とにかく気合い

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とにかく気合い

残りのラストまでの時間はもう、本当に気合いで乗り越えたとしか言いようがなかった。 私はかなり酔っぱらってはいたが、それでも酒には強い方であった。 勤務中に泥酔して泣き喚いたり、怒り狂ったり、わけがわからなくなっておかしな騒ぎを起こしたり、そう言ったことは決してなかったし、本心から感情的になったりすることもなかった。 「今は仕事中である」、と言うことを意識するだけで、案外なんとかなるものだった。 キヨシくんの卓に戻ると、ナギサさんは他の指名客の元へと呼ばれた後だったようで、タツくんにはマナミさんがついていた。 もうシャンパンを入れることもなく、ドリンクを単品でオーダーすることに決めているようだったので、私は「飲んでもいいよ」と許可を得てから、飲み慣れたものをボーイに頼むと、なるべく口をつけず、ゆっくりと減らして行った。 マナミさんは穏やかで聞き上手なキャストのお姉さんで、接客もとても丁寧だから、タツくんの機嫌を損ねることはまずない。 私はキヨシくんの前では「普通の19歳の女のコ」であり続け、自分の指名客が訪れ卓を離れる際は必ず「アフターでずっと一緒にいられるから大丈夫だよ」とキヨシくんに笑顔で伝え、「それを楽しみに頑張って来るね」と言ってソファを立った。 他の指名客の卓でも極力今日はもう度数の強い酒やシャンパンを入れてもらう方向には話を持って行かないようにセーブをして、キープされているボトルを一緒に飲むことにした。 自分の物は水割りにして氷を多めに入れて作り、客の物も無理に酔わせないように、どの程度の濃さが良いか訊ねて作ると、会話や話を聞くことで楽しませることを徹底した。 それでも土曜日だし、パチスロで勝っただの、臨時収入があっただのと言っては、シャンパンを自分の方から入れてくれる客もいたので、それはそれで、私はちゃんと嬉しそうに喜んで見せた。 なんと言うか「会話で楽しませる」に、意外にも役立ったのは、このドレスだった。 私のような接客の仕方をするキャストが、肌の露出の多いドレスを身に纏っていることが珍しかったのであろう、皆それぞれに驚き、話題の中心はこのドレスと私のスタイルの話となった。 私のような接客の仕方をするキャスト、と言うのは、目に見えて色恋営業をかけては来ない、どちらかと言うと無邪気で天真爛漫に振る舞ったり、客の話を聞くことが主で無理にボトルやシャンパンなどのオーダーを自分からねだったりすることのないキャスト、と言う意味だ。 皆、それぞれの感想を良い意味で述べてくれたところを見ると、結構好評であると言うことがわかった。 私のように中途半端な立場と言うか、明確な「こういうキャスト!!」と言う強い個性を持たない者にとっては、意外性があって良かったのだろうか、と、そんな気持ちを抱いた。 思いっきり清楚を売りにしているわけでもなく、物凄く顔立ちが整っているわけでもなく、スタイルが抜群に良いと言うわけでもない、そんな私には、このくらいのプラスアルファがあっても良いのかもしれない。 マネージャーが通販のサイトで頼んでくれたドレスたちが届くのが、少しばかり楽しみになった。 くるくると卓を移動し、何度か指名客を送る為に店の出口で手を振り、そうしてやっとでラストの時間がやって来る。 店内に灯されたシャンデリアが、淡い橙色からぱあっと明るく眩しいものへと変わって行く。 私はそれを、キヨシくんの卓ではなく、他の指名客の卓で迎えることとなった。 「今日もありがとうございます!ご馳走さまでした!とっても楽しかったです」 そう笑顔で指名客に告げると、マネージャーがやって来て会計となり、客と共に店の出口向かい、階段の前の踊り場で見送る。 もうフラフラだったが、それでも倒れたり、色恋をかけていない客には無駄に色をかけることはせず、ただの元気で明るい「うたこ」として手を振って、また連絡しますね、また連絡するから、と言う言葉を交換するとフロアへ戻る。 もちろんラストの時間を迎えても、最後に残っている客は数人いる。 最後の時間まで残っている客の中で、それぞれお目当てのキャストのお姉さんに、その日一番金を遣った客が最後の見送りとなるのだ。 ミサだって今日も数名の客を被らせていたし、ナギサさんだってそうだし、他にもいつもNo3までによく入っているミズキさんと言うキャストのお姉さんだってそうだった。 マネージャーと、もう一人以前から働いている仕事の手際の良い、確か30半ばだと言うボーイが、残っている客それぞれの会計をこなし、見送りへと客とキャストのお姉さんたちを促す。 あの若い方のボーイは、客とキャストのお姉さんがいなくなった卓のテーブルを片付けたり、待機席に座っているキャストのお姉さんたちへと着替えて来て良いと言うことを伝えに行ったりしている。 やっと、慌ただしく「週末最後の日の終了」が始まった。 私はマネージャーに呼ばれて、キヨシくんの卓へと戻ると、ナギサさんも戻って来たばかりだったようで、自分の為に最後にタツくんが頼んでくれたドリンクの残りを一気に煽っていた。 ナギサさんはお酒が本当に好きなのだな、と思う。 そして、これからアフターで向かうのも多分酒を提供する店なのだろう、と考えると私はちょっとだけ気が滅入った。 大丈夫だろうか? こんなに酔っぱらっている私が「店での勤務中」ではない時間帯に酒を飲んだりなんかしたりして。 何か、おかしなことは起こらないだろうか、何かしでかしてはしまわないだろうか。 不安でしかない。 一刻も早く、酒を吐いてしまいたい。 「タっちゃんとキヨシくんはどこで待ってるー?ナギサとうたこちゃん、着替えて来るからさ、そしたら連絡したらいい?」 「あの、どこに行くんですか?やっぱり飲み屋さんですか?」 「あーどうしよっか。俺、あんまり新宿詳しくないから、タクシーで移動してもいい?」 「俺と先輩は、適当に、どこか外で待ってるよ」 マネージャーが卓へとやって来たので、タツくんはカードでの会計をお願いして、キヨシくんが自分が入れたシャンパンの分の金額をタツくんに手渡しつつ、四人でこの後どうするかの話をまとめる。 フロアに残っているのは、ミサとその指名客と、ミズキさんとその指名客、それからこのタツくんとキヨシくんの卓だけとなった。 マネージャーが部長のところから戻って来て、カードをタツくんに返すと、私たちは見送りの為に四人で一旦ソファを立ちあがる。 「ご来店頂きありがとうございました」 マネージャーのその一言で、私はやっと一息つける、と思うと気が抜けてしまう。 めちゃくちゃ水を飲んで、トイレで出来るだけ酒を吐いてからアフターへ向かおう、と改めて思った。 ナギサさんも結構酔っぱらっている様子だったけれど、あっけらかんとしている。 メンヘラじゃない人はいいなあ、と思った。 メンヘラは飲み過ぎて泥酔すると、喜怒哀楽は激しくなるし、情緒も普段より不安定になりやすくなる。 一人で部屋でそれをやってる分にはいいが、外では自制が必要なのだ。 全くもって厄介で、本当に手に負えないのだ。 いつだって私は、私のことが一番手に負えない。 そんなことを考えながらも、笑顔は絶やさず、キヨシくんと手を繋いでフロアを歩いて店の出口を目指す。 前を歩くナギサさんも、タツくんの腕に自分の腕を絡ませていたけれど、多分タツくんはもうこの店には来ないのではないだろうか、となんとなく思っていた。 ナギサさんに本気で入れ込んだ、と言う感じもしなかったし、どちらかと言うと「どんなキャストがいるのか」とか「私たちの接客の仕方」なんかを観察しに来ただけ、と言うような気がしたのだ。 マジで謎の人であることには変わりがないので、アフター中も用心しようと思っていた。 「それじゃ、後でね」 「タッちゃん、キヨシくん、待っててね!」 「うたこちゃん、ナギサさん、お疲れ様、今日は本当にありがとう」 「キヨシくんてば、まだバイバイじゃないんだからね」 「そうだった、まだ、信じられなくて、つい…」 「適当に待っとくからさ、ま、急がず来てよ」 軽く話して見送りを済ませると、私とナギサさんは一緒に二人の背中が見えなくなるまで手を振って、そうしてやっと階段の踊り場から店内へと戻る。 途中で客を見送る為にこちらに向かってくるミサと出会い、ミサが私にガバっと抱き着いたので、客はそんな酔っぱらいまくっているミサの姿を見て、面白そうに笑う。 「うたちゃーん!今日もお疲れ、今日はナギサさんと一緒に帰るの?」 「こら、ミサ、お客様の前だよ!」 「いいよ、いいよ、俺は気にしないから。ミサはうたこちゃんが本当に好きだなあ」 「いやあ、なんかすみません。ミサ、今日は私アフターがあるから、ミサはちゃんと送りで帰るんだよ?」 「お、うたこちゃんはアフターなのか。じゃあミサ、俺たちもアフターでも行くか」 「いいよお!うたちゃんと帰れないなら、私もアフター行こうっと」 そう言ってミサは私に、ばいばい、また今度一緒に帰ろうね、と言って背中を向けると、客と寄り添って自動ドアの方へと機嫌よさそうに再び歩きだす。 そんなミサの様子を、ナギサさんはどこか冷めたような目で見ていた。 やはり、ミサのことを苦手と言うか、あまり良くは思っていないのであろうと言うことがヒシヒシと伝わってくる。 まあ、仕方のないことだと思う。 人には、合う合わないがあるものだし、好き嫌いだってもちろんあるのだ。 「うたこちゃん、どうしてミサさんと仲良く出来るの?」 「うーん、いいとこもあるんですよ、ミサは」 「そうかもしれないけどさあ、自由すぎない?」 「まあ、自由だなあ、とは私も思いますけど、ミサに悪気はないので」 「悪気がないからって何をしてもいい、ってことにはならないと思うよ」 「ふふふ、それは反論のしようもないですね」 「ま、そんなコ、いっぱいいるけどね」 私は笑う。笑うしかないからだ。だってその通りだから。 ナギサさんはこういう接客業のベテランで、だから今までも色々な店で色々なキャスト達を見て来たのだと思う。 それでも、全てのキャストのやり方を受け入れて来た、と言うわけではないのだろう。 私のようになんでもいいや、と言うタイプではなくて、年相応のしっかりとした考え方を持っている人なのだな、と感じた。 多分、ナギサさんが、私とマネージャーの関係を知ったら、彼女は私のことを嫌うだろう。 もちろん、マネージャーに対しても良い感情は持たないだろう。 そんな気がした。 だっていけないことだし、いいように使われているだけと言うのを理解しているにも関わらず、それを断ち切らないと言うのは合理的ではない。 何より、ナギサさんは「人を惹きつける美貌とスタイル」を持っていて、場を盛り上げる「話術」にも長けている。 色恋や枕と言う手段を必要としない、そして好まないキャストのお姉さんだ。 まあ、だからと言って、私にはこの気持ちを止めることなどもう出来やしないのだけど。
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