ビップルームでの接客

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ビップルームでの接客

ナギサさんは本当に場を盛り上げるのが上手だった。 それに何と言ってもセクシーだし、会話の内容によってコロコロと変わる表情や仕草も、見た目とのギャップである無邪気さを感じさせる。 きっと、そんなところが良くて、ナギサさんを指名する客たちは彼女に夢中になるのではないのだろうか、と思った。 だからあんなに彼女に会いたいと、楽しい気持ちで飲みたいと思って店に通い、強請られずとも自らボトルを次々に頼むのではないだろうか。 「キヨシくん、大丈夫?顔がもう赤いよ」 「うん、大丈夫、でもなんかちょっと、うたこちゃんのこと、今日は見慣れなくて」 「え?ああ、そっか、ドレスのこと?」 「すごく、その、いいと思うんだけど」 「あはは、キヨシくん、それであんまり私の方見ないで喋ってたんだ」 「なんか、俺酔ったかも、うたこちゃんのことさ、いいなって、ずっと、…」 「ねえねえ、キヨシくん!ここお店だよ?」 「あ、うん、だね。つい…。他の人に取られたくないな、って思っちゃったんだ…」 「…んー、じゃあさ、ちゃんと、アフターの時にお話し聞くから!」 「そっか、そうだよね、せっかくアフター出来るんだから、もっといい場所で落ち着いて話すべきだったね」 「だから、楽しく飲も!ね!」 「そうだね、じゃないと、先輩にだって悪いもんね」 キヨシくんはどうやらもう二本目のシャンパンで既に酔っているようだ。 その酔いに任せて、唐突に店で告ってこようとしたのを察すると、私は目を細めて愛おしいものでも見るような、限りなく微笑みに近い慈愛に満ちた笑顔を作っで諭す。 店で告られるのは、それはちょっと困る。 目の前には、楽しそうに二人で喋っているタツくんとナギサさんがいるし、私はこれから他の卓でもっと酒を飲まなければならないのだし、出来ればそう言った話はアフターで私の酔いがさめて、ある程度まともに思考できるようになった頃にして欲しいと思った。 「うたこさん、お願いします」 そんな時、マネージャーが私のかわりに卓につくヘルプのキャストのお姉さんを連れてやって来て、私のことをキヨシくんたちの卓から呼び出す言葉をかけた。 多分まだ23時前だと思いつつ、木村さんが来店したのであろう、と予想する。 私はまだそんなに酔っぱらってもいないし、これならば今から日本酒を飲んだとしても大丈夫そうだ、と、めちゃくちゃに油断していた。 「キヨシくん、ちょっと行って来るね、アフターはずっと一緒だから心配しないでね」 どこか不安そうな表情を浮かべているキヨシくんに、私はニコっと今度は元気に微笑みかけてそう告げる。 膝に敷いていたハンカチと化粧ポーチを持ってソファから立ち上がると、再び卓の前で膝をちょこん、とだけ曲げてから、マネージャーの後ろ姿を追いその場を去る。 正直キヨシくんが酔っぱらって来たら大変そうだなあ、と思っていたところだったので助かった。 キヨシくんに店で告られるなんて困ること以外の何物でもない。 目の前には謎のタツくん、盛り上げ役のナギサさん。 そんな中で私がキヨシくんに答えられる言葉で無難なものなど何一つ浮かばない。 そもそも、店で、好きだの付き合ってだの、無理だの、私なんて貴方にはもったいないだのの攻防を繰り広げるのは嫌だった。 まあそれは、木村さんの卓でもきっと変わらず行われるには違いない事柄でもあるのだが、あちらは太客なのでまた別だ。 「お待たせ致しました、うたこさんです」 「よ、お疲れ、うたこ。今日はなかなか連絡出来なくて悪かったな」 「お疲れ様です木村さん。いいんですよ、お顔を見てお話出来るのが嬉しくて、待っていましたから。そうそう!フロアに飾ってある、薔薇の花束は見ましたか?」 マネージャーに案内されて辿り着いたのは、ビップルームの内の一部屋だった。 ビップルームを選ぶと言うことは、フロアの卓よりも高めのチャージ料金がかかるし、多分日本酒を持ち込んでいるので、その店のメニュー以外の品を持ち込む為の代金も木村さんは支払っているはずだ。 これはどうやら本当に何かしらの仕事が上手く行った、と言うことなのだろうな、とさすがに何にも考えていない私にでもわかる。 そしてビップルームで飲むと言うことはつまり、木村さんとこれから一緒に過ごす時間全ては、何かオーダーなどがありボーイを呼ばない限り二人きりと言うことだ。 フロアの卓で飲むのとは違って、店に訪れている他の客やそこについているキャストのお姉さんたち、仕事中のマネージャーなど、そう、まさに誰からも見られることのない密室で、完全に二人きりの時間がはじまる、と言うことだ。 私はぎこちない笑顔にならないように気をつけて微笑むと、ちょこっと膝を曲げて挨拶をし、木村さんの横へと腰掛ける。 テーブルの上にはカラオケのデンモクとガラスの大きめな灰皿が一つ置いてあり、目の前には一面、と言った感じで液晶画面が広がっている。 その画面を真ん中にして、左右にある壁が凹んだ部分には、花瓶と花が活けてあり、灯りもフロアよりは少々暗めだ。 「ああ、見たよ、なんだか誇らしかったな、ほら、店の部長か?あの人がとても喜んでくれてな、何度もお礼を言われたよ」 「私もですよ、木村さんのお陰でお店が華やかになった、ってとても嬉しそうでした」 「今日はいつもよりも、数段いい女だな、うたこは」 「ドレスのことですか?木村さんがいらして下さって良かったです。是非、見てもらいたかったから」 「似合ってるよ、いつもの控えめなやつもいいけどな、うたこは若いんだから、そういうのも着てみたらいいんじゃないかって、俺は思ってたんだ」 「嬉しいです。木村さんが褒めて下さると自信がもてます。私、木村さんの目を信じているから」 「そうかそうか、今度は、うたこにはドレスを買ってやるかな」 良かった、胸の部分は実は店でドレスを着用する際には、分厚いヌードブラを使い、真ん中に谷間が出来る程にはめちゃくちゃ盛っていたのだ。 なので、実際はペタンコな幼児体型かもしれないが、ドレスの時だけはそれなりに見えるようには努力していた。 「わあ!木村さんが選んで下さったドレスならば、きっと私の好みとも絶対同じだと思う!嬉しいです!」 「そうだな、俺とうたこは趣味が似ているからな、今度、俺が休みの日にでも一緒に見に行くか!」 私はあまり酔ってはいなかったが、そう言って大きな声で笑う木村さんは多少酔っているような雰囲気だった。 どこかで何か用事があって、誰かと飲んだ後に訪れたのかもしれないな、と思いつつ、それは聞かないでおく。 とにかく、とても機嫌が良い様子だったので、キャッキャとはしゃいで見せるだけで喜んでくれるので、話を合わせやすくて助かった。 その会話の間に、若いボーイが今日木村さんが私へと贈ってくれたピンクの小ぶりの花束を持って来てテーブルに飾り、もう一人の、もうそれなりの年齢であろうボーイが日本酒とグラスを準備する。 それなりの年齢に見える方のボーイが、木村さんに氷はいるかどうかを丁寧に訊ねていたが、木村さんは必要ないと答える。 私は必要なんですけど…アルコール度数下げて飲みたいんですけど…、と思ったが、そんなことを言えるわけなどなく、ただニコニコとしていることしか出来なかった。 そうして、ボーイたちが行ってしまうと、私たちは完全に二人きりとなった。 「木村さん、お忙しいところわざわざ会いにいらして下さって本当にありがとうございます。それからお花もまた頂いてしまって…お好きなお酒まで持って来て下さるなんて、私本当に嬉しくて、早くお会いして、お顔を見て、こうしてお礼が言いたかったんです」 喋りながらも、贈られた酒の場合私が注いでも良いのかどうか良くわからなかったし、日本酒の一升瓶の開け方なんぞわからなかった為、とりあえずグラスには触れず、ちゃんと顔を見てしっかりとお礼を伝えた。 木村さんは笑顔で頷くと、自分から日本酒、越乃寒梅だったっけ、その冠頭の部分を器用に開けると、私と自分のグラスに注いでくれた。 「うたこはあんまり欲がないからな、酒が好きならばせめて一緒に飲もうと思ったんだ」 「いえいえ、欲なんてありまくりです、木村さんが私のことを買い被りすぎなんですよ」 「うたこはまだ19歳だろう、これから先、もっといい女になる」 「どうですかね…木村さんはそう言って下さいますけど、一体どこがいい女なのか自分ではさっぱりわかりません」 「ははは、わからなくっていい、俺だけが知ってればいいんだからな」 木村さん、私はただの、先の事も将来のことも何一つ真面目に考えちゃいない、ただのメンヘラでしかないんです。 きっと、木村さんの前で演じている「うたこ」だったら、そんな風に、木村さんが思って下さっているような「いい女」になることも、もしかしたら出来るのかもしれないのですけれど、生憎そんな「うたこ」はこの世には存在していません。 ですから、そんな私に「いい女」だなんて言葉は、僭越過ぎて申し訳ないくらいなんです。 「あ、本当だ、とっても美味しいですね、この日本酒、私好きです!」 「そうか。良かったよ!うたこ、遠慮しないで飲めよ」 何と答えたら良いかわからず、私はそそくさと日本酒に口をつけると、フフ、っと嬉しそうに笑って見せた。 そうやって二人で木村さんが贈ってくれた日本酒を飲み、木村さんがたまに私へと向ける視線がいつもと違うものに変わっていっている、と言うことには気づいていたけれど、私は無理にそういう方向の話題になりそうな時は話を避けるようにしていた。 しかし、木村さんはどんどんと酒を飲むペースがはやくなり、私のグラスに酒を注ぐ回数も増えて来る。 私は「美味しい」「好き」と言ってしまった手前、喜んで飲むしかない、その結果どんどんと酔いは回る。 付き合って欲しい、今まで付き合った彼氏の人数は何人だ、年上は苦手か、大丈夫ならば彼氏にしてくれ、それじゃあどんな男が好きなんだ、前の男とはヤったのか、俺の好きな部分があれば教えてくれ、そんな質問たちの中んに、いつもより少々逸脱している内容までをも時々織り交ぜつつ、その攻撃は続いたのだった。 もはや、回避不可能に近い。 「私は木村さんのことが、木村さんと言う人間が好きです。でも私はまだ19歳で無知ですし、生活が…学生ですので、そういう、生活サイクルがそもそもあまりにも違いますし。それに、今まで木村さんとの関係が変わると言うことを意識して考えたことがなかったので、出来れば時間をかけて、ゆっくりと、もっと…ちゃんとお互いのことを、知ってから…ですか、ね?」 日本酒が頭にも回って来て、気分が良くなって来て、ついそれなりに楽である色恋方面の対応をしてしまいそうになるのを精一杯抑えて答えた言葉は、そんなありきたりな物になってしまう。 古臭い、使い尽くされたようなその表現、そのくらいしか思い浮かばなかった。 ネガティブな人が受け取ったならば「フラれた。でも気があるフリして、店には来て欲しいんだな」とそう感じたのではないだろうか。 けれど、ポジティブな人が受け取ったのならば十分色恋方面に近い答えでもある。 まるで「自分の事をもっと深く知ってもらえたらOK、つまり脈あり」と言うような言葉になる。 でも、それが、この酔いの回って来てしまった頭でなんとか考えて絞り出した、その時の私の精一杯だった。
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