手に触れて……

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手に触れて……

「し、失礼いたしました」  失礼どころの騒ぎではない。  謝罪とともに顔を伏せた。  髪で隠しているとはいえ、完璧に隠せるものではない。髪の毛の間から火傷の跡が見えてしまっていたはず。  王太子殿下は、どれだけ不快に思われただろう。  申しわけなさでいっぱいになり、この場にいることが耐えられなくなった。 「あの、アリサ……」 「殿下、誠に申し訳ございません。わたし、そろそろ戻らなければ……」  不快な思いをされた王太子殿下が何かおっしゃられようとしたけど、いたたまれなくなってさえぎってしまった。 「そ、そうだね。付き合わせてすまなかった。わたしもそろそろお暇しよう」 「資料はそのままになさって……」 「いや、いい。自分で戻すから。場所だけ教えてくれるかな」  これもまた、いつものことである。  気遣いのある王太子殿下は、いくらわたしが戻すと言ってもかならずご自身で戻されるのである。 「それでは、こちらへ」  机の上に積まれている資料をつかもうと手を伸ばした。  偶然にも王太子殿下の手が伸びてきて……。 「きゃあっ!」  偶然すぎる。驚くべきことに、わたしの手が王太子殿下の(それ)に触れてしまったのである。  驚きすぎて、思わず悲鳴をあげてしまった。 「す、すまない」 「わ、わたしこそ大声を出して申し訳ありません」  き、気まずい。気まずすぎるわ。  出来るだけ距離をおき、王太子殿下に手伝ってもらいながら資料を戻して書庫を出た。  王宮の図書館には、事務室や執務室、貴賓室がある。  王太子殿下を貴賓室に招じ入れようとすると、すでに貴賓室に来客がいらっしゃるようである。  貴賓室の扉を開けた瞬間、その来客がだれかすぐにわかった。  華やかで美しく、だれもが憧れる女性。王太子殿下同様、彼女もまたこの国の貴族子息たちだけでなく近隣諸国でその美しさを謳われている。  わたしのもう一人の幼馴染である彼女の名は、ソフィア・ティーカネン。ティーカネン侯爵家のご令嬢である。  彼女と元婚約者のガブリエルとわたしは、爵位は違うけれども屋敷がすぐ近くということもあって子どものころからの友人なのである。  もっとも、わたしは二人より二歳年下で、こんな性格だから妹みたいに面倒をみてもらっているような感じなのだけれども。 「王太子殿下、ご挨拶申し上げます」  ソフィアはキラキラ光るドレスの裾を上げつつ、王太子殿下に挨拶をした。  王太子殿下が図書館にときどき来館されることを、彼女も知っている。だから、このときもさして驚いた様子もなかった。 「ソフィア、あいかわらずだね」  王太子殿下は、苦笑している。  彼は、ド派手で積極的すぎる彼女が苦手のように見受けられる。  ソフィアは、男性に対して積極的すぎるのである。その為、遊び人という不名誉な噂が流れている。  彼女が社交的なことは間違いない。だけど、それは男性だけでなく女性にたいしても同様である。女性にたいしても男性にたいしても、彼女は積極的にアプローチしていく。 「だれとでも仲良く、心行くまで遊ぶ」  それが彼女のモットーである。 「『あいかわらずだね』?まあ、王太子殿下。あいかわらず美しいだなんて、殿下もお上手ですこと」  彼女は、そう言ってから口許に扇子をあてて品よくクスクスと笑った。  さすがはソフィア。とってもポジティブな解釈だわ。  彼女を見ていると、彼女の百分の一でも明るさや前向きさがあればいい、なんてつくづく感じてしまう。 「まあ、ね」  王太子殿下は、落ち着かないようである。 「そうおっしゃる殿下も、あいかわらずでございますね」 「まあ、ね」  王太子殿下は、ますます落ち着かないようである。  挨拶をすませた彼女は、わたしの前に立った。 「アリサ。あなた、婚約を破棄されたんですってね」  そして、「親しき仲にも礼儀あり」など無視していきなり本題に入った。  というよりか、わたしがついさきほど知ったばかりのその事実を、彼女はとっくの昔に知っていたに違いない。  まぁ、わたしの元婚約者のあたらしい婚約者が彼女なのである。当事者の一人なのだから、知っていて当然なのかもしれないけれど。 「なんだって?」  突然、王太子殿下が叫んだので驚いてしまった。 「殿下、そうなのです。アリサは、ラムサ公爵家の長男ガブリエル・ラムサと婚約をしていたのです。それが、婚約を破棄されてしまったというわけです。なんでも、来週王宮で行われる舞踏会で公にするとか。その際、ついでといってはなんですが、あたらしい婚約者のお披露目をするらしいのです。ちなみに、そのあたらしい婚約者というのは、このわたしなのですけれどね」 「なんだって?」  王太子殿下は、また叫んだ。  ソフィアったらもう。何も王太子殿下の前でそんなどうでもいいことを言わなくっても。  王太子殿下にとってそんなことはどうでもいいし、くだらなさすぎることなのに。
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