Episode.00

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Episode.00

ひゅう、と。首を締め上げられたような、情けない音が漏れる。 「──取り敢えず、外に出た方が良いのか」 「いやいやいやどう考えても駄目だろ!」 カフェの中には何処からかぬるい空気が吹き込み、二人の間に鎮座する焦りに生々しさを添える。 「外に出ない事には何も始まらないだろ、このままじゃ進むことも帰ることも出来ないんだぞ」 「……って言ってもさあ……、見ろよ、あれ」 樹が指し示した窓の外を瞳を眇めてよく見ると、空には見慣れた黄金色の面差しも無い、真っ赤な月が浮かんでいる。同系色の空に溶け込む事を知らないその真円に、思わず潤も眉間に皺を寄せた。先程は夕刻の陽の光に似ていると自分の中で落とし込もうとしていたが、成程、これは確かに言葉を失わざるを得ない薄気味悪さだ。 「となると、手掛かりはコレか」 潤は床に転がるスマートフォンに視線を落とした。 外に出ずとも外界との連絡が取れるならここで助けを待つ事も出来るだろう。誰であろうとひと目見て分かる異常事態、力の無い高校生二人には今のところ打つ手が無いのだ。樹がスマートフォンを拾い上げて操作し、電話帳に登録された番号に片っ端から電話をかける。同級生、部活の先輩、旧知の友人、家族──…… 「……駄目だ、誰も出ない」 倣うように電話をかけていた潤も、樹の一言に応じるかの如く渋面する。スピーカー状態にしたスマートフォンからは虚しく呼び出し音が鳴り響くだけだった。 ……もう切ろう、ひとまず充電の温存をしたい。通話終了ボタンに潤は指を添えようとした。 刹那。 『ひ、……っはは、あっはははは!!』 「っ、……!」 二つの呼び出し音と落胆の気配が空気に満ちる中、突如、頭が割れるような甲高い哄笑がそれぞれの手中から響いた。鼓膜に爪を立て引き毟られる感覚に堪らず膝をついて床に座り込むと、スピーカー越しにざらりとノイズの入った音声が聞こえる。 『良いザマだなぁ、友島、杉森』 ……歳若い少年の声が心底愉快そうに自分達の名字を呼ぶ。どこかで聞いた事の有る声。そして自分達の事を知っていることに驚き、二人は弾かれたように顔を上げた。 「っ、誰だ?何で俺達の名前を知ってるんだよ?」 「……教えてくれ。今ここで起きている事は、なんだ」 急いた様子で問い掛ける樹と異なり、至って静かに言葉を連ねる潤。スマートフォンを握る指先は緊張から冷え切っており、爪先は白くなるほどに力が込められていた。そんな二人とは裏腹に、少年の声は楽しそうな様子を崩そうとしない。 『教えてやるワケがねーだろ。"ソレ"はお前らが解決しないとならない問題だ、オレが口を出してどうこう出来る事じゃない。矢倉や星嶺を探したけりゃ自力で手掛かりを探せ』 「な、!」 『オレはお前らの足掻く様子を眺めさせて貰うわ』 「満桜ちゃんと藤野ちゃんは……!」 ようやく得られた居なくなった同級生達の手掛かりを逃したくない焦りから言葉が継げなくなる樹に変わり、潤は一言だけぽつりと呟いた。 「……『アイ』」 電話の向こうで、小さく息を詰める気配がする。 「満桜と藤野は、『アイ』を失くしたからここに居ると張り紙に書いていた。お前が誰かは分からないし、聞いたところで答えるつもりも無いだろ。……だからそこは聞かない。その代わり教えろ、『アイを失くした人間はどうなる』?」 『……人による、としか言えねーな。そこは失くしたモノによりけりだ』 失くしたものによりけり、つまり『アイ』はひとつじゃない──潤は樹に目配せをする。次第に冷静さを取り戻してきた樹は眼鏡の奥の瞳を見開くと、親指を立てたあとにスマホを操作し始めた。恐らくは意図を汲んでくれたのだろう、メモアプリに書き留める様子が窺える。 少年の気紛れで会話を打ち切られる前に、潤は心なしか早口に言葉を並べ立てた。 「『アイ』を失くした人間以外がここに迷い込む事は度々有るのか?」 『失くした当人と結び付きが強かった人間が"招待"されることは有るな』 「ここは俺達が暮らしていた世界とは別物なのか」 『そうであり、そうじゃない』 「お前は"招待"をされたのか?」 『……バカ言え。俺は"招かれなかった"側の人間だ』 少年の声色に、落胆と僅かな怒りが滲む。 「お前は何で俺達と接触出来てるんだ?」 『自分で考えな』 やる気が無くなってきたのか、はたまた別の理由か、段々と覇気の無くなってくる声。あとひと押しか。 ──…… 「──お前も、何かを失くしたのか」 『……っ!オレは、失くしたんじゃない。探す為に"結った"モノを自分で断ち切ったんだ、全て、すべて!!』 先程の笑い声とは別人のような悲痛な叫びを上げる少年。樹が身振り手振りで『謝れ』と合図を送ってくるが、潤はそれをわざと見なかった振りをする。 『やっぱりお前達は嫌いだよ。いつも、いつでも他人の中に土足で踏み込んできやがる』 声をざらつかせるノイズが更に大きさを増し、怒気を孕んだ少年の声だという事以外ほとんど聞き取れなくなってきた。神経を研ぎ澄ませて言葉の細部を聞き取ろうと試みる。 『もう良い。お前らもずっとそこに居たら良いさ』 『時間を掛けて結わえたものも、アイすらも全部失くしてしまえばいい』 ポーン、ポーン、 「……?」 『じゃあな』 ザアッ── ノイズに交ざる音に耳を澄ませていると、ひときわ大きな雑音が鼓膜を叩いた後に少年の声は聞こえなくなった。 「……今のは……、」 「……俺達の事を知ってる奴だった。それだけじゃない、満桜と藤野の事も。ここの事も詳しい様子だったな」 「だよな、……声に聞き覚えがあった」 嵐の様な時間が過ぎ去り、呆然としていたのも束の間。潤は樹のスマートフォンを借りると、書き留められた会話の端々を脳内で拾い口元を引き結ぶ。 『アイ』の種類はひとつじゃない。この世界は元居た場所と似て非なるもの、失くした者とそれに招かれた者だけが居られる。そして、結ったモノを千切った少年。 ……駄目だ、手掛かりが少な過ぎる。 残る手掛かりは、最後に聞こえていた音。 「……時計」 「ん?」 「最後の方、アイツが喋っていた時に後ろで時計の音がした。多分、満桜がよく通ってた図書館のものだ」 樹の顔が僅かに引き攣る。 言わんとする事は察したものの、黙殺した。 「行ってみるか」
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