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 これは私、潮薫子(うしおかおるこ)が子どもの頃から始まる話。  私はこの有明浜駅のある小岬町(こみさきちょう)で生まれ育った。小岬町の少し立派な病院で産まれ、小岬町の小さな保育園に行き、小岬町の小学校で仲の良い友達と遊んだり、自由気ままだけど平凡な子ども時代を送ってきていた。本当にどこにでもいるような田舎の女の子という感じだと思う。  そのような何の変哲も無い生活の中に、いつもこの有明浜駅があった。家がこの近所の線路沿いだったというのもあるが、父が通勤でよく列車を使っていたから、小学校の頃からよく駅まで出迎えに行っていた。晴れの日も、雨の日も、風の日も、・・・・・・。父が仕事に行く日には、必ず私はこの駅に来ていた。いつもの時間――18時27分の列車から降りてくる父を待つために。  このことについて、友人から「なんでそんなことをしているの?」と質問されたことがある。この答えについては、追々考えていくこととしようか。  さて、駅に行くといつも明るい笑みを浮かべて出迎えてくれたのが、当時の駅員さんである平良邦実(たいらくにみ)さんだった。この当時既に70歳近くの高齢だったが、年齢を感じさせないほどにいつも旺盛に働かれていた。さっぱりとした気性の人で、いつも白い歯を見せて笑っていたのを覚えている。  列車が来たら改札口に立って切符の集札を行う。列車がいない間は窓口で切符の発券業務や事務処理を行ったり、時間さえあれば駅構内の清掃作業を行っている。主な業務はこんな感じで、彼女はケラケラと磊落な笑みを見せながら私によく「客がいないから退屈でしょうがない」と愚痴を零していた。けれども、彼女が私や他の客の見えないところで業務に追われて忙しない日々を送っていることは、当時の私も気がついていた。さっぱりとした気性だとは言ったが、その一方で自分の辛さを前面には出そうとしない人でもあったのだ。  そんな彼女と私の出会いは、私が初めて1人で父の迎えに行き始めた小学校低学年の初夏の頃だった。集団下校で友達と一緒に帰りながら、次第に自分1人だけになっていく寂寥感が辛かった。駅の目の前にある交差点で、最後まで残っていた友達と離れ離れになるとき、いつもその子が遠く遠く離れていくような孤独感を感じていた。 「じゃあね、かおるこちゃん!またあした!バイバイ!」 「うん!またね!バイバイ!」  互いに気丈に振る舞っていたけど、やっぱり寂しさは拭えなかった。ぽつんと1人残された私は肩を落として家に帰ろうとした矢先、ふと私の小さな目に有明浜駅の駅舎が写った。その時小さな脳みそに1つの考えが過ぎる。 『あそこに行けば、すぐにお父さんと会えるかな』  今の私からしたら、何とも突飛で短絡的な考えだと思うが、当時の私は保育園を卒園して間もない子ども。保育園の頃は、帰路に就くときには必ず駅の近くで父を出迎えて3人で家路に就いていたものだから、駅のことを『会いたい人に会える場所』だと思い込んでいた節があったかもしれない。1人で家路に就くのが嫌で、父と2人で家に帰りたいという衝動が私を駅に向かわせたのだと思う。  私はランドセルを背負ったその足で、駅の方へと胸を躍らせながら駆け込んだ。小さな丸い目から見る世界は、とても希望に満ちていた。  小鳥の囀りのような澄んだ可愛らしい声で鼻歌を口遊ながら駅の中へ。何年も風雨に晒された茶褐色の木の壁と瓦屋根が古めかしさを感じさせる、可愛らしい程に小さな木造駅舎。その待合室の引戸をカラカラと音を立てて開けると、中は快晴日の昼間とは思えぬほどに薄暗い。天井に取り付けられた蛍光灯が皆、暫し眠りに就いていたのだ。私の胸の鼓動は期待から恐怖へと変化し、思わず「わっ」と驚嘆の声が飛び出ると、その小さな身は萎縮してしまう。 「うぅ、なんかこわいなあ。でもパパにあいたいし――」  ごくりと唾を飲み込み、意を決してその中に入る。父がいないか探してみたが間もなくその答えは判明する。父はここにはいない、と。  待合室の先には別の扉。そうか、この部屋じゃ無くてその扉の先なんだ。小さな勇者は忍び足で、おどおどと部屋の隅々を見回しながらその扉の前に来た。そして、その扉に手をかけようとした瞬間、扉は独りでに開いた。いや、独りででは無い。扉の先には、小さな私を不思議そうな顔で見つめるおばさんが立っていた。彼女は屈んで私と目が合う高さに背を低めると、きょとんとした顔で私に問いかけた。 「お嬢ちゃん、ここで何してるんだい?」  突然のことに吃驚した私は腰を抜かして、その場にへたり込んでしまった。恐怖と緊張が小さな心の中に一気に押し寄せる。どうしよう、上手く言葉が出ない。 「かくれんぼして遊んでるの?それとも何か探し物?」 「あ、えぇ、うぅ・・・・・・」  私は両手で頭を抱えた。少しずつ丸い目が潤んでくる感覚を覚える。 「ん~?どうしたのお嬢ちゃん。どこか具合でも悪いの?トイレ?」 「えっと、それはちがくて・・・・・・!その、うんと、えっと・・・・・・」  顔を真っ赤にしながら、必死になって彼女の問いかけに答えようとする。しかし、この時の私に『友達と別れて独りで家に帰るのが寂しくて、駅までお父さんを迎えに行って、お父さんと2人で帰ろうとした』なんて流暢に、ハッキリと言い返すことは出来なかった。当然、そんな私の事情を知る由も無いおばさんは困り果てた顔をして大きなため息をついた。  その刹那、私はあぁ怒られると直感し真っ赤な顔が一瞬にして青冷めた。保育園の時から、先生が誰かを怒るときはよく困ったような顔でため息をついているのを見かけていたからだ。脳内でその記憶が蘇ってくると、次第に恐怖感が増していく。彼女に何をされたわけでも無しに。  そして、潤む目から涙の滴が1粒、また1粒とこぼれ落ちて、うわんうわんと嗚咽を漏らし泣いた。  困り果てた彼女は、何かに気がついたように顔を上げると、慌てて待合室を飛び出しどこかへ消えた。薄暗い部屋の中で独り愚図る私。間もなく戻ってきた彼女の手からは、チョコレートとバニラの味のアイスキャンデーが2本ぶら下がっていた。彼女は私に白い歯を見せながら声をかけた。 「お嬢ちゃん、おばちゃんとアイス食べないかい?」  流れていた涙がピタリ、まるで蛇口を捻ったかのように止まった。赤く腫らした目元をしながら、私は彼女と目を合わせて首を縦に振った。彼女は喜色満面な笑みで私の頭を撫でると、私の小さな手を握って、待合室の隣室である駅事務室へと連れて行った。 「ふぅん、つまり1人が寂しくてお父さんの帰りを待っていた、ということかい?」  アイスをペロペロと舐めながら、彼女は私に問いかける。私が無言で首肯すると、彼女は一瞬目を丸くしたかと思えば、声高らかに笑い出した。 「なるほどな!そうかそうか、寂しかったかぁ。うんうん!」  彼女は食べ終わったアイスの棒をゴミ箱に投げ入れると、腕を組みながらわざとらしく大きく頷いて見せた。側で私はアイスを咥えたまま、呆気にとられて彼女の様子を窺っていた。 「でも、パパいない。ここにきたらあえるとおもってたのに・・・・・・」  口を尖らせながら寂しげに私が呟くと、彼女はケラケラと笑った。 「そりゃそうさ。列車には時間っていうものがあるのさ。決まった時間にならないと列車はここに来ないよ」  そう言いながら彼女は、側の机の引出しを開けてA3紙を1枚取り出した。その紙には、事細かに列車の時刻が書いてある。壁張りの列車時刻表だ。彼女は紙に書かれた時刻を指差しながら、私に話しかける。 「今は・・・・・・15時30分過ぎか。なら、あと30分後くらいにな、この列車がこの駅に来るんだ」 「これぜんぶれっしゃのじこく?」 「そうさ、全部列車の時刻さ。1日にこれだけ走ってるんだ」  私はへぇと感嘆の声を漏らしながら、マジマジと興味深そうに時刻表を眺めている。側でしたり顔で私を見つめる彼女。 「私はここで列車の切符を売っているのさ。毎日朝7時から夕方6時まで、皆が列車で安心してお出かけできるように見守るのが私の仕事ってやつさ」  遠くを見つめるような目で、彼女は語りかける。  ふと私が顔を上げると、目線の先には様々な切符の入った棚が見えた。私はその棚を指差しながら問いかける。 「あれぜんぶきっぷ?」  彼女はニカニカ白い歯を見せて頷くと、椅子に座っていた私を両手で抱え上げて、その机の側に立たせた。 「せっかくだから、おばちゃんの仕事場、見てみるかい?」  私はうん!と嬉々とした表情を浮かべて頷いた。  それから、父が乗る列車が到着するまでのおよそ2時間ほどを、駅の事務室の中で過ごした。彼女が時折切符の発券業務や改札業務に追われる裏で、私は彼女の仕事風景を眺めたり、宿題を進めたりと自由気ままに過ごしていた。  それに彼女に対する畏怖の念はどこへやら、彼女が業務を終えて部屋に戻ってくると、一緒にお喋りして楽しんだりもするくらいには打ち解けていた。初めて来た場所なのに、どこか懐かしく居心地も良かった。家でも学校でも感じないような新鮮な感覚に、幼い私はすっかり虜になっていた。よく友達の男の子が「秘密基地で遊ぼう」と言って、どこかの空き地へと駆けていく姿を見かけたものだが、彼らの気持ちが何となく理解出来たように思う。 「どうだい、お嬢ちゃん。ここは面白いかい?」  彼女が座っていた私に目線を合わせるように屈んで問いかける。 「うん!おもしろい!れっしゃもたくさんみられたし、おしごともいろいろみられてたのしい!」  私は朗々として即答した。私の答えを聞いた彼女は照れ臭そうに脂下がりながら、ジャケットの胸元にあるポケットから小さな革張りのケースを取り出した。そして、革張りのケースから小さな紙を1枚私に差し出した。 「これね、名刺ってやつ。お父さんに聞いてみたら分かるかもしれないが、ここに私の名前やこの駅の電話番号とかが書いてある。いざという時や相談したいことがあったら連絡してきて良いし、何なら直接ここに来ても良い」 「ええっと、おばちゃん。このなまえは、なんてよむの?」 「ん?ああ、これはね"たいらくにみ"って読むんだ。別に名前は覚えなくてもいい。おばちゃんとか呼びたいように呼んでくれたら良いさ」 「うん!わかったよ、おばちゃん」  彼女――平良さんは鼻で軽く笑うと、再び立ち上がって制帽を被る。両頬を両手で軽く2度叩くと、よしと一言呟いて改札口へと向かった。 「18時27分発、上り諫早行き普通列車の改札を行います!ご利用の方は切符をご用意の上、手前1番乗り場でお待ちください!」  平良さんのハキハキとした調子が小さな待合室に響く。しかし、蛍光灯の灯る待合室には誰も人はいなかった。幼かった私は、その物寂しさに胸を痛めた。  くるりと線路の方へと踵を返す彼女。すると間もなく、列車が車体をゆらりゆらりと揺らしながら、遠い線路の彼方よりやって来た。1両編成の黄色い気動車列車。力強いエンジン音を轟かせ、小気味よいジョイント音を奏でながら列車は停止した。平良さんは到着した列車に対して、脱帽し一礼する。  それと同時に列車の扉は開かれると、中からスーツ姿の男性が1人降りてきた。その顔を見るなり、私は喜色満面の笑みを浮かべて彼へ駆け寄り抱きついた。 「パパ、おかえり!」 「か、薫子!?何でここに?ママは?」  私の父は驚いて何度も瞬きをしながら辺りを見回している。当の私は得意な顔で胸を張って、1人で出迎えに来たんだと自慢せんばかりである。私の言おうとすることを理解した父は、ただただその場で狼狽えるばかりだ。  その横で列車の発車を見送った平良さんは私たち2人の元に近寄ると、父に対して深く一礼した。 「こんばんは、お疲れ様です。課長さん」 「あ、あぁ、どうも・・・・・・」  事態の飲み込めていない父はきょとんとした顔で、頭を小さく何度も下げた。平良さんはどこか申し訳なさそうに苦笑しつつ再度頭を小さく下げた。 「実はですね――」  平良さんが事の顛末を静かに説明する。父は側で頷きながら私の方を何度もチラチラ見ていた。終始怪訝な顔をしていた父。嬉しさよりも申し訳なさや不安が勝っているような苦々しい表情をしていた理由は、この時の私には到底理解しがたいものだった。 「それで、妻の方には――」 「あぁ、それならご心配なく。お嬢さんが宿題に夢中になっている間に電話連絡済みです。電話番号はランドセルの名前カードが見えていましたので、その連絡先へと連絡致しまして、奥様にも了承を得ておりますので」 「あぁ、そうでしたか。いやはや、すぐ近くと言えど物騒な世の中ですから、娘の身に何かあったら大変ですので・・・・・・いや、そういうことなら――」  そう言うと父は、くるりと踵を返して私の眼前に来ると、しゃがみ込んで私の顔を真剣な表情でじっと見つめた。普段は柔和な笑みで接することの多い父の顔に、思わず背筋が凍るような思いがした。額からはつるりつるりと冷や汗が垂れ、不安で心臓の鼓動のリズムが速くなっていくのを感じる。ごめんなさいごめんなさいと頭の中で繰り返しながら、私は目をギュッと瞑って顔を伏せた。しかし、間もなくその心配は杞憂であると分かった。 「薫子も1人であれこれ頑張っているんだな。よく頑張ったな」  そう言って、いつもの柔和な笑みで頭を何度も撫でる父。予想外の反応に、思わずきょとんとする私。 「あれ?おこらないの?」  私が恐る恐る尋ねると、父は高らかに笑いながら答えた。 「そりゃ薫子はまだ小さいから危ないとは思うこともあったが、それ以上に俺は薫子の気持ちに気がつくことが出来て嬉しいんだ。よく頑張ったな、薫子」  そう言って私に優しく抱きついた父。抱きつかれた刹那、背広から父の汗の臭いが漂ってくるが、いつもなら「臭い」と邪険に扱っていたはずなのに、この日は不思議と不快な思いを感じることは無かった。  私は安堵のあまり泣いた。緊張も不安も平良さんがほぐしてくれたはずなのに、私の知らないところに溜まっていたそれらが一気に発散されたような開放感が私の心を強く揺さぶった。  すっかり日の沈んだ有明浜駅のホーム。煌々と灯る電灯の光がスポットライトのように、私と父を照らし続ける。BGMは打ち付けるさざ波の音と仄かに潮の香りを載せた海風の吹き抜ける音。夜空に輝く月や星の光が、駅の情景に彩りを添える。  平良さんは、私たち2人を少し離れた所からそっと静かに見守っていた。 「今日はありがとうございました。ほら、薫子もお礼を言いなさい」 「きょうは、ありがとうございました」  駅舎の入口で、私と父とが一緒に頭を下げる。平良さんは照れ臭そうに鼻の下をくすぐりながらケラケラと笑う。 「そんな、悪いですよ。私はただ駅員としての仕事をしただけなんだから」  照れ笑う赤い顔で謙遜する平良さん。普段の業務をこなしながら私を見守り続けたのだから当然疲れているはずだが、この時の彼女の顔には疲れの色は一切感じられなかった。数時間前、私にアイスを差し出してくれたときの柔和な笑みがそのままだった。  くるりと向きを変え、私と父、2人手を繋いで家路を行く。僅かな街灯だけが灯る殆ど真っ暗な夜の道。幼い私にしてみれば、父がいなければとても心細かっただろう。しかし今は父がいる。それだけで安心していた。  さて、と一言呟いて父が歩き出そうとしたとき、私はふと1つの台詞が頭の中に浮かび上がった。「あ」と何かを思い出したように私が声を出すと、父の足はピタリとその場に静止した。 「どうした?」  父が尋ねる。私はモジモジと手を徒に動かしながら、再び平良さんの方へと向き直った。平良さんが首をかしげて私を見つめる。  目を合わせるのが気恥ずかしかった私は、伏し目がちに目線を下げて問いかけた。辿々しくぎこちない角張った言葉が、私の口からゆっくりと飛び出す。 「えっと、その、おばちゃん・・・・・・。また、こ・・・・・・ここに、遊びに、きても、いい?」  恐る恐る私が顔を上げると、平良さんは穏やかな表情を私に見せながら、私の頭頂部を軽く2度ポンと叩いてきた。フフフと小さな笑い声を漏らすと、彼女は答えた。 「断る理由なんてないよ。駅っていうのは皆の場所なんだから、いつ来ても良いに決まっているわよ。列車に乗りに来ようが、お父さんを迎えに来ようが、友達と遊びに来ようが、お嬢ちゃんは大切なお客様に変わりないんだから」  この答えを聞いて嬉しくなった私は、彼女と同じように白い歯を見せるように明るく笑った。思わずニヒヒと笑い声が飛び出る。 「ありがとう、おばちゃん!また来るね!」 「おう、いつでも来な!また2人で一緒にアイス食べよう!」  私と平良さんの笑い声が駅前に轟く。年相応のあどけない笑い顔の私と、豪快な力強い笑い顔の彼女。出会ったときは畏怖の念を感じ、どこか隔たりすら覚えた私だったが、今の2人の間に隔てるものはもう何も無い。 「じゃあね、バイバイ!」 「バイバイお嬢ちゃん!お母さんによろしく伝えててな!」 「うん!」  彼女は私と父の姿が夜の闇に消えるまで、ずっと手を振り続けていた。私もまた、彼女と駅の姿が見えなくなるまで、父に手を引かれながらずっと手を振り続けていた。  昼間、あれだけ言うのが辛かったはずの『バイバイ』という言葉が、今、不思議なくらいに私の口から自然と飛び出てくる。それは、もう私の心の中に寂しさが残っていない証左だったのかもしれない。  駅から家まで徒歩5分ほど。ほんのちょっとの帰り道、私は父に手を引かれて歩きながら、ふと気になっていたことを尋ねた。 「それにしても、パパ。おばちゃんとおしりあいなの?」  先程私と父が会ったとき、平良さんが父のことを課長と呼んでいたのが気になっていたのだ。普段駅を使っているからとはいえ、余程親しくなければそのような呼び方をすることは無いはずだ。それに当時の私は父の仕事の様子をよく知らなかったこともあり、父が課長と呼ばれていたことをきっかけに、父がどんな仕事をしているのかと興味が湧いたのもある。  気になると爛々と輝く目で訴えかける私に対し、父は照れ臭そうに頭を掻きながら答えた。 「実はな、パパはあの列車の安全を守る仕事をしているんだ」 「あんぜんをまもる?」  答えを聞いた私は、きょとんとして首を傾げた。 「そうさ。お客さんが安全かつ快適に列車に乗れるように、そして運転士さんや車掌さん、おばちゃんみたいな駅員さんが安全かつ元気に働けるように支えていくのがパパのお仕事だ。列車がみんなに愛されるようにするために、毎日頑張っているんだぞ」 「たとえば?」 「う~ん・・・・・・あぁ、例えば線路や列車がどこか壊れてないか調べたり、運転士さんや駅員さんに色々勉強を教えて、一人前の運転士さんや駅員さんになって皆が楽しく列車を利用できるようにしたり、・・・・・・色々あるぞ」 「へぇ、すっごぉい!」  私が感嘆して歓声をあげると、父は暗闇でも分かるくらいに顔を赤くしながら嬉しそうに笑っていた。父がそんな凄い仕事をしていたなんて、と子どもながらに誇らしく思ったものだ。心なしか、街灯に照らされた父のネクタイピンが空に浮かぶ一等星のように輝いて見える。  しかし父は間もなく、どこか寂しげな雰囲気を漂わせながら呟いた。 「本当は薫子と一緒に列車に乗って、パパの仕事ぶりを見て欲しいんだがな。中々仕事が忙しかったりで、薫子と列車に乗っていられる時間も得られそうに無い。ごめんな、本当に」  笑みを見せながら私の頭をそっと撫でる父は、どこか寂しげだった。このままこの暗闇に沈んでしまいそうな――不安。心細そうに父を見つめる私の目は涙で僅かに潤む。 「おいおい薫子、パパと列車でお出かけできないのがそんなに辛いか。・・・・・・そうか、まあまた今度仕事が落ち着いたときにでも乗りに行こうか」  困り果てた父が精一杯振り絞って出した、一つの甘言。空元気。  今の私なら無理をしていると気がついただろうが、当時の私には無理だったらしい。あっさりと目を煌めかせて、大きく首を縦に振ってしまう私。小さな私が胸を弾ませながら歩く横で、父はただ困ったように苦笑しながら、時折携帯の画面を見てため息をはく。  暗くなりつつある夜道の先で、私の家は煌々と灯りが灯っていた。                                           
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