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近所の大通り沿いにあるカフェへ入ると、正面のレジに居た女性店員が「一名様ですか?」と声をかける。背後には大男がいるのだが。
「一人です」
「お好きな席へどうぞ」
まだ早朝だからか、それとも週末だからなのか、店内には殆ど客がいなかった。店奥のボックス席へと進み、大男と向かい合わせで着席する。すると先程の店員が、自分の席にだけ水とおしぼりを置いた。
「コーヒーひとつ」
「かしこまりました」
注文を聞いた店員は、何事もなく厨房へと戻って行く。
正面の大男は、先程まで顔を覆っていた五芒星の布を外していた。あの布を付けない限り、普通の人間には彼の姿が見えないのだ。ちなみに布を取った彼の素顔は極めて和牛に近く、頭には二本の角が生えている。そして額には『丑』と黒字で書かれていた。
「確か貴方は、明水先生のとこの“牛山”さん、でしたよね?」
「うむ」
「要件は?」
「実は、“子島”殿に相談したきことがあり、主に暇を貰ったのだ」
「ん!?」
言っている意味が飲み込めずに慌てていると、着ていたチェックのシャツの胸ポケットから、小さな花咲じじいの恰好をした老人が這い出してきて、テーブルへ着地し胡坐をかいた。彼は忌一の式神、“桜爺”である。
「何じゃ、わしに用か。牛山よ」
「子島殿! お久しぶりです」
(そうか。子島って、じーさんのことか……)
桜爺は元々、明水の式神だ。
幼い頃から普通の人には見えないものが視えてしまう忌一は、五年前、異形に身体を乗っ取られそうになり、明水のところで二年に渡る修行をした。その修行を終えて戻る時、明水から式神を一体失敬(?)したのだ。
「皆は相変わらず元気かのう?」
「ええ。変わりなく」
「わしの抜けた穴は埋まっておるか?」
「否、未だ空席のまま」
明水の使役する式神はもともと十二体おり、それぞれ干支に因んだ名前が名付けられている。桜爺の“子島”は“子”に因んでおり、“牛山”は“丑”に因んでいる。子島は忌一の式神“桜爺”となって抜けたので、現在明水の式神は計十一体のままだ。
「ところで、“暇を貰った”っていうのは?」
「そうじゃのう……ていの良い“家出”、かのう」
「家出!?」
うっかりそこだけ大きな声を出してしまい、すぐ傍までコーヒーを運んでいた店員と目が合う。彼女の目は非常にうろんだ。
それはそうだろう、ボックス席で一人大きな声で驚いている客など、怪しい以外の何者でもない。コホンコホンとわざとらしい咳をすると、忌一はその場を取り繕うようにコーヒーを受け取った。
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