ついに婚約破棄されました

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ついに婚約破棄されました

「アリサ、やっと出て来たか。とにかく、僕は忙しいんだ。手間をかけさせないでくれ」  突然押しかけて来て一方的に告げるガブリエルを、顔を伏せて上目遣いに見ている。  顔を伏せるのは癖である。 『火傷の跡が気持ちが悪いから、ぼくに顔を向けるな』  火傷を負って外に出ることが出来るようになり、最初に彼に会った際にそう言われた。だから、それ以降そうしている。    自分でも醜いことはわかっている。だから、彼の言う通りだと思った。  彼にそう指摘されてから、わたしは髪でそれを隠した上で、なるべく顔を見せないようにしている。  それは彼にたいしてだけじゃない。だれにたいしてもである。  いいえ。それ以前に、出来るだけだれとも顔を合わさないようにしている。  司書として図書館で働かせてもらえるようになったときも、なるべくカウンターでの業務は控えたいのだと館長に伝えている。それでも、今日のように忙しいときはわたしもそこに立つ。  来館者は、時間を割いて来てくれている。みなさん、気に入った本を借りたり探したり読んだりする。  カウンターで待つことほど時間のムダはない。そんな時間があるのなら、すこしでもはやく腰を落ち着けて本を読みたいに違いない。 「あの、ガブリエル。ここは来館者の方々の邪魔になるから、奥へ……」 「時間がないって言っただろう?ったく、顔だけじゃなく耳まで悪いんだな」 「だったら、せめて邪魔にならないところで」  彼のひどい言葉には、慣れたつもりでいる。だけど、投げつけられるたびに心が痛くなる。  文句を言い続ける彼を無視し、やわらかい陽射しが射し込む窓際に行った。 「アリサ、いたずらに時間がすぎてゆくだけだ。もうそろそろ潮時だと思う。婚約を破棄する。今後はおたがいに縛られることなく、ぼくはぼくの、きみはきみの、それぞれの伴侶と人生を歩めばいい」  立ち止まるなり、彼は宣言した。  ああ、今朝の予感はこれだったのね。  自分の中で、今朝の違和感の理由を納得した。  同時にホッとした。  これでもう彼を縛るものがなくなった。彼をわたしから解放してあげられる。  彼とわたしの間に愛はない。あるのは、幼馴染だったという過去だけである。  たったそれだけのことである。 「来週、王宮で行われる舞踏会で、このことを(おおやけ)にするつもりだ。だから、きみも出席しろ。いつもみたいに図書館や屋敷にこもっているんじゃなくってな。そのとき、きみに紹介してやるよ。ぼくの新しい伴侶をな。ソフィア・ティーカネンだ。その場で婚約発表もするつもりだ。それから、王家にも報告をする。まぁ順番は逆かもしれないが、わがラムサ公爵家は、この国で一、二位を争う由緒正しき家系。王位継承権を与えられた代もあったからね。王族といえど、どうにか出来るわけもないから大丈夫だ。とにかく、当日はぼくの両親も彼女の両親も出席するからな。楽しみでならない。というわけで、アリサ。きみは脇役なんだ。脇役がしっかりと脇をかためてこそ、主役がひきたつ。だから、ぜったいに来るんだぞ。じゃあ、ぼくはこれからウィリス伯爵家のご令嬢とサロンに行くから」  彼は、そういっきに告げると踵を返して去ってしまった。  一度も顔も視線も合わせることなく。  彼の顔を見たのは、子どものときである。  わたしが顔に火傷を負う直前であった。それ以降、ついに彼の顔を見ることはなかった。  いまのように物理的に距離が近くても、彼の顔を見たことがなかった。  もちろん、彼もわたしの顔を見ることはなかった。    というわけで、わたしはたったいま婚約を破棄された。  彼を解放してあげることが出来たのである。  王太子殿下は、優秀な外交官として活躍されている。  その活躍は、近隣諸国だけではない。この大陸で有名らしい。  それもそのはずよね。王太子殿下は、相手の国を訪れたり迎えたりするだけではない。その国のことを綿密に調べ上げるのである。それこそ、基本的な事項だけでなく、風土や伝承的な話まで。  その多くをこの図書館で調べるのである。だから定期的に訪れ、書庫にこもっていらっしゃる。  この日もそうである。  午前中に婚約を破棄され、午後には王太子殿下のご来館。  なぜか婚約を破棄されたショックよりも、王太子殿下のご来館の方が気になってしまっている。  それでも態度に出ていたのかしら。自分では気持ちを入れ替えたつもりだったのに。 「アリサ、何かあったのかい?」  ご来館され、挨拶をしてから書庫へと続く階段を降りているときに尋ねられた。  王太子殿下は、さすが王族として教育を受けていらっしゃっただけあり、他人(ひと)の機微に敏くていらっしゃる。だから、屋敷で叔母や叔父に嫌味を言われて落ち込んだりしたときも、「何かあったのかい?」とか「元気がないね」と声をかけてくださる。
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