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図書館に婚約者がやって来た
司書という仕事は、わたしにとって趣味の延長といっても過言ではない。
図書館は、わたしにとって聖域みたいなものである。
今日は王太子殿下がいらっしゃる。
本棚の整理をしつつ、自分がウキウキしていることに気がついた。
途端に罪悪感に苛まれてしまった。
両親どうしで取り決めただけの関係ではあるけれど、一応婚約している。まったく顧みてもらえず、それどころか存在すら忘れられているとはいえ、婚約者ではないほかの男性の来館にウキウキするだなんて、あってはならないことだわ。
だけど……。
婚約者であるはずのガブリエル・ラムサとは、もうずいぶんと会っていない。どれほど会っていないかもわからないほど会っていない。
最後に見かけたのは、昨年まだ暑い時期だったかしら。
記憶が定かじゃないけど、たしか彼の屋敷の前を通りかかったときに馬車からどこかのご令嬢が降りて来るのを、彼が日傘をさしかけていたのを見かけた気がする。
その話をカーラにすると、カーラは「ランベルト男爵家のご令嬢です。最近、よくいっしょにいらっしゃるようですよ」と言っていた。
いつだってそうだけど、彼がどこかのご令嬢といっしょにいようと親密な関係だろうと、不思議と悲しかったり口惜しかったりということはない。
逆にどこかホッとしてしまう。
わたしの顔がこんなだし、その為に性格がねじくれてしまっているので、彼はほかのご令嬢と楽しんでくれた方がいい。
その方が、どちらにとってもいいに決まっている。
容姿以前にこんな性格だから、彼も付き合いにくいわよね。
そんなことをかんがえていると、手をすべらせ本が一冊落ちてしまった。
「バサッ!」
開館前の静寂満ちる館内に、その音がやけに大きく響いた。
はっとわれに返った。
すぐに屈んで拾い、棚に入れた。
大切な本を傷つけてしまったら大変だわ。
いらないことをかんがえてはいけないわね。
それからはかんがえごとをせずに開館の準備をした。そして、王太子殿下に頼まれた資料の準備をおこなった。
王立図書館は、王宮内にあるとはいえ一般の人々にも開放されている。つまり、一般の人々が王宮の敷地を訪れることの出来る唯一の場所である。
王立図書館が一般の人々に解放されるようになったのは、つい最近のことである。王立図書館の蔵書数はかなりのものである。近隣諸国の図書館の比ではない。それだけではない。貴重な資料や文献なども多い。
それを上流階級だけしか接することが出来ない、というのはもったいなさすぎる。
そもそも上流階級が図書館に通ったり、本を借りたりなんてことはほとんどない。
だから、王太子殿下が国王陛下にお願いをしてくれたのである。王太子殿下は、図書館に通ってくださる数少ない上流階級の一人。勉強家でいらっしゃる殿下は、しょっちゅう来館してくださる。
わたしの願いでもある図書館の一般の人たちへの開放を、理解ある陛下はお許しくださった。
文化は、一般庶民の為のものである。
そうおっしゃって。
ありがたい話である。
昨日が休館日であった為、今朝は開館してから大忙しである。司書たちは、わたしも含めて右往左往している。
館長も手伝ってくれているが、来館者を待たせてしまっている。
そんな中、図書館にやって来た。
ガブリエル・ラムサが。つまり、わたしの名ばかりの婚約者が、である。
彼は、入り口から入ってくるなり怒鳴り散らした。
「アリサ・クースコスキ、話がある」
カウンターの前で静かに待っている来館者たちは、その怒鳴り声に一様に眉をひそめている。
はずかしさで顔が真っ赤になった。
「どこにいる。アリサ、すぐに出て来い」
彼は、性急に続ける。
ラフなジャケットにスラックス姿である。顔は美形だけど、いつも冷笑がはりついている。
いまもカウンターの前に並んでいる人々を、あからさまに上から目線で見まわしている。
「急いでいるんだ。婚約のことだ。すぐに出てこないのなら、このまま言うぞ」
彼は、さらに続ける。
「アリサ、ここはいいからいってらっしゃい」
館長が近づいて来てそっと言ってくれた。
彼女は、わたしが子どものころからお世話になっている。
図書館には、子どものころから通っていたのである。
わたしは、館長にお礼を言ってからカウンターを出て彼に近づいた。
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