第3話 二つの蓮花

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第3話 二つの蓮花

 春鸞は少し微笑み頷くと、ゆっくりと話し始めた。 「まずは、この薬をお納めください。ご家族が、あなたの体を心配されています。一日も早くご回復を。私のお願いというのは、こちらの娘さんを玄家で預からせては頂けないかという事です。」 「はっ? どういう事でしょう? 娘はまだ十一歳の子供でございます。簡単な奉公しか出来ませんし、それほど美しい訳でもございません。」 父親は驚いて言った。 「いいえ、ご主人。娘さんは可愛らしく弟さん想いで、とても賢く優しいお子さんですよ。それに何より、まだ幼いのに人の心の奥にあるものを感じ取れる才を持っておられる。そこを見込んで頼みたい事があるのです。」 「いや、若様。うちの娘にそのような才があるとは思えません。何かの間違いではございませんか?」 「いいえ、ご主人。娘さんには、確かにその才があると見ております。先日、薬舗の前で弟さんと芋餅を分け合って食べておられるのを見ました。その時の様子に才を見たのです。その才を見込んで玄家に在る離れの管理を任せたいのです。  離れは、私の母が生前とても大事にしていた場所です。今は主を亡くして荒れておりますが、四季の花香も蓮池もある風流な庭と山と積まれた書もあります。その手入れと掃除、全ての管理を任せたいのです。」 春鸞は話の終わりに微笑みながら、まっすぐに父親を見つめた。 「若様は、娘さんを表向き離れの管理者として雇い、実際には養女のように衣食住には不自由させず文字や書を教えてくださるお考えです。  もちろん玄家で雇う名目ですから給金をお渡しして、こちらへも一部を届けるお心です。」 すかさず兼悟も加勢した。 「そうは言われましても・・・」 父親は口ごもり、母親と顔を見合わせている。 「あの・・・ 先程、私たちが薬舗へ行った時に娘たちが芋餅を分け合って食べていたと仰いましたが、それのどこに娘の才があると?」 母親がぼそぼそと春鸞に問うと、 微笑んだ春鸞は嬉しそうに口を開き 「あの時、包みの中に芋餅は一つしかありませんでした。弟さんは、待ちくたびれてお腹が空きべそをかいていました。出された一つしかない芋餅に弟さんも気が引けて手を出せずにいた。姉を気遣いとても優しい息子さんです。  そこで娘さんは、芋餅をほんの少し小さくちぎり先に一口食べました。自分はお腹が空いていないからこれだけでいいと。そして残りの芋餅を弟さんに勧めたのです。すると弟さんは、大好きな姉と分け合えた安心から、残りのほぼ丸ごと一つの芋餅を大事に両手で包むように食べ始めました。  実に機転の利く優しい心遣い。人の心の奥が分かる娘さんだと思いました。そこに才を見たのです。」 あの時の光景を振り返りながら丁寧に話した。 「そうでしたか・・・ 娘がそんな事を・・・ あの娘だってお腹が空いていたでしょうに・・・」 母親は涙をにじませながら言った。 「すまない。私が体を壊してしまったばかりに畑にもろくに行けず、あの子らにも苦労をさせて・・・」 父親も涙声で言った。 「ご主人、まずは体を治しましょう。この薬を使ってください。失礼ながら今のままでは、ご家族皆様が苦しい生活のまま共倒れになってしまいます。三人でならまだ、暮らしてゆけるのではありませんか?   どうか娘さんを玄家で預からせてください。ご主人の体が回復するまで、こちらに薬を届けさせます。それに娘さんが離れの管理をしてくれた分のお給金の一部を届けさせます。  先程、兼悟が申しました通り食事も衣服も娘さんに十分に用意致します。一人で寂しくないよう共に離れを管理する世話役も付けさせます。何もご心配はいりません。いかがでしょう?」 春鸞は丁寧に、娘の両親の顔を代わる代わる見ながら話した。両親は涙をこぼしながら黙っている。  沈黙のまましばらく時が過ぎ、父親が口を開いた。 「ですが・・・ 貧しい我が家に勿体なく有り難いお申し出ですが、娘を手放すのは寂しく心苦しい。どうすればよいか、しばらく考えさせてください。」 重く心痛迫る言葉に、春鸞は目を閉じ考え込んでいる。そして目を開け、父母を見つめると静かに言った。 「分かりました。とても大事に育てられた娘さんだと分かりました。姉弟を裂くことも忍びないでしょう。私は待ちます。  もし、娘さんが玄家の離れに来てくれるのなら大歓迎です。心が決まったらいつでも玄家を訪ねて来てください。最後に、せめて娘さんのお名前を教えては頂けないでしょうか?」 と春鸞が立ち上がりかけると、外から声がした。 「私の名前は、蓮香(リエンシャン)です。蓮が香ると書く蓮香です。玄家の若様、私が玄家にお勤めに行けば父さんに薬を頂けるのですか? 弟は、お腹いっぱい食べられますか?」 戸口に、弟の手をしっかりと握った蓮香が立っていた。 「えぇ、もちろん。若様のお約束ですから。あなたのお給金の一部も毎月必ず私が届けます。」 兼悟が振り返り、蓮香に向かって言った。  その言葉を聞き、じっと兼悟の顔を見つめていた蓮香は春鸞に向き直して聞く。 「若様は、必ずお約束を守ってくださいますか?」 「はい、もちろん。お約束を守ります。毎月必ず、お薬もお給金も兼悟に届けさせます。」 春鸞は、まっすぐに蓮香を見つめて答えた。 「でしたら私は、玄家に行きます。行って離れのお仕事を致します。」 蓮香はそう言いながら、弟と繋いだ手に力がこもった。ぎゅっと握られた手に怖くなった弟は泣き出した。 「お姉ちゃん、嫌だよ。どこにも行かないで。嫌だよ。」 その涙につられて蓮香の目にも涙が滲んだ。 「大丈夫。いつでも会えるから。隆生、父さんと母さんのお手伝いをお願いね。」 「嫌だよー。お姉ちゃん、ここに居て。」 隆生の涙に、父母も涙を流し黙ってうつむいている。  春鸞は蓮香に近寄り、頭を優しく撫でながら 「私は、玄家でいつでも待っています。蓮香、あなたが来てくれるのを待っています。ですから返事は、今日すぐでなくてよいのです。今日私たちは、まずはお願いの話をしに来ただけなのですから。  ご家族としばらくの別れを十分にしてから街へ来て、玄家を訪ねてください。待っていますから。」 と微笑んだ。  その様子を黙って見つめていた父親は、 「ありがとうございます。玄家の若様。」 と深く頭を下げた。  蓮香はこぼれそうになる涙をこらえて、じっと春鸞を見つめている。 「これを持って、私を訪ねて来てください。屋敷の者にこれを見せれば、必ず私に会えます。」 春鸞は、小さな蓮の花の根付を渡した。 「蓮の花・・・?」 受け取った根付を見て、蓮香は驚いた。 「えぇ、偶然ですが。初めから知っていたかのようですね。あなたのお名前と一緒です。  それは、私の母が生前大事にしていた物です。母は、あなたに任せたい離れを造った人です。」 「えっ。そんな大事な物を預かれません。」 「いいえ。大事だからこそ、あなたが玄家に私を訪ねて来た時に信頼され大事に扱われます。ですから必ず、その根付を持って来てください。  蓮香、きっと君は、あの離れとご縁があるのですね。君が来てくれる日を待っていますよ。」 春鸞はそう言い終わると、もう一度蓮香の頭を撫で奥にいる両親に深く頭を下げた。  そして静かに、兼悟と共に帰って行った。蓮香はその後ろ姿を見送り、一人戸口に立ったまま渡された青い蓮の花の根付をじっと見つめた。
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