482人が本棚に入れています
本棚に追加
/611ページ
こっち側の「私」
駅でしばらくキヨシくんを待っている間、私はタツくんにより軽く尋問を受けていた。
そのどれもに私は困惑を隠しきれずに眉を下げ、なんとか笑顔を作り、キヨシくんのことは嫌いではないけれど、と言う主張だけはし続ける。
けれど、だからと言って、私の方がキヨシくんのことをどう思っているのか、と言うような質問に対してだけは、どうにか全てはぐらかして答えていた。
タツくんは、ふーん、だとか、へえ、だとか、興味があるのかないのか良くわからない返答を返してくる。
なんだかタツくんは、私の「キャバ嬢としてのやり方」、つまり「客に対する接し方のスタイル」と言うものが知りたいだけで、キヨシくんの恋を応援する為に、私に彼の売り込みをしている、と言うわけではなさそうだった。
ぶっちゃけ物凄く怪しいし、やっぱりなんか嫌な予感がする。
そのうちキヨシくんが走って来て合流すると、私はこのややこしい質問責めの攻撃と、タツくんの思惑を考え頭を使うと言う最も苦手な類の事態からやっと逃げられるのだ、とホッとしてしまう。
そうしたら、どうやら無意識に思いっきり嬉しそうな、安心したような笑顔をキヨシくんへと向けていたらしい。
「うたこちゃん、先輩にいじめられたの?先輩ダメですよ、うたこちゃんのことからかったりしたら!」
「違う違う、大丈夫だよ、タツくんはいい人だよ、私がただキヨシくんが戻って来たのが嬉しかっただけなの」
「…そうなの?そっか、うん、待たせちゃってごめんね。あの、先輩、疑ってすみませんでした」
「いや。全然いいけど。うたこちゃんて、なんか変わってんな」
「えっ、そうですか??こんな凡人のどこが」
「いや、19歳だよな、うたこちゃん。うたこちゃんってNoに入ってんの?」
「はい?」
「先輩ってば!うたこちゃんは、学費と生活費の為に、一生懸命働いてるだけなんですよ」
「そうなんです。だから、いつもカツカツな生活で貧乏ですよ、タツくんはなんだか謎の人ですね、私、注意しよーっと!」
「悪い悪い、キヨシが会うたびに、いつもうたこちゃんのこと話すからさ、どんなコなんだろうって思うじゃん。うたこちゃんもキヨシも、ごめんな。今日はちゃんと奢るからさ、楽しく飲もうや」
この人、タツくん、多分キャバクラに行ったこともあるし、キャバ嬢のこともそこそこ詳しそう、そしてきっと、探ってたのは私の「ガチ恋の指名客に対するやり方、考え方」ってやつだろう。
そんな気がした。
要注意人物、ってことにして、なるべく面倒臭いことにならないように、店では、色恋営業や、清楚系で売ってるキャストのお姉さんではなく、場を盛り上げるのが上手い、どちらかと言えば飲め飲め系の友営系のキャストのお姉さんについてもらえるように頼んだ方が良さそうだ。
三人でホームに出て、電車を待っている間、キヨシくんとタツくんが二人で何か話出したので、私はスマホを取り出すと、マネージャーに『もう一人フリーでキヨシくんの先輩って人が来店予定です。できれば結構お酒が飲める、楽しい卓にするのが得意なキャストのお姉さんが良いと思います』とだけ送る。
それと、何人かの指名客と、今日来店すると聞いていた木村さんから短い文章で「もうすぐ行く」と言う内容の返事が来ていたので、急いで気を惹くような文章を作って返信をする。
木村さんはどうやらまだ店には来店していない様子だったので、私が同伴中であると言うことはバレてはいないだろう。
なんとなく、他の客と同伴出勤してくると知ったら嫌な顔をしそうだと思ったし、せっかく良い日本酒と花束をプレゼントしてくれたのだから、ご機嫌を損ねたくなかった。
電車が来たので、慌ててスマホをカバンに仕舞うと、キヨシくんとタツくんと一緒に乗り込んで、あいている席に三人で並んで座る。
私は、無邪気で明るい普通の19歳の女の子である「うたこ」へと表情を変え、二人に話しかける。
「何話してたの?私にはナイショの話?」
「ねえ、うたこちゃん、もしさ、今日ラストまでいたら、アフターしてくれる?」
「え?えっと、キヨシくんと…タツくんも、ですか?」
「なんか先輩が、ラストまでいてもいいって言ってくれて…、俺明日仕事休みだし、もし、うたこちゃんが大丈夫だったら、でいいんだけど…」
「えっと、うーん、私、学校関係の習い事の予定があって、その、だからアフターは…」
「じゃあさ、それなりにボトルとかシャンパンとか適当に入れるからさ、一日くらい、その習い事?ってやつ、休んでやってよ。ね、キヨシの為にさ、今日だけだからさ!」
え?マジで?なんかさ、タツくんにバレてない?これ、バレてるんじゃない?
きっと、キヨシくんから聞いているであろう、私が昼間専門学校に通っている、なんて言う話は嘘だってこととか。
本当は仕事だけしていて、つまりキャバクラ一本で生活をしている女だってことだとか。
別に夢だとか、学費だとかの為に働いてるわけじゃないことだとか。
そういうこと全部、バレてるっぽくない?
一応、キヨシくんや他の客には、昼間は保育専門学校に通っている、と言う体で話していたのだが、実際には適当にネットで検索して調べて、そう言う専門学校ではどんなことを勉強することになっていて、どのようなことが学べるのかを知っているくらいだ。
自分で作りあげた「うたこ」は、今どう言った資格を取得しようとしていて、その為には例えばピアノが弾けるだとか、歌が歌えるだとか、どんなことが必要で、その為に今何を頑張っているのか、くらいの設定は決めてあったけれど、それも結局全てネットから得た知識でしかない。
深く突っ込まれたらあっさりとバレてしまいそうだし、何より本当はそんな専門学校には通っていないのだから、真実など何一つ知らない。
それに何より今日は週末で、土曜日だ。
つまり明日は日曜日なので、学校があるから睡眠を優先させたい、などと言う言い訳は使えない。
ラストまでいてくれるのは別にいい、どっちでもいい、でも、だけど、アフターはしたくない。
私には、今日はちゃんとラストまで意識を手放すことなく仕事をこなし、店が終わったらきちんと私服へと着替えて、時間通りに送りの車で帰ると言う心に決めていた予定があるのだ。
ちゃんと、自分の部屋へ戻って、マネージャーの部屋に持って行く物や服を厳選して選んで、一人旅用のキャリーケースに詰めると言う、大切な予定があるのだ。
「うたこちゃん、キヨシの気持ち一日くらい汲んでやってよ、な!」
「先輩、本当にいいんですか?俺も、その、ちゃんと出しますから、だから無理はしないで下さい!」
「キヨシはいいよ、俺がただ飲みたいなあって気分なだけだし、店行ってみたくなったってだけだからさ」
なんか、二人で勝手に話が進んでいるようだけど、私は嫌なんだけど。
キヨシくんと同伴もアフターも別に構わないけど、明日だけは潰されたくないんだけど。
何よりこの、謎のタツくんと言う人と長い時間を過ごすとボロが出そうで怖いと言う気持ちがあった。
何かがバレてしまうような、なんだか色々引っ搔き回されて、だるいことが起きてしまうような気がするのだ。
ああもう、全くもう、仕方がない、本当に今日だけと言うならば、それで彼らの気が済むと言うならば、わかった。
「あの、じゃあ、始発で帰れるようにする、と約束して頂けるなら、アフターしても、いいですよ」
「えっ!本当?うたこちゃん、いいの?大変じゃない?」
「うん、大丈夫、ちゃんと始発くらいで帰れたら、予定もなんとかなるから」
「ありがとな、うたこちゃん。やったな、キヨシ」
「先輩も、本当にありがとうございます!うたこちゃん、ありがとう!」
私は今回ばかりは上手く笑顔を作れているかどうかわからなかったが、いつもの笑顔、を心がけて目を細め、口角をあげる。
あーあ、もう送りは毎回も断ろう、って言うか毎回もう送りは断ろう。
多分私は今後、送りで自分の部屋へ戻ることなんて二度とないだろう、と、そんな気がした。
いいのだ、そうやってNo上位と言う居場所が守れるのならば、マネージャーから褒めてもらえるのならば、私はきっとずっと自分がもたなくなるまで、毎日飲み過ぎて前後不覚になって送りに乗り損ね続ける生活を送るのだから。
アフターもなく、誰かと始発まで遊ぶこともなく、マネージャーの部屋へ行くこともないような日があったとしたら、一人で飲みに行ったって良いのだし、最悪タクシーを使えば良いだけだ。
とりあえず、タツくんもボトルだかシャンパンだかを入れると言っているし、木村さんのところでは日本酒を飲む、と決定してしまっている今日。
どう考えたって、私が酔っぱらわないわけがない。
ひどければ泥酔だ。
アフターも始発までと言うのを守ってもらえるのならば、まあその後はなんとかなる、うん、なんとかしてみせる。
その時の私は、そう考えていた。
なんとかなる、始発で自分の部屋へ帰れば良いだけ、後は、やることは何も変わらない。
ただ、その時間がちょっと押してしまうだけだ、と、そう考えていた。
気を取り直して、嬉しそうなキヨシくんと、何を考えているのかわからないタツくんと他愛もない会話をしながら、歓楽街に向かう電車の中での時間を過ごした。
電車が目的地へと辿り着いて、週末で賑わっている街の中を店のある方へと進む。
タツくんがいるので、キヨシくんと腕を組む必要もないし、手を繋ぐ必要もない。
そんな、営業営業したところを見せたら、また何を言われるかわかったもんじゃない。
そのかわり、会話で楽しませれば良いのだ、キヨシくんが好む女の子を演じればいい。
その、キヨシくんが好む「女の子」が、もしかしたら本当の19歳の私だったかもしれないな、なんて、そんな別の世界線を想像しながらも、私は思い込もうとする。
違うよ、いいんだよ、と。
こっちの世界線が本物で、私は良かったんだから、と。
最初のコメントを投稿しよう!