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嫌な予感
「ごめんね、お待たせ!キヨシくん!」
「お待たせ致しました、うたこさんです」
私はマネージャーの後ろからひょこっと顔を出して、目が合ったキヨシくんに、思いっきり酔っぱらっていて超気分いいです!と丸わかりな声音で、ただいま!と挨拶をする。
次に、ヘルプについていてくれたキャストのお姉さん、マナミさんの名前が呼ばれると、彼女は自分が飲んでいたドリンクのグラスを持って立ち上がり、頭を下げてからマネージャーの後ろへとつく。
私は「ありがとうございました!」とマナミさんにお礼を言ってから、キヨシくんが座っている方のソファに半ば倒れ込むように勢い良く座った。
「うたこちゃーん、お帰りー!!待ってたよお!!」
いい感じに酔っぱらっている様子のナギサさんが、いの一番に大きな声で出迎えの言葉をくれる。
私はナギサさんが私に向けて伸ばした片手の平に、自分の手のひらを合わせると、キャッキャと二人してはしゃいで見せた。
キヨシくんもそこそこ酔っぱらっているようで、今はシャンパンではなくハウスボトルの方を飲んでいるようだった。
テーブルの上を見ると、ワインクーラーにはまだあけていないシャンパンが一本氷に半分埋まった状態で斜めになっている。
タツくんもハウスボトルを飲んでいて、ナギサさんの前には、カクテルの入った単品でのオーダーのドリンクのグラスと、からになったその縦長のグラスが三本程立ててあった。
もしかしたら、もう次の延長の時間になりマネージャーが来たら、そこで延長することはなく、キヨシくんとタツくんは帰ることにしたのだろうか?と一瞬思って、やったー!!と心の中だけで歓喜していたら、どうやらそうではなかったらしい。
私は、何も言わないキヨシくんの顔を覗き込むと「どうしたの?」と心配そうに声をかける。
キヨシくんは何も答えなかったけれど、かわりにタツくんが明るい声で私へと話して聞かせる。
「お帰り!うたこちゃんが戻って来てから飲みたいって言うからさ、シャンパンあけないで待ってたんだよ。その、ほら、キヨシがね」
「キヨシくんが、ですか??」
「そうなんだよー!!なんかねえ、キヨシくんがはじめて自分でシャンパン入れるって言うから!うたこちゃんと飲む為にって!だからマナミちゃんには普通のドリンク飲んでもらってたの」
「ナギサちゃんもさすがだよ。何も言ってないのに、ちゃんとキヨシの気持ちわかってくれてさ、ドリンクにして待っててくれたし。この店の子たちはみんな仲が良くて、優しい感じだな」
「…そうだったんだ。キヨシくん、ありがとう!大丈夫だよ、ちゃんとアフターの約束したでしょう?」
「…ごめん、うたこちゃん。今日のうたこちゃん、いつもより、その、すごく綺麗だから、他の人にとられちゃうんじゃないかって、思っちゃって」
「何それ!!ないない!!みんな、私のことなんてコドモ扱いだよ!」
私は大げさな身振りで左右に手を振って、本当にそんな出来事なんか一個もないよ!と驚いたような顔をしてから告げると、すぐさま子供っぽい年齢相応と思われる笑顔を作る。
日頃キヨシくんが「こう」なってしまった時に、彼に言い聞かせているように、他の客たちは、私を自分の娘のように感じていて、ただ応援してあげたいと言う気持ちから通って来てくれている客ばかりなのだ、と。
そしてはじめは本当だったそれが、いつしか「真っ赤な嘘になりつつある状況になってしまった」、と言うことに、私自身も多分苦しんでいた。
「ほら、せっかくうたこちゃんが戻って来たんだし、楽しく飲もうや。キヨシ、自分であけてみるか?」
「…そう、ですね。先輩、あの、俺あけかたってわからなくて。やったことないんですよ」
「じゃあ俺があけるよ、うたこちゃんもナギサも新しい新しいシャンパングラスもらう?」
「いえ、私は大丈夫ですよー!」
「タっちゃん、すっごいよく気が利くよねえ!ナギサ驚くよーほんと」
あらら。いつの間にか、ナギサさんは呼び捨てに、タツくんはタッちゃんへと、呼び名変更となっている。
この二人はずいぶんと仲が良くなったらしい、と言うことがすぐさまわかる。
確かに、どんどん仲が深まって行く二人を前にして、自分の指名しているキャストがなかなか戻って来ない、となってはさぞ寂しかったことだろうと思う。
私は、キヨシくんの両頬を手のひらで包むと、私の方を向かせ、視線をしっかりと合わせる。
「キヨシくん、今日はちゃんと約束してるんだから、何にも心配しなくていいんだよ」
「…うたこちゃん、そうだよね、ごめん。うたこちゃんはただ、仕事一生懸命頑張ってるだけなのに、俺…」
「ううん、もういいの。私も楽しみにして頑張ってるから、キヨシくんも、楽しみな気持ちで待ってて欲しいな」
「わかった、うたこちゃんありがとう!じゃあ、このくらいしか出来ない俺だけど、一緒に飲んでくれる?」
「もー何言ってるの、当たり前だよ。キヨシくんはもっと、自信持ってね」
そう言ってから、頬を挟んでいた両手の平から彼の顔を自由にすると、タツくんが注いでくれた、キヨシくんが店ではじめて入れたシャンパンを、四人で乾杯をして、それからこっそり、二人だけでも乾杯をして、口をつける。
一番安いものだけれど、それだってキヨシくんからしたら、生活して行くのに遣う為のお金の中の一部であり、店で使うはずではなかったはずのお金だ。
私はちゃんと、ありがたいと言う気持ちを持って、そのシャンパンを味わって飲んだ。
「ナギサさん、お願い致します」
ナギサさんがタツくんとシャンパンを飲みながら、楽しそうに会話をしていると、マネージャーが卓へやって来て、ナギサさんの指名客が来店したのであろうと想像出来る一言を告げる。
ナギサさんは、自分が飲んでいたシャンパングラスの上に、自分の名刺を蓋替わりのように置くと、元気いっぱいに化粧ポーチと膝に敷いていたハンカチを持って立ち上がる。
「ナギサ、ちょっと行ってくるね!タッちゃん待っててねー」
「あ、良かったらナギサもアフター来る?他の客んとこで入らなければだけど」
「いいの?超嬉しい!楽しみに頑張ってくるよー!」
「ナギサさん、行ってらっしゃい、待ってますからね」
「ナギサさん!アフター、もしご一緒できたら、私も嬉しいです!!」
やった!ナギサさんも一緒かも!それならば、告白されたりなんだりの面倒な時間は避けられるかもしれない。
こうやって楽しく四人でワイワイ騒いで飲んで、始発を待つだけだ、と言うのならば、それが一番私にとっては好ましい展開だった。
ナギサさんは「楽しみに頑張ってくる」と言う、上手い言い方をしたから、他のもっと太い指名客からアフターを誘われた場合はそちらとアフターに行くだろう、と言うことは予測出来たが、一縷の望みが現れたのだ。
ナギサさんは私たちに笑顔だけで応えると、ソファを抜けてマネージャーの後ろへとつく。
そして、ナギサさんのかわりにタツくんにつく為にやって来たヘルプのキャストのお姉さんは、ナナさんだった。
あれ?ナナさんは、先ほど私のかわりに木村さんのヘルプにつけられたばかりではなかっただろうか、とふと疑問に思う。
いくらなんでも、ヘルプとは言え、つけられた卓を抜かれるのが早すぎるような気がする。
「ナナさんです、よろしくお願い致します」
「あの、わたし、ナナです、失礼します」
「えっと、ナナさんはね、まだ22歳なんですよ、お店に入ったの、ちょっと前なんです」
「そうなの?頑張ってるんだね、よろしくな。俺はタツで、こいつがキヨシ」
「はい!えっと、タツさんと、キヨシさんですね、わかりました」
そう言うと、ナナさんはあろうことか、ソファに座り次第、自分の名刺を出すとそこに短いメッセージと自分の連絡先を可愛らしいキャラクターのついたボールペンで書き始めた。
あれ?やばい、もしかして?と思う。
どうしよう、私が説明するべきだろうか、それともマネージャーを呼んだ方が良いのだろうか、まさかナナさん、それ渡すの?この二人の客に?
「えっと!改めましてナナです!よろしくお願いします!」
「あの、ごめんね、ナナさん、えっと…それはやっちゃダメなんだよ」
「え?」
ナナさんは、私が思っていた通り、タツくんとキヨシくんに自分の源氏名と連絡先が書かれている名刺を、ニコっと微笑みながら手渡そうとした。
それを、私は「咎める」のではなくて「言い聞かせる」「なるべくその失敗を笑い話に変えられるような雰囲気」に持って行きつつ、笑顔は崩さないように気をつけながら口を開く。
ナナさんに、店のルールを、キャストがやってはいけないことを、教える為に。
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