解していたけれど。
多分、私自身が先にもたなくなるだろうな、と思う。
精神的に病んでいて、それでも誤魔化し誤魔化し元気なふりをして、ただ年齢が若いと言うだけでなんとかやって来れているだけなのだから。
ミサや、No上位に入るキャストのお姉さんには、それぞれちゃんとした「そのキャストしか持っていない確固とした魅力」と言うものがあるのを感じるのだ。
私には何もない。真面目に、ただひたむきに、一生懸命精一杯客のことを考え、どんな人物なのかを探り、好まれるような営業をかけること以外は、出来ることは何もない。
演技をして、その客その客をよく観察して、どんな風に振る舞えば嫌われたり怒られたりせずに済むのか、出来れば好かれて、機嫌よく飲んでもらうことが出来るのか、それを察する能力がたまたま備わっていただけだ。
機能不全家族で育ったから、だからたまたまそれが出来るだけなのだ。
「乗るぞー、うたこ」
「あ、すみませんー!」
少し落ち込みそうになっていた気持ちを、マネージャーの一声があっさりと払拭してくれる。
私は、大丈夫だ。きっと大丈夫。そう自分に言い聞かせる、いつも。
本当は心細くて、寂しくて、怖いことばかりで、今にも死にそうで、発狂して暴れ出しそうだ。
それでも私は大丈夫。こうして生きて行ける。
何にも考えないようにして、楽しいことだけ。
未来のことは、考えないようにして、今だけを見て生きる。
それしか、生き方を知らなかった。
タクシーを止めて、先に乗り込んでいるマネージャーのところまで走る。
フラフラとした足取りで、真っ直ぐに進めなくても走るのだ、だって早く二人で一緒に過ごしたい。
だから明日だって明後日だって私は変わらずに努力をする。
出来るだけの精一杯をやる。
そうすることでしか、マネージャーとの繋がりを守ることは出来ないと知っているから。
マネージャーの隣のシートへと飛び込むようにしてタクシーに乗った。
思いっきり寄りかかって、力が抜けて、ズルズルと上半身が倒れて行くのをそのままにした。
膝枕をしてもらっているような状態になると、タクシーのドアが閉まって、マネージャーが運転手に行先を告げる。
私は上半身を捻って、マネージャーの表情を確かめる。
もう、いいんだよね?と言う風に、目だけで問いかける。
もう、くっついても、いいんだよね、って。
マネージャーは少し俯いて、私と視線を合わせてくれたので、ああいいんだ、と思って、そのあんまり柔らかくなくて、ゴツゴツとしている太ももの上に肩まで乗り上げる。
私はニヤけているに違いない、きっとだらしのない顔をしていると思う。
でも嬉しくて、面白くて、楽しくて、そんな顔しか作れそうもなかった。
「うたはしょうがないなあ」
「しょうがない、ってなんなんですか」
「しょうがないは、仕方ない、ってことだろ」
「そんなこと、言わないで」
「店にいる時と、全然違うんだな、おまえは」
「そうですか?」
マネージャーが、私のことをうた、と呼んだ。
じゃあ、マネージャーはもう、今から中村さんだ。
私のことを、しょうがないと言う、中村さんは別に困ってはいなさそうだったので、安心する。
実はとてつもなく酔っぱらっていて、ただの色ボケ野郎な私は、中村さんの腰に腕を回してお腹に顔を埋めた。
あったかくって、ペッタンコなお腹だった。
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