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可哀想な女
「うたの歌う歌は、人が死ぬ歌ばっかり、ってわけでもなかったんだな」
「犬がね、歌ってる歌なんですよ、これ」
「犬の歌なのか、なんでまた犬なんだ」
「南極観測犬ぞり隊って言うのがあって、樺太犬って犬種の犬がいるんですけど、主人公たちを乗せてソリを引くんですね、ほら南極だから、雪すごいわけじゃないですか」
「ああ、犬ぞりで散策するのか」
「猛吹雪の中を、氷の荒野みたいな中、足の裏を血まみれにして、人間の、日本の願いや希望の為に尽くすんです、隊員達の、そうそうキムタクね、飼い主の、主人公たちの喜ぶ顔が見たくて、褒めて欲しくて、喜んで欲しくて、一生懸命尽くすんです」
「俺、酔ってるのと、動物の話に弱いから、普通にちょっと泣きそうになるな」
「大丈夫ですよ、私は大号泣したので」
「その犬ぞりの犬が歌ってるのか」
「さあ、キムタクの方なのか、犬の方なのかはドラマ観た人とか、歌を聴いた人が選ぶんじゃないですかね」
「うたは、どう思ったんだ」
「私は犬の気持ちを歌った歌だと思ってますよ、はじめからずっと」
そう私が答えると、中村さんがまた焼酎をグラスに注いで、飲み始める。
意外にもものすごく話に食いついて聞いてくれたのは、果たしてふりなのか本心からなのか、とにかく本当によく飲むのは中村さんの方だと私は思った。
しかしどうしてまたこの話を今日のピロートークに選んでしまったのだろう。
いやいや、もうセックスはとっくに終わっているからピロートークとは違うか、まあとにかく、寝る前のちょっとした寝物語、どちらでも良いけれど、そういう時にするような話にしてはなんだか甘くもないし、うっとりはしない。
男女のロマンチックな空気とはかけ離れているような、そんな話を、何故よりにもよって今から好きな人と共に眠る、と言う時に私は思い出し涙をこらえながらしてしまったんだろう。
あ、そうだ、中村さんに、聞かれたからではなかっただろうか。
じゃあ、まあいいのか。
中村さんが、いつだか知らないが、犬を飼っていたことがあって、このドラマに出て来た犬の行く末に気を揉んでいる、と言うことは伝わって来たし。
「どんな犬だ、樺太犬って、ちょっと検索するから待ってろ」
「中村さん、猫派じゃなかったんですか、どう見てもこれじゃあ犬派でしょう」
「前に飼ってたんだよ、マメシバ、あとチワワをちょっとの間な」
中村さん、犬を飼ってたことがあるのか、それでこんなに話の中に犬が出て来てから真剣に聞き始めたんだ。
可愛がってたんだろうな、その犬の事。
カタカタとパソコンを打って、検索した結果のページ画像が大きくパソコンの画面に映し出される。
おお、これが樺太犬、ちょっと小さな熊か何かのようで、なんと言うか強面だなあと言った感じで強そうだ。
暖かそうなふわふわふさふさの毛が体中を覆っていて、確かにこれなら南極でもしばらくはどうにか生きて行けそうな、そんな雰囲気と力強さと野生の漲る力を感じる。
「私はどっちだろう、犬派かな、でも猫も飼ったことあるしなあ」
「おまえは犬っぽい、何派とかじゃなくて、うたが犬みたいだよ」
「犬ですか?猫みたいに気まぐれで、なかなかつれない、みたいなの、憧れはしますけどね」
「そんで、どうなったの、続き」
「気になるなら、ネタバレより観ることをオススメします。DVD出てますよ、多分。中村さんは…泣くかなあ、どうだろう」
本当はきっと、冷たい人だから。
煙草を吸うことをつい忘れてしまっていたらしい中村さんの指の先から、その筒が灰をボロリとテーブルの上に零した。
私は、あーあ、と言って立ち上がると、フラフラしながら布団のところまで行き、ティッシュを数枚引き抜く。
ついでにセックスした後でお腹に出された精液を拭って丸めといたやつも拾って、元居たクッションの上へと戻る途中でゴミ箱に放り捨てた。
「ドラマなあ、史実が元か、俺は滅多にそういうのに触れないからな、まあ機会があったら観てみるかな」
「私は木村さんが、あ、キムタクじゃないですよ、客のね、木村さん。彼が勧めるから、お話を合わせる為に観たんですよね」
「ははは、木村さんな、そうか、まあそれは観るしかないよな、おまえ律儀だしなあ」
喋りながらも、私は何度も言うがとてもガサツな女だったので、焼酎を少ししみ込ませたティッシュで中村さんがテーブルに落とした灰の、割れ広がった残骸を搔き集めて拭いて綺麗にする。
いいのだ、綺麗になれば別になんだって、それにアルコールって確か消毒になるんじゃなかったか、と自分で自分に言い訳をする。
二人で焼酎を飲みながら、煙草を吸う、昨日と同じようにして過ごす。
私の鼻歌から、その歌が主題歌だったドラマの話をして、中村さんが犬を飼っていたことを知る。
彼女と二人で住んでいた時だろうか、それともご実家でのお話だろうか。
私は犬の柄のマグカップを探し出して買ってやろう、となんとなく思ったけれど、この黒猫柄のマグカップにもなんだか愛着がわいて来てしまっていた。
結構内側が、コーヒーの染みで汚れているのだけれど、この中村さんの部屋には、コーヒーメーカーはない。
「好きな映画とかないんですか、中村さんは」
「映画か、観ないな、仕事ばっかしてるよ俺は、つまんないやつだろ」
「お仕事がお好きなんじゃないですか、いいことだと思いますけど」
「うたが、何か観たい映画があるって言っても、ついてってもやれないし」
「そんなの別にどうでもいいんですけど」
「部屋にテレビもないから、一緒になんか借りて来て観る、ってのも無理だしな、つまんないだろ、おまえ」
「…中村さん、もう一回してくれたら私は大人しく寝ますけど?」
「どうした、急に」
「私はこの通り、中村さんが言うようにしょうがねえですけど、今思っていたような女ではないですよ」
煙草を灰皿にぽいっと投げて、黒猫柄のマグカップから残った焼酎を一気に飲み干して、食道熱っ死ぬっ、って思いながら、私はやっぱ犬のマグカップ探してやる、と思っていた。
中村さんが何も答えてくれないので、私は彼が二つの指で挟んでいる半分くらいの長さの煙草を、この前のバルコニーでのお返しだとでも言うように奪い取ると、すううう、っと思いっきり吸い込んで全部を灰にする。
はじめてやったので、普通にむせまくって、ごほ、げほ、っと背中を丸めてしばらくの間咳をしていた。
中村さんが、背中をさすってくれる。
「おまえ、何やってんだよ」
「ゲホ、う、まあ、ごほ、色ボケは、かましてますけど、ね!楽しいから、しばらくは、ね」
「ああそう言うこと、ほー言うなあ、じゃあ悪かった、もうそんな風には思わないよ」
「いいですよ、ガキだし、もしそうだったらカワイソウかな、とでも思ったんでしょう、どうせ」
「どうだろうな、そうだったのかもしれないな」
残念でした、私はミサみたいに「結婚」したいと思ったことは人生で今まで一度もないし、中村さんを、と言うか、今まで出会った全ての男たちに「愛してる」とか「死ぬまで側にいたい」って言う感情を抱いたことなんか、一度もないんですよ。
そりゃあ「彼女になってみたい」くらいは夢見ますけど、彼女にだっていつか別れは来るって言うのが前提です。
ただただ私は、今が幸せで楽しければそれだけでいい、そういうただの自暴自棄のメンヘラのメスですよ。
そのくせ、人から「かわいそう」と思われるのが大嫌いなんです。
かんちがいやろうめ、ざまあみろ。
あーあ、中村さんに対して、酷い言葉がはじめて浮かんだな、って思うと、ちょっと泣けた。
「じゃ、お詫びとしてもう一回してくれたら許します」
「腹が汚れるから風呂に入ったんじゃなかったのか」
「気にするような女に見えましたか?」
「うたは、ちぐはぐだなあ」
そうは言うけれど、この部屋にはテレビもコンポもないし、漫画もゲームもないので、私たちは飽きるまでキスをするしかない。
そうしてもう一度素肌を重ねて、おかしな恰好で愛し合ってるような行為をして、肝心な「愛」は外に出して、煙草を吸ってお酒を飲んで歯を磨いて、また何かとりとめのない話をするのだ。
そうしたら私はまたご機嫌を直して、カラコンを取ってケースに仕舞い、眠剤を飲んで中村さんにひっついて眠るから、だからそれで許してあげる。
私が中村さんを「本気で愛しているのではないか」と思って、困って突き放そうとしたこと。
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