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EPISODE.xxx
……桜にしては、いやに赤い花びらが散っていた。
中学校の校庭の片隅で、いつでも笑顔を絶やさなかった彼女は今、頬に一筋の涙を伝わせてこちらを見つめている。逆に言えばこちらを見つめている事も、泣いている事も分かるのに──その顔かたちだけは黒く塗り潰されていて、自分が見ている光景が夢の中である事を無意識に悟る。そうだ、これは夢なんだ。
「マオ」
「……バイバイ、潤」
「──」
目が覚めたら、きっと明日も彼女は学校に来る。
なんと言っても明日は卒業式だ。
この夢が覚めたら、きっと──
──
…
───
「潤」
「なに」
「潤は綺麗な顔をしてるのに昔から笑わないよなあ」
「……笑う必要が無いからな」
「勿体ない。俺がお前なら愛想を振り撒いて世の女性達を虜にしてしまうのに!」
「言ってろ。コーヒーが冷めるから早く飲め」
「ぐっ……返す言葉もゴザイマセン……」
それは学生としての本分を終えた放課後、とあるカフェにて談笑中の出来事だった。机を挟んで真向かい、芝居がかった大仰な口調で語るなり両腕を広げてオーバーなリアクションを取ってみせる友人──杉森樹──に友島潤は思わず冷ややかな眼を向けた。
……親しい仲がゆえに他者の容姿に言及してみせるが彼自体も決して顔立ちが悪い方では無く、目にかかる長さの前髪を切って眼鏡を取ってしまえば力強い瞳と目が合うのだ。髪型自体も思い切って全体的に短くしてしまえば潤とは造りの違う精悍な顔立ちが顕になる。(色々と面倒な事に巻き込まれるのが嫌いだから、と前髪を伸ばし始めたのは中学生の頃からだっただろうか。)
勿体無い事をしてるのはどちらだと淡々と詰め寄りそうになるのを抑え込んで、潤はオレンジジュースのグラスを手に取る。怒られた樹は額に手を当てこれまたオーバーに呻いたのちにわざとらしく顔を俯かせてみせるも、反省の色はこれっぽっちも見られない。
とは言えこれも友人同士の些細なじゃれあい。
潤もこの時間は決して嫌いではなかった。
「……にしても、お前、覚えてるか?」
「何が」
「満桜ちゃんと藤野ちゃん」
「……ああ」
じゃれあいは嫌いではない、寧ろ顔に出さず楽しんではいたものの──あまりに声のトーンが煩いのでそろそろ苦情のひとつでも口をついて出そうになった折、樹が重い前髪を搔き上げて眼鏡越しに視線を向けてくる。……その声色は先程とはうって変わって賑やかさの片鱗すら残しておらず、感情を抑えた問い掛けとなっている。つられて潤も声を潜めて短い相槌を打った。
「……あの二人、どうしてっかなあ…」
……矢倉満桜と星嶺藤野。中学の頃の同級生で満桜は成績優秀、藤野は運動神経抜群とそれぞれの分野で優等生だった。満桜は明朗闊達、藤野は物静かと性格のバランスも非常に良く、校内でよく二人で居るところを見掛けたものだ。
男女問わず人気者だったので、同じ中学校に通っていた者達の記憶には色濃く残っていることだろう──中学校を卒業して以来彼女らの行方を知る者は居ないのだが、ご多分に漏れず樹もその一人らしい。
「また逢いてーなあ」
「……そうだな」
樹のしんみりとした声につられて、自然と潤の目元も和らぐ。元より彼女達と樹、潤の四人は顔を合わせればよく話す仲だった。逢える事ならばもう一度顔を合わせて、昔の話に花を咲かせたいところだ。
「……メール?」
「ん?珍しいな」
机の上に置いていたスマートフォンが振動し、画面が点灯する。ロックを解除すると知らないアドレスから届いたメールだったので、ゴミ箱に入れようとチェックボックスに印を付けた。
──すると、また、通知音。
今度は樹のスマートフォンだった。画面を見るなり怪訝そうに眉間に皺を寄せるも、親指の動きと共に徐々にその表情が強張っていく。そして、潤に向けて問い掛けた。
「……なあ、今来たメール、開いたか?」
「いや、ゴミ箱に突っ込んだ」
「……開け、今すぐ…」
「は?でも知らない奴からだったし、」
「いいから!」
樹の剣幕に気圧されながらも慌てて操作しメールを開くと、そこには平仮名のみで謎めいた文章が羅列されていた。──文字列に目を通した瞬間、本能的に背筋が粟立つような感覚を憶えると共に、頭の後ろが急速に冷えていくのを感じる。デタラメな配置では無く明らかに意志を持って並べられた文字は、網膜を通して自らの意思とは関係無く脳裏へと焼き付いた。
『「」にうえたおさなごの かのきずなはくなんにけっしてこたえることはない。さながらしずかなせいりゅうのごとくそこにある。たぐればちぎれることはなくつねにてのさきへむすびつき とわのあんねいをきずくしるべとなるだろう』
「……何だこれ」
「暗号みてーな?なんか怖えな……削除し、」
「…ちょっと待て、解くだけ解いてからでも良いんじゃないか。」
「はあ!?正気かよ、削除すりゃ終わりだろ」
「残念ながらな。良いから付き合え」
……未だ収まらない鳥肌を宥める様に片手で腕を擦りながらも、潤は提案を抑えた声で口にした。当然の様に樹からツッコミが入るものの、そこは長い付き合いなので勢いで押し切る。──予感がしたのだ。先程の強い悪寒といい、タダの悪戯メールとして見逃してはならない予感が。
「取り敢えず……デタラメに平仮名を打ち込んでる訳じゃ無さそうだし、まずは変換してみるか……」
【「」に飢えた幼子の かの絆は苦難に決して堪える事は無い。さながら静かな清流の如くそこにある。手繰れば千切れる事は無く常に手の先へ結び付き、永久の安寧を築く標となるだろう】
スマートフォンのメモ機能を用いて取り敢えず漢字に置き換えてみたが、成程、これは──
「意味が分からねえ」
「話持ち掛けておいて考えんの放棄すんのはナシだって!今更削除すんのも、何ならこの後一人で帰んのも怖えよ!」
「分かったわかった、でも帰るのは頑張れ。……要するに、この空欄に入る言葉が分かれば良いんだろ。しかし何なんだ?このメール…オール平仮名な上、漢字に修正しても文章意味分かんねーし」
──文章的には、小さな子供達の絆についてだろうか。幼子達の絆は何に屈することも無く、流れる水のようにいつでも側に在り、決して千切れる事は無い。手繰ればいつでも、傍に──
「……これもしかして、平仮名で書いてる事に意味が有るとか?漢字に直したら分かりづらいから、わざとさ、ほら。」
潤が画面と向き合っている間に幾分落ち着きを取り戻した樹の人差し指が、う、え、お、か、き、と五十音順に平仮名を拾っていく。その指先を追いながら潤は引き続き考えに耽る事にした。……人間が飢える理由は多々有れど、その理由が空腹でも、温もりでも無いのならば……?
「「……『あい』?」」
──そう、二人揃って呟いた瞬間。ガタン!とけたたましい音を立てて樹のスマートフォンが床に落ちる。周りの客に迷惑ではと急いで辺りを見回したが、そこには客どころか店主すらも居なかった。店内には二人以外は人っ子一人居なくなっている。
レトロな調度品で溢れた店の中には西陽と呼ぶには赤過ぎる光が射し込み、どこかぬめりを帯びた生きた陽光を通すガラス窓には一枚の紙が貼られていた。
「……な、んだよ、……これ……!」
潤は歯の根が合わず震えている樹を片手で制し、窓へと近寄ると紙に書かれた内容を読み上げる。
感情の読み取れない淡々とした普段の声と異なり、その声色は僅かに上擦っていた。
「──【御機嫌よう、友島潤サマ、杉森樹サマ。矢倉満桜、星嶺藤野。あなた方のあいたい人達は今、Iを無くして此処を彷徨っています。彼女達の無くしたアイが何なのかが分かったら、あなた方も、彼女達も、元の世界に返してあげましょう】」
……どこかで、鳥が羽ばたく音が聞こえた。
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