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「愚痴」
私はマナミさんとラインを交換すると、さっそく自分がシャンパンをラッパ飲みしている写メと動画を送って来てくれたので、それをキヨシくんと一緒に見てお腹を抱えて二人で大笑いをした。
キヨシくんとタツくんはハウスボトルを飲むと言うので、新しいものを作る為にボーイを呼んでアイス交換をお願いする。
その頃、ナギサさんが結構な泥酔具合いでやっと指名の卓からこちらの卓へと戻って来たので、マナミさんにありがとうございました、と声をかけると、それからナギサさんともラインを交換した。
ナギサさんはタツくんともとっくにラインを交換していて、タツくんが撮影したと言う動画も私の方へと彼女経由で送ってもらった。
そして、しばらく私のラッパ飲みの動画でみんなを笑わせることが出来て、なんとかナナさんのやらかしてしまったことの片はついたかな?と言った頃に、マネージャーが私のことを引き抜きにやって来る。
「うたこさん、お願い致します」
「あ、はーい!」
「うたこちゃん、がんばってね」
「ナギサ、やっぱアフター行くよ~楽しいし~!」
「うっそ!嬉しいです!やった!」
「うたこちゃん、待ってるからね」
そして私は、私の考えていた通りの事がどうやら木村さんの卓で起こっていたらしい、私の予想は的中していたらしい、と言うことを、ビップルームにつく少し前に、マネージャーの口から聞かされることとなる。
フロアを、マネージャーの後ろについて、少しばかりフラつきながら歩く。
マネージャーは私の手首は握ってはくれない。
そんなことはわかっているのだから、しっかりしなくては。
背筋をシャンと伸ばして歩く。
周囲を見渡すと、パッと目に入って来たのは、ミサが指名客の脚の上に自分の細く長い脚を両方乗せて、首に両腕を回している姿だった。
いや、さすがに後で怒られるだろうそれは、と思いつつ、待機席にはマナミさんと、もう一人、確か新人のユウコさんと言うキャストのお姉さんが、ナナさんのことを慰めていた。
ナナさんは、まだハンカチで目元を覆っているようで、それ以外の他のキャストのお姉さんたちは全て客についている、と言った様子でさすが土曜日だなと思った。
ビップルームへ向かう狭く照明を落としてある暗い通路で、一旦マネージャーが脚を止めたので、私も共に進むのをやめる。
マネージャーが額に手のをあてて、はあ、とため息をつくと、やはりな、とそれだけ思う。
私はこの先、和田さんの卓にも、キヨシくんの卓にも戻ることはないのかもしれないなあ、などと考えながら、マネージャーから告げられる言葉を待つ。
「ナナは、天然なだけで、合う客は合うんだが、空気が読めない。顔もまあまあだから、あるいは、と思ったんだよ」
「あるいは、ですか?」
「木村さんがうたこを指名しはじめた理由は、キャバクラ未経験の新人だったからだ。はじめはな。今は違うだろうけど。で、お前も天然なところがあるから、もしうたこからナナに指名がえしてくれるなら、その方がいいと思ったんだよ、俺は。でも軽率だったな、失敗した。悪かった」
「ああ、店としたら、うたこを取る、って言ってくれてましたもんね。でも、つまりそれって」
「ナナはいらない、ってことだな」
私は複雑な気分になってしまう。
多分、こういうことを私に言うのは、私がマネージャーと寝ているキャストである、と言う関係性故にであろうと言うことはわかっていた。
そうでもなければ、わざわざただのキャストの女の子にそんな詳しい内情を話す必要はないし、話す価値だって利益だってない。
どう考えたって「ひどい!」と思うキャストだっているだろう。
まあ「へーじゃあ私は気を付けよう」くらいのキャストだってもちろんいるとは思うが。
どのみち、そんな話をされたところで、マネージャーに対してマイナスの感情を抱きかねない、そんなことを彼は私に吐露した。
つまり、愚痴ってやつだ。
うたこは、「勤務中のマネージャーの愚痴」を手に入れた!
ちょっとだけ浮かれた!!
と、言うわけで、なんとかこの事態を上手くおさめ、木村さんには良い気持ちで店を後にしてもらわなければならない。
その為に出来ることと言えば、まあ、幾つかないわけではないが、急にそれらを試したところで、手の内見え見えと言ったことになるであろう。
どんなに酔っているとは言え、無理やりにでも頭を働かせて、さらなる状況の悪化には繋がらないであろう方法を選択しなければ。
「木村さんのこと、ナナさんがどうして怒らせたのかわかりますか?なんとか、は、一応してみます。まあ、出来る限り、としか言えないですけど」
「今はリョウさんがついてくれていて、話を聞いてやっているが、相当の量飲んでるからな、多少面倒くさいのは確かだと思う」
「いやあ、さっきまでも、もう十分面倒くさかったんで…ははは」
「多分おまえは察しがいいから気づいてると思うけど、名刺を渡そうとする、ドリンクのねだり方が下手、店では先輩であるおまえへのプレゼントである日本酒を自分も飲みたがる、おまえの為に入れた、まだあいてないシャンパンを勝手にあけようとする、花束は嫌だけれど自分も何かプレゼントが欲しいと言ってみた、まあ、色んなおねだりをしたらしいよ、ナナから聞いた話だけどな」
「おねだりをするのが仕事だと思っているんですかね?」
「顔がそれなりに可愛いからな、大学ではちやほやされてるんじゃないか、そうしてれば男は喜ぶと思ってたのかもな」
「マネージャーが、キャストのお姉さんを悪く言うのは、本当に珍しいですね」
「うたこに言っても仕方ないんだけどな、フリーにつけるにも、向いてない卓もあるし、正直扱いづらくてな。指名が取れたら、その指名の卓でああいう接客をやる分には、いいと思うんだけどな」
「なんか、木村さんの声、聞こえる気がする」
「かなり飲んでるからな。声もでかくなるんだろ。まあ、木村さんは大人だから、上手いことナナの無知なやり方も、新人だってんでスルーしてくれてたんだよ。そしたら、話せることがなくなったんだろうな、うたこが戻って来ないのは、他の卓が楽しいからじゃないか、って言ったらしいんだよ」
「はあ、よくもまあそんなことを…困りましたね」
「軽い冗談のつもりだったらしい。でも、いい気はしないだろ」
「でも、たったそれだけで、木村さんがそんなに怒りますかね?私、今までそれなりに木村さんを信用させる為に、色々と尽くして来たつもりなんですけど」
「他にも余計なこと言ったんだろ、俺に話さなかったのは、叱られるとでも思ったんじゃないの」
「うーん、じゃあ、静々と入室した方が良さそうですかね、それとも普段通りがいいのかな」
「あと、木村さんの機嫌なおったら、和田さんの見送りして、キヨシのとこはもうナギサがいるから木村さんが帰ってから戻ればいいだろ」
「とにかく、了解しました。いざ、戦場へ、と言うことで、リョウさんを解放しましょう」
「悪いな、うた」
「…い、いえ、がんばり、ます」
マネージャーに、頭を撫でられた。
ここは店で、二人とも勤務中なのに、うた、と呼ばれた。
なんだよ、コンチクショー!!
わかったよ、なんとかしてやんよ。
それなりに木村さんをご機嫌にして、ちゃんといつもみたいに楽しい気分で飲ませることに成功してやるよ。
それで満足なんでしょう。
そうしろってことでしょう。
だったらもう、私は、わかった、って言うしかないじゃないか。
「じゃあ行くか、何か秘策でもあるなら、知りたいところだけど」
「ありますよ、いっぱい。でも、企業秘密ですね」
マネージャーが知ったら、どう思うだろうか、私の企業秘密の内容を。
きっと何ひとつ変わらないだろうと思う。
だって私は、彼の担当のキャスト。
たまたま頑張らせたらNo上位に食い込んだ、自分に気のあるキャストの内の一人、でしかないのだから。
さて、やるか、ナナさんが一体どんなオイタをやらかしたのかはわからないが。
リョウさんは、とてもクールで物静かで、無理に場を盛り上げたりはしないが、人の話を聞くのがとても上手で、たまに見せる笑顔の美しい、儚げな印象の美人さんだ。
背が高く、金髪のショートヘアが似合う小さな顔とのバランスも、まるでそのようにカスタムされたドールのようで、野に咲く一輪の百合の花のようなキャストのお姉さんなのだ。
彼女の見た目と柔らかな声、言葉遣い、その話術によって心を癒すことが出来ない客は少ないのではないだろうか。
しかし現に、木村さんの声は、防音であるはずのビップルームの一部屋のうちの扉を震わせているのだ。
怒り故なのか、酔い故なのかはわからないが、リョウさんだってもう困り果てているに違いない。
いざ、リョウさんを助けに。
そして、木村さんの心に安寧を!
なんとか酔っぱらいまくっている頭の中で色々と策を練りながら、私は再び一歩前へと進んだマネージャーの背を追うと、ビップルームの扉にその手がかかるのを見ていた。
リョウさんの名がまず呼ばれて、リョウさんが扉の外へと自分のドリンクのグラスを持って廊下へと出てくる。
そして、木村さんからは見えないように、私へと素早く耳打ちする。
「木村さんは、うたこさんから好かれている、と言う自信を失っているようです」
「…わかりました、ありがとうございました」
それだけ言葉を交わすと、私はビップルームの中へと入って行くマネージャーについて行き、いつもと何一つ変わらない声での案内に、いつもと何一つ変わらない笑顔で膝をちょこんと曲げ、ただいま、の合図をした。
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