私にしかできないこと

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私にしかできないこと

 よれた家着のまま寝転んで放屁する無様な姿。便器からこぼした小便を掃除する情けない姿。ポロポロと口から食べ物をこぼしながら咀嚼する下品な姿。アホ面した寝顔。飛び出した鼻毛。私は夫の目も当てられぬ痴態の数々を写真や動画に収めた。  そして、それを世に公開した。  これでこの男の運命がねじ曲がる。  長年、王子様キャラで売ってきたアイドル、神原拓人。それが私の夫。テレビで見ない日はないほどの人気っぷり。いわゆる、国民的アイドルというやつだ。  そんな夫は私を裏切った。  音楽番組で一緒になったタレントの女と、隠れてコソコソ会ってやがった。それだけじゃない。他にも複数の女に手を出し、情事を重ねていやがった。  腹いせに? いや、そんな安っぽい感情ではなく、考え抜いた末に、私は人気アイドルの知られざる裏側を晒すことにした。  私の手元から放たれた写真や動画は瞬く間にインターネット上で拡散され、世間を大いに騒がせた。清潔感に溢れたアイドルの所帯じみた実態。週刊誌もこぞってそれを取り上げた。  これは妻である私にしかできないこと。最も敵にまわしてはいけない存在の、妻である私を裏切った罰だ。  結果的に、世間は私が思い描いたとおりの反応を見せた。  ガラガラと音を立ててイメージが崩れていった神原拓人。レギュラー番組は終了を迎え、音楽番組にも呼ばれることがなくなった。キャラクターイメージを重視するCMからもその姿を消した。  明らかに私の仕業だと知っている夫は、家でも口数が減り、私への憎しみを滲ませていた。でも、自分の中にやましいことがあるものだから、詰め寄ることもできない。なぜなら、スキャンダルのネタを私に握られていることを、夫はうすうす勘づいていたからだ。  きっと夫はこう思っているはずだ。 ――なぜ、不貞行為を晒すのではなく、アイドルの裏側なんて晒したんだ? スキャンダルを暴けば、俺はいともたやすく芸能界から消される。なのになぜ……?  そこには私なりの確たる策略があった。 「今日も仕事ないんでしょ? 一緒に買い物でも行く?」  嘲笑うように尋ねてやる。 「いや。家にいるよ」 「あっ、そう」  無気力な夫がそう答えることもわかっていた。  芸能界で頂点を見た人間が、地の底に落ちた苦しみ。世間から必要とされない虚無感。命を絶つことすら脳裏をよぎっていることだろう。  でも、安心しなさい。私があなたをコントロールしてあげるから。 「次は旅番組か!」 「そうよ。かなり視聴率を取れてる番組だから頑張ってよね」 「ほんと、仕事があることに感謝だよ」  実際のところ、私が国民的アイドルの化けの皮を剥ぐ前から、神原拓人の人気は徐々に陰りを見せていた。あのままだったら、時代の移り変わりとともに、芸能界から忘れ去られていたことだろう。  近い将来、落ち目に成り果てたはずの神原拓人は、私の計らいにより、王子さまキャラから脱却することに成功した。乱暴なやり方ではあったけれど。  暴露された当初は芸能界から見限れたように思われた神原拓人。ところが、雲の上の存在だったアイドルが一変し、身近な存在へと様変わりしたことで新たなファン層を獲得。これまで熱狂的なファンだった信者たちも、彼の新たな一面を垣間見れたことに喜んだ。  高齢化が進む日本のテレビメディア。どの層をターゲットにするかはとても重要だ。  番組のラインアップを見てもわかる。若者向けの番組は激減し、中年やシニア層に受ける番組が数字を持つ。だから私は、彼のキャリアをリセットしてあげた。  もともと圧倒的な支持を集めていたアイドル。しかも、スキャンダルが原因で姿を消したわけじゃない。テレビ局側だって、躊躇せずに使えるタレントだ。  私の読み通り、彼は再び息を吹き返し、メディアから引っ張りだこになった。大手企業のCMも次々と決まっていった。 「ちょっと出かけてくるわね」  私は厚めのメイクを済ませ、夫に声をかける。 「行ってらっしゃい。遅くなりそう?」 「そうね」  リビングの棚から銀行通帳を取り出し、桁の増えた数字を眺める。 「これでまだまだ儲けられそうね」口元でつぶやいた。  家を出た私はスマートフォンを取り出し、メッセージを送った。 『今から会いに行くから』  毎夜、私が愛を乞うホストのもとへと向かうため。 「女が潤いを保つには、金が要るのよ」  すべては私の思い通り。  これは、妻であり神原拓人のマネージャーである私にしかできないこと。
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