困った客

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困った客

シャワーから上がって来た中村さんと寄り添ってクッションに座って、焼酎を飲みながら煙草を吸って、私はスマホの画面と睨めっこをしていた。 中村さんは時々自分のスマホを弄って、パソコンで引き続き私用の膝丈のドレスワンピースを選んでは、時々私にこれはどう思う、なんて訊ねて来た。 「そうだ、これって通販のサイトですよね、商品の届く住所って私の部屋の方がいいですか?」 「どっちでもいいけど、うた、あんまり自分の家に帰る気ないだろ」 「えーっと、それでもいいって言ってくれるなら、まあ」 「じゃあ俺ん家でいいよ。代金は届いてちゃんとサイズが合ってたらくれたらいいよ、勧めたの俺だしな」 「いいんですか?」 「どうせうたは、これが届くまでくらいの間は、俺の部屋にいそうだし」 確かに、許されることならば出来るだけそうしたいと言うのが本音だった。 と言うか、通販の荷物が届いた後も、その先もそうだったらいいな、と思っていた。 そして、中村さんはそういう事に関して、あまり大事のようには捉えていないようで、別にどちらでも良いと言った感じの曖昧な答えしかくれない。 そんな態度を取られたら、私は、何がなんでも中村さんの家にいることを選ぶほかないと、そう決まっているではないか。 「中村さんて、私のこと好きなんですか?」 「まあ、そりゃ普通に」 「ふふ、普通って、何それ」 「好きは好きだよ、そりゃあな」 「嘘じゃない?」 「どうだかな」 ほら、やっぱり、と思う。 結局中村さんの気持ちはわからないままだし、思っていた通りの答えしか帰って来ない。 中村さんが私に「嘘じゃない」と言ってくれたのは、私がはじめて「NO2入り」したその時がはじめてで、私が、彼に私のことを好きなのか好きじゃないのか訊ねた時の「嘘じゃない?」には、「嘘じゃない」と答えてくれたことは一度もなかった。 でも、それでも良かった。 そんなものはなくても良かった。 ずっとそう思っていた。 「キヨシくんいるじゃないですか」 「ああ、おまえと同い年だっけ、あの客」 「3個上ですね。めちゃくちゃ若く見えますよね、あの人。今日の同伴ってね、そのキヨシくんなんですけど」 「ああ、あの客な。同伴は沢山するのに、店で延長はあんまりしないよなあ」 私は無理に明るい声を出すと、話をコロっと仕事の方へと思いっきりそらす。 自分から振った、好きだの嘘じゃないだのと言う話題だったと言うのに、その空気にすぐに耐えられなくなってしまって、結局キヨシくんのことを中村さんに話すことにして話題を変えた。 「同伴先は、公園で花火なんですよ」 「なかなか珍しいパターンだな」 「この間は、一緒にタワレコ行って、私の好きなアーティストのアルバムを買ってもらいました」 「まあ、あんまりキャバ嬢が喜ぶようなこと、知らないんじゃないの」 「いえ、私はちゃんと嬉しいんですけど」 「うた、嬉しいのか、それってただのデートじゃないの」 「そう言うのが好きなんじゃないですか」 「あんまりキャバクラとか通い慣れてなさそうだしな、若いし」 「ただ、金銭的にキツそうだから、正直見ていられなくて…」 「うた、そういう気持ちは、あんまり持たなくていいよ」 「なんでですか?」 「仕事の邪魔になるし、相手の、客の自由だし。全部、客の勝手だろ」 仕事の邪魔になる。 「申し訳ない」「大変そうで可哀想」、そういう感情を持ってしまうと、その客に対しての接し方にムラが出る。 そうなるであろうと言うことはよくわかっていた。 現に私は、キヨシくんに申し訳ないと思っていて、無理をさせてしまっていると感じていて、そうまでして自分を想ってくれているのだから、と、徹底して来ていた「営業方法」から少しばかり外れた行為まで許してしまうことがあった。 とは言え些細なことではあった。 元々色恋を仕掛けなくても良い「自分に気のある指名客」であるキヨシくんに、余分に優しく接したり、同伴の時に手を繋いで恋人同士のような気分を味わってもらったり、そのくらいの小さな事柄ではあった。 でも、わからない、この「同情」、に近いかもしれない行為が、そのうちエスカレートしてしまったらどうしよう、とは思うのだ。 「私、キヨシくんに諦めて欲しいです」 「まあ、そんなに金も落とさないしな、うたには悪い言い方だけど」 「いえ、私もそう思ってるので」 「思ってるのか、意外だな、おまえは結構客に対して誠実だろ」 「それはお会計込みで、ですね」 そう、本来ならばそうなのだ。だからキヨシくんは困るのだ。多分年齢が近いせいだとは思うのだが。 なんだか一緒にいると、自分までただのどこにでもいる学生の19歳の女の子、のような気になってしまって、ついつい素に戻ってしまいそうになるのだ。 好意を持っているわけではないけれど、会話も合うし、カップルがデートをするように過ごすその同伴の時間帯はとても面倒で、なんの利益にもならないと言うことはわかっているのに、どういうわけだか断ることが出来ない。 「うたは、仕事に関してはしっかりしてるから、任せるけど」 「多分そのうち、お金がもたなくなるか、目が覚めると思うんですけどね」 「わかってるなら、うたは、仕事の仕方、間違えないことだな」 「うう、気をつけます、なんかキヨシくん年が近いからか、気を許しすぎちゃうんですよね」 「どうにもならなくなったらまた相談しろな」 「うん、お願いします、マジで」 黒猫柄のマグカップから焼酎を飲んで、灰皿に置いていた半分ほど燃え尽きた煙草を再び指で挟むと吸う。 明日は下のコンビニで、中村さんの吸っている銘柄の煙草を買ってからヘアメに向かおう。 仕事が終わってアフターが入らなかったら送りで帰って、家で何着か店に着て行く用の服を選んで、それから下着と薬とコンタクトレンズの替えも忘れずにキャリーケースに詰めて、中村さんの部屋に少しだけ自分の私物を置かせてもらおう。 離れる日が来た時も、そのキャリーケースひとつあれば事足りる、それだけの物たちだけでいいのだ。すぐに出て行けるように。すぐに片付けが終わってしまうように。簡単で、楽ちんで、まるで何もなかったみたいな、そんな感じで。 うん、そんな感じがいい、だってきっとそれならきっとすぐに忘れられるから。 「今日週末だから忙しいだろうし、もうNo上位入りしてからずっとうたは結構店で飲んでるだろ、結局送りはどうする?」 「そうなんですよ、迷ってます、どうせ毎日飲み過ぎて送りの車に間に合わないし、断ろうかなって」 「だよな、始発まで店にいられたらいてもいいけど、暇だろ」 「中村さんが一緒ならそれでもいいんですけど、毎日そういうわけじゃないですよね」 「そうだなあ、部長が残って店閉める場合もあるからな」 「適当に朝まで遊んでてもいいんですけど、ミサは最近は彼氏が家で待ってるから帰るしなあ」 「ナギサは始発まで新宿で遊んでるみたいだけど」 「ナギサさんですか?私、場内でたまにつけて頂く以外、あまり個人的に仲良くしたことなくて」 「ざっくばらんな感じでイイコだよ、話しやすいと思うし、おまえやミサみたいに酒でよく潰れてるけど」 「ふふふ、よくビップルームでご一緒しますね」 ナギサさんと言うキャストのお姉さんがいる。 私と年は離れていて、確か26だか27だと教えてくれたと記憶している。 ミサのようにいつもではないが、No上位に入っていることもたまにあり、沢山ボトルを入れてくれる指名客が来た際はよく私に場内指名をくれて、一緒に飲むことがあった。 見た目は、細くて背の高いモデル体型のミサや、背が小さくて細いだけの私とは違って、160くらいだろうか、体系もどちらかと言うとふくよかで、大きくて形の良い胸やお尻を強調するようなドレスを選んで着ている、濃い茶色に染めた髪を胸下あたりでくるくると巻いている、顔立ちはどことなく南米系のハーフっぽい印象を持つキャストのお姉さんだった。 「今度、ミサと一緒じゃない時にでも喋ってみたら」 「そうですね、多分ナギサさんはミサのこと苦手ですよね」 「ミサは誤解されやすいからなあ」 「じゃあ、機会があったらナギサさんに話しかけてみます、…中村さんが一緒に帰ってくれない日とかね」 「毎回タクシー使ってたら、金もったいないだろ、おまえだって」 「でもここ、店から近くないですか?」 「そうだな、二千円くらいだし、二人で割れば大したことないけどな」 「そうだ、駅までの道、教えて下さい、今日は電車で行こうと思って」 そうか、と言うと、中村さんがパソコンの画面にこの近辺のマップを検索して出すと、駅までの道筋と、歩いてどのくらいかかるか、駅を何時に出れば新宿に上手いこと着くのか、なんてことを説明してくれた。 まずはヘアメをやる為に18時半には店に行く予定だったので、余裕を持って17時過ぎには中村さんの部屋を出られるようにしよう、と思っていた。 その時丁度、キッチンのある方から洗濯機が、洗濯物が干せる状態になったと言うことを知らせる高い音を響かせた。
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