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こういう女です
昨日と同じように二人でコンビニに寄ると、私はまた生理用のショーツと朝のコーヒーと缶酎ハイを二本ばかり中村さんが引っ提げている緑色のカゴの中へと入れる。
メイク落としと洗顔フォーム、歯ブラシセットは、同伴の時間に間に合うかわからずに焦っていて、中村さんの部屋にそのまま置きっぱなしで出てしまった、と言うことを思い出したので買う必要はなかった。
カゴの中には、既に焼酎の瓶とビールの缶が二つ。
やっぱり中村さんは、食べ物を買うことはなかった。
「うたは、何か食べろ、酒ばっかだろ今日」
「くじらを食べましたよ」
「くじら?」
「木村さんが、同伴の時にくじらのお刺身を食べさせてくれたんです」
「くじらねえ、美味いの?」
「人によりけりだと思うので、ノーコメントですね」
二人で短い時間コンビニをプラプラとして、中村さんは適当に、と言うような感じでカロリーメイトのチョコレート味が四つ入っている箱を棚から取ると、ポイポイとカゴの中に二箱ばかり放った。
カロリーメイトなら食べるのだろうか、中村さんは。
それとも私の分なのだろうか。
とりあえず、食べ物が何一つない部屋に住む私たちが二人の食事に、とはじめて選んだ物はカロリーメイトのチョコレート味だった。
「うた、木村さん、結局なんだったの」
「同伴のお願いですか?なんかお祝い事があったらしくて」
「ふーん、なんだろうな、任されてる仕事でも成功したかな」
「薔薇の花束を頂きましたよ」
「見たよ、明日フロアに飾るからな」
「木村さんって、ロマンチックなものが好きなんですよね」
「そうみたいだな」
「教えてくれる映画とか、好きなドラマとかもみんなそう言う雰囲気のものだし」
「まあ、ヤクザだからって任侠映画みたいなのばっかりが好きなわけでもないだろ」
コンビニの会計を済ませ、レシートを下さいと私が言うと、中村さんは「いい」と言った。
でも、私の買ったものの方がきっと多いし、出来ればお金のことはちゃんとしたかった。
そう一生懸命伝えても「俺が呼んだんだし」とサラリと言われてしまう。
そうして、私が手に持っていたドレスショップで購入した膝丈のワンピース風のドレスが入っている袋を奪い取ると、自分の肩にかけて、コンビニを出て行ってしまう。
少しばかり速足の中村さんの後ろを、酔ったまんま時々ふらつきながら追った。
マンションのエレベーターの前辺りに辿り着く頃、そのことに気づいた中村さんは、私の手首を掴んで今度は歩みを緩やかなものへと変えてくれる。
どうせだったら手を繋いでみたかったけれど、中村さんにはそんな気はないようだったし、まだ部屋についたわけでもないし、まあいっか。
そんなことを思いながら、コテンと首の力を抜いて、隣を歩く中村さんの二の腕辺りにこめかみをあてた。
真夜中から朝方にかけてのこの時間は少し涼しくて、三階の外廊下を歩いている間、丁度柔らかな風が吹いていた。
私の長い髪は、形が崩れないようにとヘアメさんが軽く固めてくれていたので靡かなかったけれど、そのかわり中村さんの男性にしては少し長い黒髪がサラサラと揺れていた。
はやく、その髪に触れたいな、と思った。
優しく愛おしさが伝わるようにして、触れたい、そうやって頭を撫でたりしたら、中村さんは嫌がるだろうか、それともフリだけだとしても笑ってくれるだろうか。
「中村さん、今日、洗濯機借りてもいいですか」
「いいよ、俺も洗濯しないとなって思ってたし」
「何時くらいだったら、回してもご近所迷惑にならないですかね」
「8時とか9時くらいじゃないか」
中村さんの部屋の前に着いたので、私は化粧ポーチの中から鍵を出して開けると、その鍵をちゃんと彼に返す。
鍵を受け取った中村さんは、それを自分の財布の中にコロンと入れて仕舞うと、ドアを開けて玄関へと入って行く。
私もその後ろに続き、玄関にしゃがんでハイヒールを揃えると、すぐ横にある洗濯機の蓋を開けてみる。
底から三分の一くらいまで、Tシャツやスウェット、男性物の下着が入っていたので、昨日からカバンに入れっぱなしにしている自分のパンツも入れようと、カバンの底で丸まっていたコンビニ袋の中から下着を取り出して放り込む。
「中村さんは?他に洗い物ありますか?」
「あー、Tシャツとか靴下くらいかな、まとめるから、後で全部」
「今日中に乾くとありがたいんですけど」
「大丈夫だろ、どうせ昼は暑いし」
そんなやりとりをしつつ、今着ているワンピースとジャケットも洗濯したかったので、冷蔵庫にビールと私の飲む分の缶酎ハイをしまっている中村さんに後ろから抱き着いて、触れたいと思っていた黒髪に頬ずりをしながら甘えた声で言う。
「Tシャツ貸して下さい」
「あっちの部屋にあるのは、洗ってあるやつだから好きに選んで着ろな」
「わかりました、お酒、中村さんのも持って行っときますね」
「お、サンキュな」
ビールを一本と、缶酎ハイを一本手渡されたので、それを持って布団の敷いてある方の部屋へ行くと、夜に私が出た時とそのまんまの部屋が出迎えてくれる。
二本の酒を、テーブルの深緑色のクッションのある方に置くと、布団の上で丁寧に畳まれたままのTシャツを見つけ、今日もこれでいいかな、と考える。
でもどうしようかな、セックスした時に、中村さんは自分の精液を私のお腹に出したんだった。
ティッシュで拭ってはくれたけれど、起きてからシャワーも浴びずにこのTシャツを着てしまったんだよな、とそんなことを考えて、結局そのTシャツも洗濯もの行きへ決定とする。
窓のカーテンレールにひっかけてあるピンチハンガーの中に、一枚だけ黒くて男性にしては小さめなTシャツが洗濯ばさみ一個で無理に干してあったので、なんとなくそれを選んで取ると、その場でジャケットとワンピースを脱いでさっさと着替える。
多分Sサイズか、レディースのものなのだろう、私が着ると太ももの上までの長さはあったが、ブカブカではなかった。
脱いだワンピースとジャケットと、昨日借りていたTシャツを洗濯機まで持って行くと、中へ入れて、キッチンから黒猫の柄のマグカップを持って布団のある方の部屋へ向かう中村さんになんとなく聞いてみる。
「中村さんは猫が好きなんですか」
「好きでも嫌いでもないけどな」
「なんで部屋に、女の子っぽい物がないんですか?」
「なんでって、男の部屋だからな、そりゃ」
「でもコレだけは女の子っぽいですよ」
「家は、うたみたいに、たまに客が来た時に出すグラスがないから、まああって良かったよ」
全然なんの答えにもなっていなかったが、まあ助かったのは事実だし、このマグカップのお陰で中村さんと一緒に焼酎を飲むことが出来るので、置いて行ってくれた女性には感謝だ。
中村さんは黒猫柄のマグカップをテーブルの上に置くと、今日は早々にスーツを脱いで、楽な部屋着へと着替えているので、その間に私は深緑色のクッションの上で膝を抱えて、缶酎ハイをあける。
好きな人と一緒の時間がこんなに穏やかで幸福なものだとは思わなかった。
なんでもないことでも全部、嘘だったとしても全部、大切だなと思った。
「中村さん、あのね、木村さんは私のことを愛しているらしいですよ」
「ほー、そうきたか」
「告白をされました」
「うーん、どうしたもんだかなあ」
「そうなんです、私は愛とかよくわからないので、対応に困ってます」
「諦めてもらえるまで、まあ今まで通りでいいんじゃないか」
「でも、諦められたら、売り上げが減っちゃいますよ」
「言ったろ、木村さんとうたなら、うたの方を取るって」
着替え終わった中村さんが、ちょこんとクッションの端っこに座っている私の隣に、胡坐をかいて座ると、ビールのプルタブを開けて口をつけ、勢いよく一気に飲み下した。
中村さん、疲れているのだろうか、それとも、何か考え事を誤魔化したくて、こんな飲み方をしたのだろうか。
つい、私も真似をして、手のひらで包んでいた缶酎ハイを一気飲みする。
それを見て、中村さんが困ったように眉を寄せて「コラ、おまえは一気するなよ」と私の頭を掴んで揺すったので、キャハハ、やめて、と笑い声をあげる。
「ふふ、気分いい。私も焼酎、頂いていいですか?」
「いいよ、でもほどほどな、洗濯するんだろ」
「店での酔いは、もうほとんどないですよ」
「あと、起きてから、食えたら食え」
中村さんがコンビニ袋からカロリーメイトを出すと、私の前に二箱ぽんと重ねて置いた。
中村さんは食べないのに、私には食べなければダメだと言う。
でもなんで、とは聞かないでおく。
私だって多分、食べないのだから。
私は自分のバックから煙草とライターを取り出すとテーブルの上に並べて、さっき中に入れてあった下着を洗濯機に放ったことで空っぽになっていたコンビニ袋に、灰皿の中身をザラザラと流し込み、ギュっと口を縛った。
細かな雨雲が一瞬だけぼわ、っと空中を舞う。
後でバルコニーにあるごみ袋の中へと捨てようと、とりあえず自分の座っている脇に置く。
そうして、自分にお疲れ様、と言う気持ちで煙草に火をつけると、すう、っと煙を吸い込んで、さっそく肺に毒を送る。
「中村さんが吸ってるのと、同じにしたら、嫌?」
「煙草の銘柄を、ってことか?」
「そう、ダメ?」
「別になんでもいいけど、好きなの吸えばいいんじゃないの」
「じゃあ、今度買ってみよっと」
「本当、うたは、思ってたのと違うよな」
「何がですか?」
「本当は、そういうオンナだったんだな、ってたまに思う」
一体、どういう女のことを言っているのだろうか。
店では一生懸命で、必死に頑張って仕事をしている真面目なキャストで、それ以外はただの子供だった、ガギくさいな、とか、そういうことだったりするのだろうか。
なんだか面白くなくて頬を膨らませていると、私の前に黒猫柄のマグカップが置かれ、中村さんが焼酎を注いでくれる。
私はそのマグカップの取っ手を掴むと、チビチビと焼酎をロックゆっくりと舐めた。
喉が痛い、燃えるみたい、胸まで焦げるみたいに、食道を炎が通り過ぎて行く。
まるで本当はそのくらい平気で何もかも手放して恋をしたいのに、上手く出来ない私のかわりに熱を奥深くまで届けて匿ってくれているようだ。
「ねえ、中村さん、中村さんの部屋に、私が、自分の服とか持ってきたら、変?」
「変って、何が」
「中村さん的にはナシ?面倒?」
「別にいいけど、その方が楽だろうしな」
「…じゃあ、今日は出勤したらちゃんと家に一度帰ります」
何気なく言っただけの、断られるか嫌がられるかのどちらかだと思っていた問いかけへの返答は、思いもよらないもので。
私はやっぱり、もしかしたら、ちょっとくらいは色ボケしたって許されるのではないだろうか、なんてそんな気分になってしまう。
中村さんは何も考えないで答えただけかもしれないけれど、その言葉は私にさらに無理をさせ、頑張らせるには充分すぎる程のものだった。
中村さんの煙草に落書きをした時の写真、たまたま見つけましたw
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