ぶちギレる

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ぶちギレる

タツくんの見立て通り、ナギサさんとキョウコさんは話が合うようで、楽しそうに会話をしている。 その中心でタツくんは時々話題を提供したり、上手く話しを繋いだりしているようだった。 しかしこちらの方はちぐはぐで、キヨシくんが入れたキープボトルであるウイスキーを、三人の内の誰かのグラスがあけば何故か私が作り、グラスに水滴が浮かべばハンカチで拭きとって、リンさんに、キヨシくんに、自分にも配る、と言う、わけのわからない状態に陥っていた。 リンさんとやらは、ひたすらキヨシくんにだけ話しかけ、私をフルシカトし、私が作る酒を出来た途端に一気に煽ってはすぐにからっぽにして、当然のように私の方へとグラスを差し出す。 ずっとその繰り返しで、私の仕事を増やし続けるだけ、と言うような有り様だった。 私は、話術の面だとか、客の機嫌や気持ちを察することが苦手で、そう言ったことが理由でつい失敗をしてしまうだとか、そういうキャストのお姉さんのことは嫌にはならない。 向き不向き、得手不得手、合う合わないがあるから仕方がない、と思っていた。 しかし、せめて最低限決められている仕事はするべきだろう、とは思うのだ。 ナナさんの場合は、「ついた卓では客に名刺を渡す」「場を盛り上げようと一生懸命話を盛り上げようとする」「売り上げの為にオーダーを積極的にお願いする」と言う努力をしているのが見て取れた。 ただ、雰囲気が読めないから、から回ってしまっていただけだ。 しかしこのリンさんと言うキャストは、自分の仕事を全くしていない上に、キヨシくんだけを客として扱っていて、私も客であると言うことを忘れている。 と言うか、私のことを場内、もしくはヘルプのキャストくらいにしか扱っていない。 いや、例え私が本当に場内やヘルプのキャストだったとしても、本指名のキャストはもっとまともな接客をするだろう、と思うくらいだ。 私は、やるべき仕事をしない、しようとしない、弁えていないキャスト、と言うのが多分物凄く嫌いだったのであろう。 あのミサでさえ、どんなに泥酔していたとしても、客のグラスが空になればすぐに気づき新しい酒を作っていたし、煙草をくわえればライターを用意して火をつける準備をした。 どんなに泣いていようが、怒っていようが、灰皿に客の吸う吸殻が三つ以上たまれば新しい物へと交換していた。 それらは会話が下手だろうが、場の空気が読めなかろうが、泥酔していようが、最低限やるべきであるキャストの仕事であって、それをしないと言うのは、ただの給料泥棒でしかないと思うのだ。 そもそも、金を払って飲みに来ている客の方に酒を作らせて、平気で飲み干し次を作らせるキャストなど、私が男で客だった場合は即チェンジだ。 「ってゆうかー、キヨシくんが女のコ連れて来たのって初めてー、本当は好きなコがいたんじゃーん!」 「あ、リンさん、うたこちゃんだよ、リンさんの一個下なんだよ」 「そうなんだ!私はキヨシくんと同い年で、キヨシくんはたまにタツくんと遊びに来てくれるんだよー!いつも必ず私を指名してくれるの!」 「そうなんですね。リンさんでしたっけ、どうでもいいんですけど、普通に仕事してくれません?それとも、貴女はタダ酒にありつく為だけに出勤されているんですか?」 「は?」 「普通に、仕事をちゃんとして下さい、って言ってるんですけど。貴女はこの店のキャストで、キヨシくんと私は客です。私は、このお店に飲みに来ている、客、な、ん、で、す、け、ど、わかりますか?」 「…あ、え?」 私はとうとう、満面の笑顔でキレた。 こっちはめちゃくちゃ疲れてるんだよ、アフターなんて来たくもなかったんだよ、貴女がキヨシくんに一人でペラペラ喋ってるの聞いてたって楽しくもなんともないんだよ、お金にもならないのになんで私が勤務外労働させられなきゃならないんだよ、来店して貴女がこの卓について何十分経ったと思ってるの!! リンさん、貴女は、「お願いします」の一言以外、一つでも何か仕事らしい仕事を、しましたか? 「お客様のお酒一つ作れないんですか?って言ってるんです。グラスがあいたのわかりませんか?それに気づいたら、キャストである貴女が新しい物を作るんです。それが仕事ですよね?目が悪いんですか?あ、ちゃんと見えてるから、私の方に向かってわざわざグラスを置くんですね?つまりこの店は、キャストの酒をお客様に作らせても平気な店、と言うわけですね?自分の勤めている店のレベルを落としてますけど、大丈夫ですか?自分の仕事の出来なさを、平気で晒してますけど、恥ずかしくないですか?私なら、耐えられませんけど」 私はニコニコと微笑んだまま、思っていたことをつらつらとただただ淡々と言葉にして並べ、一気に捲くし立てると、はあー…、と深いため息をついた。 まずは、先ほど自分が作ったばかりの、キヨシくんのキープボトルであるウイスキーの水割りの入ったグラスを口につけると一気に傾ける。 それから、コト、と小さな音を立ててテーブルに丁寧にグラスを置くと、続いてロックで作り直し、再びグイーッと一気飲みをした。 「うたこちゃん?何かあった?」 「ナギサさん、なんでもないです、お騒がせしてすみません。大丈夫です」 「ああ、なあ、うたこちゃん、悪かったわ。リンさあ、おまえ本当にさあ、いい加減…」 「あ、うたこちゃん!先輩!あの、リンさんが悪いんじゃなくて、俺が何も、その…気づかなかったせいだから!!」 はじめにナギサさんが私の様子がおかしいことに気づき、声をかけてくれた。 それから、タツくんが慌てたように、場を取り繕うように、リンさんのことを注意しようとする。 こちらの散々な状態を、タツくんは多分なんとなく察してはいたのだろう。 けれど、今日一日見ていて、私のことを「キレない女のコ」だと判断していたのだと思う。 お生憎様だが、私は今のところはまだ、普通に感情を持った人間として生きています。 そして、今日の私はとても疲れていて、元々アフターだって嫌だったところを割と無理やりOKさせられてイラついてもいたし、尚且つかなり酔ってもいた。 「どうか、しましたか?」 「うたこちゃん、気づかなくてごめんね、ナギサんとこ来るー?」 「はい、ありがとうございます。ナギサさん、じゃあ私、キョウコさんの隣に座らせて頂いて、一人で飲んでもいいですか?自分の分は、自分で会計するので」 「………」 「リン、何か言えって、うたこちゃんはさ、もう仕事終わって、ここに遊びに来てるわけじゃん。何、おまえがうたこちゃんに仕事させてたわけ?」 私は、もしかしたらリンさんのことをスカウトして、この店を紹介したのはタツくんなのではないだろうか、と推測しながらも、自分の使っていたグラスとバックを持つとソファを立ってキョウコさんの隣へと移動しようとする。 しかし、キヨシくんが私の手を掴んで、それを阻止した。 私に、行かないで欲しいと、懇願しているような、そんな顔をして、申し訳なさそうに口を開く。 「うたこちゃん、俺が何も気づかなかったのが悪いんだよ、ごめん。うたこちゃんはここにいてくれないかな。リンさん、今日は指名、取り消させてもらってもいい?」 「ええー!!嫌です!!キヨシくんはいつも私の指名だもん!!キヨシくんが来てるのに、私がついてないなんて、カッコ悪いじゃん!!」 「カッコイイとか、カッコ悪いとかじゃないよ、リン。おまえ全然仕事しないし、もうとっくにカッコ悪いんじゃないの」 「でも、いつもだったら、キヨシくん何も言わないもん!!」 「キヨシが優しいだけ。俺はいっつも、毎回、何度もダメなとこ、指摘してやってただろ」 私は、我ながら冷ややかな目をしてキヨシくんのことを見ていた。 こんな目を、自分の客に向けたのははじめてのことだった。 だって、キヨシくんは、「気づいていなかった」と言ったのだ。 私は今、勤務中のキャストとしてこの店にいるわけではないのに、キヨシくんやリンさんの分の酒を作ったり、グラスを拭いたり、テーブルの上を片付けたり、そうやって周りに気を配っていたと言うことに。 リンさんがやらなければならないはずのことを、全て私がやっていたことに対して、「気づいていなかった」。 と、言うことは、それはつまりだ。 キヨシくんが好きなのは「キャバクラ嬢のうたこだけ」と言うことだ。 まあ、だよね。 そうに決まってるじゃん。 当たり前じゃん。 客は皆等しくそうなのだろうから、仕方のないことであって、キヨシくんを責めるのはおかしな話かもしれない。 ただ私は、今いるこの店のキャストではなくて、もう勤務時間の終わった、「一人の人間」として、「酒を飲んで会話を楽しむ為」に遊びに来ているだけの、「ただの女のコ」であると言うことは事実だ。 キヨシくんはそのことにも、「気づいていなかった」ようだけれど。 アフターなのだから、ここが居酒屋やバーであれば、私が自分の客であるキヨシくんに気を遣い、酒を注いだり、会話で楽しませたりすることは厭わないが、ここはキャバクラであって、リンさんと言う「勤務中」であるキャストのお姉さんがついているのだ。 それにも関わらず、「客である私」が仕事をしている、と言うのはおかしな話ではないだろうか。 しかもキヨシくんはそのことに、ずっと「気づかなかった」のだから。 なーんだ。 キヨシくんもやっぱり、客なんじゃん。 なんて、少しでもガッカリしてしまった自分のことがなんだか嫌で、私はそんな自分に対して嫌悪感を抱いた。 「キヨシくん、離して。私、一人で飲むか、ナギサさんとキョウコさんと話してる方が楽しそうだから。せっかく遊びに来てるのに、仕事をしなきゃならないなら、お給料が欲しいくらい」 「…うたこちゃん、ごめん…リンさんには、俺しか指名がいなくて、困ってるって言うから…」 「そんな話、してないんだけど」 「キヨシくん!そんなにそのコの方がいいならどーぞ!私、もうこんなお店、やめる!」 「わかったわかった、リンも俺についていいから、キヨシはうたこちゃんと先にもう帰れ」 「先輩、すみません、俺が上手く出来ないから、いつも迷惑かけて…」 「いや、俺が悪かった。リンはうたこちゃんとは合わないってことに、気づかなかった。そこまで気が回らなかったの、俺だしさ」 何やら、タツくんが一人で話をまとめてしまう。 どうやら、キョウコさんとナギサさんは話しも合って二人で楽しむことが出来るようだし、キョウコさんはこのままナギサさんについていると良い、と言うことだろう。 そして、タツくんがリンさんに場内を入れて宥める、と言ったところだろうか。 腹が立つのは、どうやらまだ始発が出ていないのに、キヨシくんに、私と一緒に帰れと言ったことだ。 嫌なんですけど。 勤務時間外の私を、キャバクラと言う「勤務中であるキャスト」のつく店で、当然の如くキャスト扱いしていた男なんか。 しかも、そのことに「気づきもしなかった」男なんかと、どうして一緒に帰らなきゃいけないわけ。 まあ、駅前だし、探せばバーや居酒屋くらいはあるだろう、そこで時間を潰したっていい。 もしくは、私はタクシーで一人で帰ったっていいのだし。 そうだ、帰ってやる、もういい、こんなろくに金も持ってないような客はいらないのだ。 いくら、沢山の良い思い出や楽しい時間をくれたからと言って、もう今まで通り、みたいになんて思えそうもない。 そもそも私が、やりすぎていたくらいなのだから。 もう、キヨシくんは、切ろう。 ほら、メンヘラは結局「勤務中」の仮面が剥がれた途端に酒を飲むと、こうして爆発してしまうのだ。 私は立ち上がりかけていた腰をソファに戻すと、もう一杯ウイスキーのロックを作り、ゴクゴクと飲む。 とにかくめちゃくちゃにキレてしまったので、どうせだったら愉快な気持ちに戻りたかった。 喜怒哀楽が激しくなる、の内の、怒、である今の気分を変えたかった。 出来れば「喜」か「楽」に変えて、せめて始発までの時間を気分よく過ごしたかった。 すると、リンさんも自分の前に置かれた私が作った水割りの入ったグラスを持つと、グーっと飲み干した。 ゴン、と、結構な音を立ててテーブルの上にグラスを置くと、勝手に自分の目の前に置いてあるハウスボトルであるウイスキーを掴む。 ハウスボトルと言うのは、来店した客用の酒であり、キャストのお姉さんたちは基本的に飲むことが出来ないと言うルールになっている。 キャストのお姉さんが店で飲んでも良い酒は、あくまでもついている客がオーダーしてくれたドリンクか、客が入れてくれたキープボトルの酒か、シャンパンなどであって、とにかくハウスボトルには手を出してはいけない。 と言うか、キャストは普通、わざわざそんな酒には手を出さない。 そう思っていたし、実際に見たこともなかった。 だからこそ、私は心底呆れ果てて、もう何も言えなくなってしまった。 ハウスボトルに手を出すキャストとやらは、どうやらここには存在していたらしい。 私は、キヨシくんの女の見る目の無さが、なんだかいっそ哀れに思えて来た。
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