忍び寄る悪夢

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忍び寄る悪夢

タクシーでは、タツくんが運転手の横に座り、目的地や行き方を説明している。 後ろの席には、私とナギサさんとキヨシくんが三人でビッシリ、と言った感じで詰め込まれることとなった。 これ、二台に分けるべきじゃない?とは思ったけれど、意外と店の会計が高かったのかもしれないな、と考えるとまあ仕方ないかなと思った。 「そう言えば、ナギサはどの辺りに住んでるの?帰り大変だったりする?」 「タッちゃんたちは西武新宿線だっけ?ナギサもだよ。ただ、ナギサは杉並なんだよね」 「あ、じゃあ多分そんな遠くもないよ、確か西武新宿線沿いの駅前までのバス出てたはずだし、近いんじゃないの。帰り、良かったらタクシーで送るわ」 「え、うっそ、ラッキー!ありがとうタッちゃん!」 「うたこちゃんはどうする?」 「帰る時になったら決めようかな、私も西武新宿線の駅まではタクシーで行くと思うけど」 「えっと…」 「なに?キヨシくんも、タクシーにする?」 「…うん、後で言うね」 私の隣にキヨシくん、その隣にナギサさん、と言った形で、女の子に挟まれているキヨシくんはなんだか居心地が悪そうだ。 あまり喋らないし、元々そんなに体が大きな方ではないのに身を固く縮めている。 そんなに緊張しなくても、普段から同伴や、店では結構べったりして来たのに、酔いがさめたのかな。 タツくんの言っていたキャバクラとやらは、新宿に比べたらだいぶ物静かな駅の近くの、高いビルの五階に入っている、小さなキャバクラだった。 狭いエレベーターに四人で乗って五階に着くと、1、2歩くらいしかスペースのない通路が現れ、目の前には小さな扉があった。 タツくんを先頭にして中へと入ると、その店の店長なのかマネージャーなのか、ボーイなのかはわからないが、とにかく黒服がやって来て、タツくんに「こんばんは、お久しぶりです」なんて言って笑顔で挨拶をした。 タツくんは「キョウコいる?」とだけ聞くと、私たちは入り口から本当にすぐ近くの卓へと案内される。 タツくんはさっそく、慣れた様子でくつろぎ出した。 白を基調とした、天井も壁も床もソファもテーブルも白、と言った、白尽くしの店内だった。 客がいっぱいになると待機席はなくなってしまうので、私の在籍している店では皆ヘアメ室や使われていないビップルームで待機したりしていたのだが、この店にはヘアメ用の部屋やビップルームなどはないらしい。 卓についていないキャストのお姉さんたちは、厨房と思わしき空間と着替えの為のロッカールームへ向かうのであろう細い通路の辺りにたまっていて、立ってスマホを弄っていたり、しゃがんで自分の名が呼ばれるのを待っている、と言った具合だった。 この店は、どちらかと言うと大衆向けのキャバクラなのだな、と言った印象を受けた。 いや、私の在籍している店だって超高級店と言うわけではなかったけれど、多分中の上?くらい? よくわからないけれど、それなりの、一般のレベルではあったと思う。 なかなか連絡先を教えてくれない客だっていたし、とんでもない額の支払いを平気でする客もいたし、ミサやミズキさんの極太客なんかは何かあれば何本もの高価なシャンパンを入れたり、それぞれの誕生日にはシャンパンタワーをやって盛大に祝ってもらったりしていた。 まあ、シャンパンタワー自体は色々大変だから、滅多にやらないみたいだけれど。 そんな在籍店で、私は、新人の頃は場内は取れてもなかなかその客を指名にかえることが難しく、色々と頭を悩ませたものだった。 何より、私がつけられる卓のほとんどの客には既に指名しているキャストのお姉さんがいて、必然的にヘルプの仕事が上手い、と言う技が目立ち、役立ったのが何もかものはじまりだったのだし。 だいたいにおいて、私は所謂高級店っぽい店、と言うか、歓楽街にあるそれなりの店と言われるような店向きの接客が得意なキャストではないのではないだろうか、と入店したての頃はよく不安になったものだった。 今、なんとかNo上位をキープ出来ているのは、決して多くはない指名客がたまたま私に使ってくれる金額が多いから、と言うのと、私自身がそれなりの量の酒を飲むことが出来る体を持っているから、ただそれだけのことだ。 多分、私の在籍店は、内装や規律、雰囲気から考えると、私やミサのような営業方法を取るキャストの存在が特殊なだけなのだと思う。 本来ならば、ナギサさんやミズキさん、リョウさんやマナミさんと言った、聞き上手で無駄な色恋をかけたりしない、泥酔したりなどしない、そこそこ落ち着いた接客をすることが出来るキャストのお姉さんが好まれる客層であったのではないだろうか。 いつ頃、その方向性が変わって来たのかはわからないが、まあ時代と言うものなのだろうか。 私ももちろん無駄な色恋はかけないし、目に余るような行為を、周りを気にせず堂々と店内で晒すようなことはないようにと、自分を律して心がけてはいる。 それでもやはりNo上位に入りたいと言う強い想いから、マネージャーにもっと可愛がっていて欲しいと言う気持ちから、ついつい売り上げの為に飲み過ぎてしまう日が多い。 改めて気をつけなければな、と思うのと同時に、でもだったらどうしたらいいって言うの?と言う疑問もわいてしまう。 だって、困ったことに、私なんかが、こんなに好かれたりするとは思っていなかったのだ。 いや、違う、好かれているのとは別だろう、皆下心があるのだ、と思い返す。 きっと、そうだ、一度くらい寝れたらいいな、と。 その程度なのだろう、私なんて。 なんたって私の性別はどうしたって「女」なのだから、恋心からであろうが、下心からであろうが、「男」である客がそこを目指すのは当たり前のことなのだ。 もちろん、中には、それだけじゃない、本当にただ私と喋るのが楽しいから、私に話を聞いて欲しいから、と言う客もいるのだろうけれど。 とにかく、そんな私にはもしかしたらこちらの店の方が合っているのではないだろうか? なんて思えてしまうような、そんな店であった。 今はだいたい真夜中の3時といったところだろう。 既に泥酔状態で客についているキャストのお姉さんが多いように見えるこの店の店内で、そのうちの何人かはミサのような接客をしている、と言うことが見て取れた。 タツくんは何の気なしに連れて来たのだろうが、私はそのようなキャストのお姉さんたちの接客を見て、ミサの接客の仕方に不満を持っているナギサさんが不愉快な気分にならないだろうか、と少しばかりハラハラとする。 しかし、ナギサさんはさすがと言うかなんと言うか、笑顔を崩さずタツくんに馴れ馴れしくない程度に寄り添い、さっそく会話に花を咲かせていた。 ここは丁度、入り口からフロアに向かう短い通路に沿って設置された卓で、一直線に伸びたソファに、ドア側から少し空間をあけてキヨシくん、その隣に私、その前に一つの丸いテーブル。 そして私の横にはナギサさん、タツくん、二人の手前にも同じく丸いテーブル、と言った並びで座るよう案内された。 これならば、キヨシくんの隣にも、タツくんの隣にも、この店のキャストのお姉さんをつけることが出来る。 何より、私とナギサさんが隣同士なので、男性たちがキャストのお姉さんとの会話を一対一で楽しむことになったとしても、私たち女性陣も2人で話すことが出来るし、ありがたい配置だと思った。 店に入った時に、タツくんがボーイに告げた「キョウコ」と言う源氏名だと思われるキャストのお姉さんが、多分この店のマネージャーだと思われる男性に連れられてやって来る。 そして、静々とタツくんとナギサさんに挨拶をしてから、タツくんへとつく。 それからすぐに、キヨシくんの方には、「リン」と言う源氏名のキャストのお姉さんがついた。 タツくんが以前から既に入れてあったのであろうボトルがあり、それらを私たち4人分、さっそくそのキョウコさんがまとめて一気に作ってくれる。 ウィスキーの山崎と言う酒で、私が割と好きな酒だった。 多分、酷く酔うことも、自分の感情を抑制できなくなるようなことも、ないだろうと思い、ホッと安心したのだ、その時は。 私がそんな風になるような出来事は、何も起こらないと思っていたからだ。 キョウコさんもリンさんも、と言うかこの店のキャストのお姉さんたちは皆、赤や青、黒や白、ハッキリとした色のミニのチャイナ服を身に纏っていた。 今日がコスプレデーなのか、普段からそうなのかはわからないが、ナギサさんが特に驚いていないと言うことは、まあこう言った店もあるのだろう。 キョウコさんはテキパキとしていて、ナギサさんにもタツくんにも上手く話を合わせ、二人を歓迎している、と言うのが良くわかる接し方をしていて、フロアで泥酔状態に近い接客をしている他のキャストのお姉さん達とは少し違うようだった。 逆にリンさんの方は、それなりに酒を飲んでいるようでテンションが高く、キヨシくんはタジタジと言った様子だ。 もしかしたら、18歳くらいなのだろうか、と思う。 私もかなり童顔と言われる方だったが、リンさんも黒目がちな瞳に下がった眉、小さな鼻に小さな唇を持っていて、童顔と言っても良い顔立ちをしていた。 黒い髪は肩上で揃えられた内巻きのボブカットで、化粧をせずに制服を着ていたら学生に見えなくもない。 背もそんなに高くはなかったので、その全ての特徴も相まってさらに年若く見えるのではないだろうか。 それに引き換えキョウコさんの方は、前髪を作っていない長い金髪を緩く巻きおろしにしており、キッチリと濃く引かれた真っ黒なアイラインと数の多い長いつけまつ毛をつけていた。 その量の多いまつ毛に違和感を持たないのは、外国の人が持つような瞳を演出する、金と銀が散らばっているようなカラコンをつけていて、派手めな化粧を施しているからであろう。 「キョウコ、ナギサはお前と同い年だって。だから話が合うかと思って連れて来たんだけど。あ、キョウコもドリンク頼んでいいよ」 「ありがとうございます」 「タツくん、私はー?」 「リンは、キヨシに聞きな。リンを指名してるのはキヨシだろ」 キョウコさんが私たちの前に、作った酒のグラスを並べながら、タツくんに丁寧にお礼を言う。 リンさんは不満そうにしながら、キヨシくんのことを横目でジッと見る。 キョウコさんが、「お願いします!」と良く通る声でボーイを呼んだ。 キヨシくんはあまり喋らないし、ずっとなんだか緊張でもしているような面持ちをしている。 リンさんが、キヨシくんの腕を両手で掴むと揺さぶって、頬を膨らませながらドリンクをねだる。 けれどキヨシくんは、押し黙っていて、リンさんの言うことも聞こえていないようだ。 そして、なんといきなり自分の前に置かれた、キョウコさんが作ってくれた酒をグイ、っと一気飲みし出したので、私はさすがに心配になる。 でも、心配をするのならば、自分のことを心配すべきだったのだ、私は。 「キヨシくん、さっきからどうしたの?何かあった?」 「あ、うたこちゃん、ううん大丈夫。キョウコさん、先輩、もう一杯もらってもいいですか?」 「いいよ、ってかキヨシもボトル入れたらいいんじゃない?そんな高くないし。そしたらうたこちゃんと二人で飲めるじゃん」 「あ、そっか、それもそうですね、えっと、リンさん、メニューお願いしてもいいかな?」 「はあい!お願いしまあーす!」 「え、っと、キヨシくん、本当に大丈夫なの?無理に飲まない方がいいよ?」 どの口がそれを言うのか、と我ながら思ってしまう言葉をキヨシくんに告げつつも、私もグラスに口をつけると、ゆっくりとそれを傾ける。 キヨシくんは、多分、今日何かしかけてくるのだろうと言うことはわかっている。 この際だから、私がこのリンさんに場内指名を入れてしまおうか? テンション高く話し続ける、このキャストのお姉さんだったら、キヨシくんのこの後の計画をめちゃくちゃにしてくれたりしないだろうか? 上手いこと酔わせて、私に告白をする、なんて言う決意を揺るがせてしまうくらい、忘れさせてくれるくらい、全然関係のない話でもって頭をいっぱいにしてはくれないものだろうか。 キヨシくんも何かに困っているようだが、私も私で困っていることには変わりなかった。
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