チェンジを食らうコ

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チェンジを食らうコ

私は「叱っているつもりはない」「嘘を教えようとしているわけでもない」と言うことが、ナナさんに伝わるようにと、自分が入店したてだった頃の失敗談も交えて、タツくんやキヨシくんのことも笑わせられるように話を広げながら、ナナさんの名刺をキヨシくんとタツくんから受け取って、彼女へと返す。 それを受け取るナナさんの表情はいかにも納得がいっていない、と言った感じで、今にも「なんで?」と私に問いかけてきそうだった。 このキャストのお姉さんは天然さんなのかな、と言う印象を持ちつつ、少し困った笑顔でシャンパンを飲みながら、場の空気を壊さないように気を付けて「ルール」の話を続ける。 「指名しているキャストがいる客」であるキヨシくんや、「場内指名したキャストがいる客」であるタツくんには、名刺や連絡先を渡してはいけないと言うこと、基本的にマネージャーから「ヘルプ」で、と言われてつけられた卓では名刺を客に渡してはいけないと言うこと。 万が一、ヘルプでついた卓の客の方から名刺が欲しい、と強請られたとしても、徹底して渡してはいけない、と私は考えている、と言うこと。 名刺は極稀な例外を除き、基本的にはフリー客に渡すものであると言うこと。 「ね、ナナさん、じゃないと、本指のキャストのお姉さんから見たら、自分が一番仲が良いと思っているお客さんに、ナナさんが勝手に手を出そうとしてるのかな?って思っちゃったりするかもしれないんです、そしたら嫌われちゃったりするかもしれないですよ!お客さんの方も、本指のキャストのお姉さん以外に、ナナさんとだったら連絡を取ってもいいのか!って勘違いしてしまったりで、大変なんです。だから、気をつけた方がいいですよ!」 なんとかそこまで砕けた感じで伝えてはみたけれど、ナナさんは理解出来ているのかいないのか、返されてしまった名刺をじっと見てから、化粧ポーチの中へボールペンと共に仕舞った。 私は、大丈夫そうかな?と思ってホッとする。 すると、ナナさんは気を取り直して、と風にコロっと態度を変え、明るく大きな声を上げる。 「間違えちゃって、すみませんでした!!これ、シャンパンですよね??すごーい!わたし、飲んだことないんですよー!!」 それは、自分も飲みたい、と言うおねだりなのだろうが、ここは指名と場内のキャストが既に存在している卓であった。 しかも、ヘルプとして自分のついた客の方からドリンクを頼んでも良いと言う許可すらまだもらっていない立場で、いきなりシャンパンをねだる、と言うのは、あまり見かけない光景でもあったので、私は少々面食らってしまう。 私も少し前まではキャバクラ未経験の新人として勤め出したが、そのようなおねだりを自分の方からしたことは一度たりともなかった。 「はははは!ナナちゃん?だよね?おっもしれーな!でもごめんな、このシャンパンは、キヨシがうたこちゃんに贈ったもんだからさ、なんか適当にドリンク頼んでいいよ」 「…えっと、タツさん、ありがとうございます!でも、ナギサさんは飲んでましたよ?」 「…あの、ナナさん、ナギサさんは、タツくんの場内指名のキャストさんだから、キヨシくんから、タツくんとナギサさんにも一杯ずつどうぞ、って感じで注いだものなんですよ」 「じゃあ、キヨシさん!わたしも飲んでいいですか?」 「えっ!」 私は別にどちらでも構わないのだが、キヨシくんは固まってしまう。 と言うか、グイグイくるな、ナナさんは、と思うのと、さてはヘルプについている際に木村さんに何かやらかして怒らせたのではないだろうか?と言うような嫌な予感が頭をよぎった。 そうか、それだったのならば、すぐにヘルプから抜かれてしまったのも頷ける。 これはまた、なんだか厄介なキャストのお姉さんが入店してしまったものだなあ、と思いつつ、キヨシくんがどう答えるのかを待ってみる。 すると、テーブルの影になって見えないであろうソファの上で、私の手の甲を、キヨシくんがぎゅ、っと握って来た。 「ナナさん、すみません。これは俺からうたこちゃんに入れた、はじめてのシャンパンなので、何か飲みたいのであれば、出来れば先輩、…タツさんにお願いをしてみて下さい」 「そうなの、ナナさん。あのね、ナナさんが今ついているのはタツくんなの。キヨシくんじゃないの。だから、キヨシくんにおねだりをするのは、実はちょっと間違えてるんですよ」 困った笑顔のまま、私はキヨシくんの言い分に助け船を出すと、後はタツくんなんとか頼む!!と言った気持ちで、全てをタツくんの手腕に任せることにした。 あの、頭も口もよく回る、会話も上手なタツくんのことだから、何かしら良い手でもってこの場を元の和やかな卓へと戻してくれるのではないだろうか、と言う期待もあった。 タツくんも、この時はまだ笑顔だったし、特に何も気にしていないように見えたからだ。 「そうなんですか?なーんか、嫌な感じ!うたこさんとキヨシさんて、意地悪なんですね」 その言葉が、例えばイチャイチャしている指名客とキャストのお姉さんの色恋営業バリバリの卓で発されたものであれば、また印象も違っていたかもしれない。 尚且つ、何度もその卓にヘルプや場内指名でついたことのある、本指のキャストのお姉さんと仲の良いキャストの女の子から発された物だったのであれば、誰も気にも止めず、さらには「仕方がないなあ」なんて言って、客の方からドリンクや新しいシャンパンなんぞを入れてくれたりしたかもしれない。 けれど。 「ナナちゃんだっけ、チェンジね」 この卓は残念ながらそのような卓ではなくて、そしてナナさんがヘルプでつくのははじめてのことであった。 一度ルールを破り、そして、二度目のルールも破り、挙句、謝罪ではなく、指名のキャストと何よりも客に向けて「言ってはいけないタイミングで言ってはいけない言葉」を遣ってしまった。 チェンジね、と、そう告げるタツくんの顔はもう笑ってはいなかったし、どちらかと言うと軽蔑したような目で彼女のことを見ていた。 場がしらけることを嫌うのだろうか、ナナさんのことを、もう必要のなくなったものだから早くその場からどかして欲しい、ここに置いておく意味はないから、と言うような、無感情な声だった。 「ええー!!なんでですか?わたし、何かしましたか?タツさん、怒っちゃったの?」 「ごめんね、うたこちゃん、マネージャーかボーイ呼んでくれる?」 「あ、えっと、はい、…お願いしまーす!」 私は腰を少し浮かせて周りを見渡すと、この卓のすぐ近くでマネージャーが付け回しをし終わって、ちょうどフロアの真ん中へと戻ろうとしているのを見つけたので、片腕を上げて大きな声で呼び出しをかける。 「…お待たせ致しました」 マネージャーはすぐにこちらに気づいてやって来ると、返事をしながらも、その声の持ち主が私であると言うことや、ナナさんがついている卓である、と言うことがわかったのであろう、少しだけため息をついたような気がした。 それはまるで、またか、と言ったように。 ナナさんは、やはり木村さんのことを怒らせたに違いない、私はこの後戻ることになるであろう木村さんへのフォローをアレコレと考えて、焦る羽目になる。 「このコ、迷惑だからチェンジして」 「かしこまりました。すぐに、ナギサさんが戻ってまいりますので、少々お待ち頂けますか」 「うん、ナギサのこと待ってる間、できればさっきの、マナミちゃんみたいなコがいいんだけど、それも場内入れないとダメ?」 「…ご迷惑をおかけしてしまったようですので、場内でなくとも、マナミさんをつけさせて頂きます」 「ねえ、おかしくない!?わたし何もしてないよ?なんで怒るんですか?」 「うーんと、ナナさんはきっと、まだお仕事は、お勉強中なんだと思います!きっと次は上手く行きますよ!大丈夫です!頑張って下さいね!」 「…ん、うたこさん、色々教えてくれたのに、ごめんなさい。私、向いてないのかなあ…」 「向いてねえな、はやく行ってくれる?邪魔だし」 タツくんの冷たいその一言で、顔を歪めていたナナさんはとうとう泣き出してしまう。 それを、マネージャーが「お客様の前ですよ」と叱咤すると、そのまま力なく立ち上がったナナさんのことを、手首を引いて、待機席の方へと連れて行った。 そう、私のことを、マンションに入る前に、手首だけ掴んで、引いていった時みたいに。 あの手のひらは、私の手のひらと、重なってくれることはないのかな。 私も、ナナさんと、同じなんだね。 「キヨシとうたこちゃんは何にも気にしなくっていいからね、俺ああいうコ苦手なんだよなあ」 「でも、あの、ナナさんはキャバクラで働くのは初心者で、まだ何もわかっていないだけだと思うので…」 「でも…うたこちゃん、ごめんね、俺もさすがに、苦手かも」 あの誰にでも優しいキヨシくんまで眉を下げてそう言うと、ふう、と大きく息を吐くと、シャンパンを煽り出した。 お、キヨシくん、飲む気になって来たのかな? それはよかった、酔って機嫌が良くなってくれる分には大歓迎だ。 しばらくして、マナミさんと言う私が戻って来るまでキヨシくんについていてくれたキャストのお姉さんがマネージャーに連れられてやってくると、タツくんはすぐに今までのタツくんへと戻った。 マナミさんは清楚系で、黒髪の艶のあるセミロングのストレートの髪型がとても似合う、気遣いが出来る丁寧な話し方をするキャストのお姉さんだ。 人気がすごくあると言うわけではないが、よくヘルプで活躍をしている、と言うイメージを持つキャストのお姉さんだった。 「マナミちゃん、またどーも!お帰り。何か飲む?」 「あ!あれだったら、先輩とマナミさんも、一緒にシャンパンを飲みましょう!」 「…いいんですか、キヨシさん、うたこさんの為に入れられたんですよね?私のことは、どうか気になさらないで下さい」 「いいんだよ!せっかくだから、楽しい気持ちで酔っぱらいたいなって、俺も思ったから!」 「いいよいいよ、キヨシ、お前のはじめてのうたこちゃんへのプレゼントだろ、うたこちゃんにやんなよ」 「キヨシくん、タツくん、マナミさん、ありがとう!でも私、せっかくのキヨシくんの気持ちなんだから、誰にも渡さないけどね~!!」 ニヤッと笑って見せると、私はシャンパンをボトルごと両手のひらを添えて持ち上げると、口をつけてそのまんまボトルから三分の二ほどまで残っていたシャンパンをゴクゴクと一気に飲み下した。 品はないかもしれないが、キヨシくんの気持ちを汲み、尚且つ場を盛り上がらせることが出来る、そして次に、怒っているかもしれない木村さんを宥める為の景気づけとして、この行為は全てにおいて必要だった。 最後のは、主に私にとってだけ、なのだが。 喉をプツプツと炭酸が細かく傷つけながら食道を通り抜けて行くのがもう涙が出るほど爽快な気分だった。 つまりは、自棄だった。 ボトルを空にすると、コン、とテーブルの上に置き、私は頬がアルコールとちょっとした照れから熱くなるのを感じつつ、ハンカチで口元を拭う。 「やだ、あはは、うたこさん、…うふふ、すごい!私、びっくりして、写メと、動画に撮ってしまいました!」 「ええーマジですか!マナミさん、後で送って下さい!ライン教えときます!」 「俺も撮っちゃったよ、うたこちゃん、やるねえ」 「みんなうたこちゃんのこと撮ってたの?俺、呆気にとられちゃって…先輩!後で送って下さい!」 「えへへ~!キヨシくんからのせっかくの贈り物、ちゃんと私がぜーんぶ!頂きました!」 「…うたこちゃん、無理させてごめん、でも、…嬉しかった」 キヨシくんが、改めて私の手の甲をぎゅうっと握ると、ころっとひっくり返して恋人繋ぎをして来た。 いい、いい、別に良いのだ。 なんだっていいのだ。 酒の席であって、普段からこうしていて、今はタツくんはマナミちゃんと喋っているのだから、好きなように解釈して、どうぞ好意をもつなり引くなり好きにして下さい、と言った気分だった。 ヤケっぱちな感情を胸に隠し、えへへ、と、へらへら笑ってみせる。 酔わなきゃやってらんねえよ!って、そういう事件と言うものが、週末には何故だか、多めに起こったりするのだ。 酒を沢山飲むことが増える休日前。 客も皆、それなりに羽目を外すし、私はそれを盛り上げるのが仕事なのだから、それは仕方のない事象でもあるのだ。 さて、ナナさんは、木村さんに一体何をしでかしてくれたのだろう。 私は酔っぱらっていたし、それを考えると少しばかり半泣きになりそうだった。
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