コンプレックス

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私は中村さんのなんなのか、と言う明確な「関係性」に名前はなく、どういう立場なのかはさっぱりわからなかったが、どうやらたまには部屋に来てもいい女ポジとやらにはなっているようだった。 彼が何を考えていて、私をどうしたいのかはどれだけ考えてもわからなかったが、私ではなく「うたこ」をどうしたいのか、と言うことだけはわかっていた。 No上位をキープし続けさせ、中村さんと店に立派に貢献出来るキャストであるように、とそう言う考えではあるのだろうな、とそれだけはハッキリとわかっていた。 今月はどうだろう。 今のところ、No5以内には入れそうだと言うことはわかっているが、出来ればNo3以内に入っていたいと言うのが本音だ。 その為にはやらなければならないことが山ほどある。 今日は元々以前から同伴の約束をしている指名の客もいるし、他の客にだってきちんと好かれるよう、可愛がられるよう、好かれるような、会いたくなるような文章を考えてラインを送ってやりとりをしている。 私は羽を休めるような気持ちで、ノートパソコンに向かって何かを打ち込んでいる中村さんの薄い体に寄りかかりながら、パソコンの画面は覗かないようにしてスマホを弄る。 彼の仕事のことはいいのだ、私が何か知ったところで、どうせ店にプラスになるような、頭の良く回るような人が出来る生産性のある会話をすることは出来ないのだから。 中村さんだって、そんなことを私なんかに期待はしていないだろうし。 「うた、5時半だけど、化粧どうする」 「うーん、落とすの、寝る前でもいいですか、6時になったらおはようラインをしなくちゃ」 「わかった。うた、今日は、歌わないな」 「お仕事の、邪魔になるかなって思って」 「うたが歌う歌は、懐かしくなるよ」 「昔の歌が多いですからね」 「俺もスナックで働いたことあったんだよ」 「そうなんですか?」 「同じだよ、俺が18歳くらいの時だったな」 こちらを見ないまま、中村さんは私に話しかけ続ける。 中村さんが18歳の頃って、私って一体幾つだったのだろう。 中村さんは確か今29歳だと言っていたから、11年前と言うことだろう、つまり私は8歳だ。 私がまだ小学生だった頃に、中村さんはもう夜の世界ってやつにいて、スナックで働いていたのか。 「焼酎、おかわりしていい?」 「よく飲むな、うたは」 「私、中村さんといるの、好き、一緒に飲むの好き」 「特に何にもしてないけどな」 「うん、なんにもしてないですね」 また、黒猫柄のマグカップに並々と注がれる焼酎を見ながら、煙草をくわえて火をつける。 私はね、8歳の頃は、絵描きさんになりたかったんですよ、中村さん。 その次は、幼稚園の先生で、その次は歌を歌う人でした。 それから先は、自傷行為がひどくなって来て、メンヘラが増して来て、死ぬことばかりを考えるようになって、夢を持つことは出来なくなってしまったけれど。 中村さんは、小さな頃、何になりたかったんですか。 夢は、何か一つでも叶いましたか。 「うた、ブログとかやれば」 「ブログですか?」 「店の名前も出していいし、指名で来る客増えるんじゃないか」 「ブログかあ、でも何を書いたらいいのかわからないです」 ふう、っと紫煙を上に向けて吐くと、灰皿に灰をトン、っとリズミカルに打ち付けて落とす。 ブログ、って言うと日記ってことか。 可愛らしい文章で日常のちょっとしたことを綴って、写真をいっぱい載せたりすればいいのかな。 でもまあ、こんな色ボケ中の中身がバレたら、今いる指名の客だって私の元から去って行くと思いますけどね。 私は、店の名前での店専用のSNSを一つもやっていなかったので、中村さんはそんなことを言ってきたのかもしれない。 「まあ、無理にってわけじゃないけど、得手不得手あるだろうし」 「私は多分不得手ですね、酔っていたら、余計なことを書くと思う」 「真面目だからなあ、うたは、考え込み過ぎそうだしな」 「他のキャストのお姉さんは、どんなことを書いてるんですか?」 「写真が主だよ、店で撮った私服姿とか、ドレス姿とか、入れてもらったシャンパンのボトルとかプレゼントでもらった物だとか」 全く興味がなかったけれど、ちょっと私もそのうちチェックしてみようか。 出来そうだったらやってみてもいいかもしれないし、無理そうならすぐに辞めたらいい。 「そうだ!中村さん、さっき買った服、ギリ私服でいけそうかどうか判断して下さいよ」 「ああ、あそこドレスしか売ってなかったろ」 「一応ロングじゃないやつがあったので、それ買ったんですけど」 「そういえば、うたは、なんでいつもロングばかり着てるんだ」 「あー、私、自分の脚の骨格の形が好きじゃなくて」 「何にもおかしくないけどな」 そうだろうか? どうにも膝の骨だけが大きく不格好に見えてしまって、太ももとふくらはぎの中間を目立たせるそれが、変に脚の形を悪く見せているように感じるのだ。 私服では、同伴などがあるので、なるべく上品で清楚に見えるような雰囲気の膝丈のワンピースなどを選ぶが、どれも太ももまでは出ない物を選んでいる。 出来れば膝上丈の物は着たくないのだ。 つまり、私の脚は、自分から披露したいと思えるような形の整った綺麗な脚とは言えないと思っていた。 超コンプレックスだったので、避けていた。 自分の脚をわざわざ晒すと言うことを。 故に、どうせ店で着るのならば、と着用するものは足首まで隠れる長さのロングドレスを好んだ。 まあでも、とりあえず同伴では着なければならないのだから、と、アパレルショップの袋を引き寄せると立ち上がり、Tシャツを脱ぐ。 背中が大きく開いていて、背骨や肩甲骨などはもちろんそこを覆う皮膚の肌色がほとんどが丸見えになってしまい、ウェストカットと言うデザインで、脇腹の肌もチラリと覗いてしまうと言う、そんな仕様になっているドレスを引っ張り出す。 脚の方から、まだ筒状になっているその布地の中へと入り引き上げると、レースのパフスリーブになっている袖に腕を通し、手首を外に出す。 裾はピタリとしていてタイトな印象で、丁度よく膝上ピッタリ辺りまでの長さだった。 色は、私が好んで着る白いもので、これで背中と脇腹さえあいていなければ、ついでに裾がもう後5センチ長ければ、まあなんとか外を歩けるのだが。 そんなことを考えてもどうしようもない、そういう服を取り扱うショップで購入した物なのだし、これ以外はロングドレスや、前から見てもいかにもキャバドレスです、と言った雰囲気のものばかりだったのだから。 よし、着れた、と思って中村さんの前でくるりとゆっくり回って見せる。 「これで、上にジャケットを羽織るから、まあ背中は見えないしギリギリ大丈夫かなって思ったんですけど」 「なんだ、うた、そのまま店に出ればいいんじゃないの」 「え?」 「似合うよ、それ、いいと思うけど」 「でも、ロングじゃないと、腕にグローブしてるのって似合わなくないですか」 「そんなことないだろ、それに袖が七分くらいあるから、グローブいらないんじゃないか」 「そうなのかな、中村さんがそう言うなら、ああでも」 「脚か?」 「私、よくこけるから、痣だらけだし」 「そんなの誰も気にしてないし、ミサだってそうだろ」 「それはそうなんですけど」 「それ、似合うよ。可愛いよ、うた」 可愛い、の、か。 思わず固まってしまった私を、中村さんは別にからかったりはしていない。 ただ、このドレスがいい、私に似合っていると思って、褒めて勧めてくれているだけらしいと言うことだけは伝わってくる。 中村さんに、見た目を褒められたのははじめてではないだろうか。 顔とかスタイルとかではないけれど、ドレス姿を可愛いと、言ってもらったのははじめてだ。 「…じゃあ、着ます、これ」 「同伴だろ?今日」 「そうですね、20時に待ち合わせしてます」 「同伴の時だけ、ジャケット着といて、店着いたら上脱げばいいだけだろ」 「確かに効率的な気がしなくもない」 「ちょっと待ってろ、ほら、もう着替えていいから、こっち来い」 「あ、はい、え?なに?」 私はその白い背中の大きく開いたドレスを脱ぐとショップの袋へと戻し、再び黒のTシャツを頭から被って、すぐに中村さんの横へとぴょんと座り込む。 クッションにお尻をついて、燃え尽きかけている煙草を灰皿のへこみの中でもみ消して、黒猫柄のマグカップに口をつける。 中村さんが、ノートパソコンの画面に次々と色々なページを上げて行くので、私は彼の胸元に後頭部をぐりぐりと押し付けてめちゃくちゃに体温を欲しがりつつも、言われた通り目の前に映されているサイトを眺めてみる。 ああ、ドレスの通販サイト、か。 開かれるどのページにも、可愛らしくてスタイルの良いモデルのお姉さんたちが、膝丈のワンピース系のキャバドレスを着用している姿が沢山載っている。 「こういうの、幾つか見繕っておくから」 「中村さんがですか?」 「うたは、似合いそうなやつ、自分でわかりそうか?」 「あー、全くわからないですね」 「その中から気に入ったやつ、買えばいいよ」 「そしたら私、ちゃんと人気が出たりするんでしょうか」 「ふ、うたはちゃんと、人気のあるキャストだろ」 中村さんが笑うと、私の頭を撫でてくれるので、気持ちが良くて、心地が良くて、なんだか幸せな気分になってしまって全部言うことを聞いてしまう。 私、劣等感持ってるんです、自信ないんです、脚の形に。 脚の骨格の形、膝の骨の歪な大きさ、でも別に変じゃないって、中村さんが言う。 こっちの、短いドレスの方がいいんじゃないか、って、似合うよ、可愛いって、私に言う。 可愛い、って。 じゃあもう、それで良くない? 私は、中村さんに、可愛いって思われる方のドレスを選ぶ。 ユウくんがミサからハイヒールを奪ったことを、あんなに嫌だと思っていたのに。 私も、大人っぽくってカッコイイし、コンプレックスを覆い隠せると思っていたロングドレスを手放す。 好きな人のたった一言で。 こんなにも、あっさりと。
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