2-1話

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2-1話

 高校の頃は、小岬町の隣町にある県立高校に通っていた。  隣町と言っても、私の住んでいる地域から学校までは距離がある。自転車で通学している人もいたが、話を聞くと40分ほどかかるらしく、そのため大概の学生は鉄道を使って通学していた。同郷の友人達も多くは鉄道を使っていたが、私は鉄道を使うことは無く、行きはバス、帰りは母の運転する車に乗って自宅と学校を行き来していた。  高校では。 「君の成績には大きな問題は無いと思う。これからも精進しなさい」  進路相談の時、私は相談相手の教師にそう言われたことがある。  自慢では無いが高校では成績優秀者として評価され、模試でも成績上位者となるのが常であった。  ここまで成績が良くなった理由としては、学生として学業に精を出すのは当然のことであると思っていたのもあるが、それ以上に遠くの街の大きな大学にでも行って、この町に刻まれてしまった苦い記憶のことを忘れたかったという思いが強かったことが起因している。とりあえず遠くへ、そして大集団の一粒として溶け込んで、この町での私のことを知る人間との距離を取って、精神的な安寧を恒常的に享受したかったのだ。  遠くの街とは、具体的に言えば東京だ。私の通う高校は、この地域一帯にある高校の中でも有数の進学校だと言われていたが、卒業後の進路は大半がこの九州にある有名国公立大学または巨大な私立大学といった所で、京阪神圏や中京圏ですら少数派、首都圏に至っては特に東京となれば実績が例年乏しく、両手どころか片手、いや0人の年もあるという。この町から離れたかった私からしたら、その話は丁度良いことこの上なかったのだ。  さて、高校3年になったある日、部活動のために音楽室へ向かっていたところ、後ろから声を掛けられた。気さくに手を振る男子生徒――島原くんだ。彼も同じ高校に通っていたのだが、学科も部活動も異なっていたために中々接点が無かったのだ。いや、実際は互いに気づかぬまますれ違っていたのかもしれないけれど、今はどうだっていいだろう。  久しぶりの再会に、私は心を弾ませながら彼に近寄った。 「よ、元気そうだな潮。久しく話せてなかったが、相変らずだな」 「相変らずって何よ。で、何の用なの?」  ケラケラと笑いながら話すと、彼は決まりが悪そうに苦笑を浮かべる。 「あぁ、まぁ・・・・・・その、何だ。ここで立ち話もアレだし、どこか人気の無い場所で」 「何?そんなに畏まっちゃって。まぁ、良いわ」  私がそう答えると、彼は「付いて来てくれ」と一言私に告げ、若干早歩きになって、学生達の入り乱れる廊下を先へ先へと分け入って進んでいく。  慌てて私が彼の背中を追うと、彼は暫く歩いた先にあった人気のない空き教室に入っていった。薄暗くどこかほこりっぽい部屋。入るときに思わず軽く咳き込んでしまう。 「こんな所に連れてきて何の話なのさ」  億劫そうに私が彼に尋ねると、彼は思い悩んだような表情で言葉を詰まらせる。「あぁ、えっと・・・・・・」と繰り返すばかりの煮え切らない態度に、私は苛立ちを隠せない。 「話が無いなら部活に行かせてもらうわよ」  低く鋭い声で呟く。流石に彼もそれを聞いて何か決心したのか、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。 「その、今まで、お前に黙っていたことがあるんだ――」  あぁ、何だか昔漫画やアニメで見たような流れだ。このまま恋愛感情を告白する奴だ。まさかそんな乙女チックな真似をするなんてね、と呑気なことを考えていた私。そりゃ、愛の告白なんて男でも女でも照れ臭いものだよねと内心笑ってすらいた。しかし、彼はそんな私の惚気た理想を裏切ってしまった。 「お前に、ずっと謝りたかったことがある」  島原くんの目には涙が浮かんでいた。 ~~~~~~  私が父を喪ったあの日。  島原くんは私と別れた後、家路を急いでいた。雨が酷かったのだから、至極当然のことである。夏の雨特有の蒸し暑さに苛まれつつも、彼は大きな災厄に見舞われること無く家路を突き進んでいた。 「はぁはぁ、もう少しで家に着くぞ」  息せき切って大雨の坂道を進む彼。線路沿いの小高い丘へと伸びる乗用車1台がやっとの狭隘路は、彼が好んで通る家と学校を短絡する近道である。普段ならば、坂道沿いの木々の間から青い海が見えるが、今日は殆ど海は見えない。微かに見える海も灰色にくすんで見えた。 「チェッ、何にも見えねえや。つまんないの」  舌打ちして不満を漏らしながら、只管坂道を突き進んでいこうとする。その時だった。 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ  聞いたことも無いような鈍い音が眼下の線路の方から聞こえた。恐る恐る金網に掴まりながら見下ろすと、驚くべき光景が広がっていた。 「線路が・・・・・・崩れている・・・・・・」  彼が聞いた音は、線路の築堤が崩壊する音だったのだ。線路周辺に人家は無いため人的被害は無さそうだが、問題は崩落した線路である。地面がえぐり取られたように崩れていたが、崩れた路盤に敷いてあったレールはそのままの状態で宙に浮かんでいる。これでは列車が走ることは出来なさそうだ。  彼は登ってきたばかりの坂道を駆け下って、坂道の麓にある踏切から線路の中へと入る。ただでさえ大雨が降っているのに、砂利が敷き詰められ、艶々に摩耗したレールが延びるその線路は、歩くには危険極まりないものだ。 ~~~~~~ 「間違っても俺が線路に入ったのは、面白半分だとか興味本位だとかそんなふざけた理由じゃない。誰か近くの大人に伝えようと思ったし、もし怪我人とかがいたらっていう焦燥感からだ」  そう私に語る彼の目――微かに赤く充血したその目はは頼りなく潤んでいる。私はきゅっと唇を噛みしめた。 ~~~~~~  覚束ない足取りで大雨の線路を歩く。いつ、どっちから列車がくるかも分からないが、少なくとも毎時1本は列車が走る路線であるため、列車が運休していない限りは遅かれ早かれ列車が来る。 「こんな身勝手なことして――やっぱ怒られるんかな?」  内心、周囲の反応をネガティブに想像してしまい、ビクビクと怯懦しながら歩く線路道。雨の湿気と夏の熱気で醸成された独特な熱が、羽織っていたビニールのレインコートをサウナのように蒸し暑くさせていく。暑い、暑いと愚痴を零し息を荒くする。不安と疲労は確実に溜まっているが、それでも前へと歩みを止めなかったのは、僅かにも自分の中にある使命感が上回ったからか。  やがて、彼は現場に着くと、荒かった息もピタリと止まった。言葉も出なかった。そこにはあるはずのものが無かったのだ。  彼の眼前には、宙ぶらりんのレールと枕木が何メートルにも亘って伸びていたのだ。  不幸中の幸いにも、崩落現場周辺には人家や田畑は無く、人的被害の可能性が低かったことだろうか。しかし、赤っぽい土の露呈した築堤はまた崩落する可能性もある。  それに、線路沿いの崖では小石がカラカラと音を立てながら転がり落ちてくるし、それに滝のように泥が流れている。そういえば、これって前にテレビで「土砂崩れ」の前兆だとか言っていたか・・・・・・?だとしたら、尚更急いで知らせないとまずいのではないか。  彼は現場を視認すると、急いで道を引き返そうとした。 『どこの誰に連絡したら、そもそもどうやって伝えたら、この辺の人は電話を貸してくれるか――』  小さな脳みその中に様々な思索を巡らした。頭がオーバーヒートを起こしてしまいそうになるくらいに悩み考え続けていた彼は、歩みを進めるにつれて周囲への意識も薄れてきていた。それがまずかった。 「あ!」  ほんの一瞬、気をそらしてしまったのが運の尽き。彼はレールと枕木を固定するために打ち込まれた犬釘に躓くと、そのまま足を滑らせて築堤の下方へと転げ落ちてしまったのだ。転がりながら地面に強打して傷だらけになった彼の体は、空を仰ぎ見るような姿勢で数メートル下の畑に落ちて止まった。  はぁ、はぁ。良かった、呼吸は難なく出来る。――しかし、だ。体のあちこちから血が出ている。それに打撲したか、はたまた骨折したか、鈍い痛みも感じる。こんな痛みは生まれて初めてだ。  背中に背負っていた鞄が、傷と泥汚れと破損に塗れて痛々しい。 「あぁ、やっちった――。ははは、本当馬鹿だな、俺ってば」  満身創痍な小さな体を引きずるようにして徐に起き上がった彼は、再び転げ落ちないようにと慎重に一歩一歩地面を踏みしめるようにしながら、築堤を何とか登りきった。しかし、頭を強く打っていた彼の意識は朦朧とし始めている。 「誰か、誰かいないか・・・・・・?早く、早く――!」  右肩の傷や痛みを庇うように左手で押さえながら、ふらふらと覚束ない足取りで線路を歩く。歩く度に鋭い痛みが彼を襲う。痛い、痛い、あぁ出血が!苦しそうに呻きながら歩くこと7分、彼は漸く先程の踏切へと戻ることが出来た。先程よりも2倍近い所要時間。彼のスタミナはもう尽きようとしていた。とりあえず休もうか、と踏切脇のフェンスにもたれ掛かろうとした。  そんな彼の耳に、一つの大きな怒声が轟いた。 「おい、坊主!何してる!危ないからそこをどけ!」  最後の気力を振り絞って顔を上げると、線路の向こうからヘルメットに作業着を着た大人の男性の集団が歩いてくるのが見える。その前方には、煌々とヘッドライトを灯した小さな黄色いモーターカー。  虚ろな目にそれが映った途端、彼は力無くその場にへたり込んでしまった。倒れ込む際、口から不意に乾いた笑い声が漏れ出た。もう何も考えられない。彼は向かってくる大人達に大きくゆっくりと手を振った。  間もなく近づいてきた大人達は、彼の異様な外見に戸惑いを隠せなかった。 「どうした」 「何があった」 「病院手配するから待っていろ」  彼の側に駆け寄った大人達は慌ただしく駆け回る。モーターカーに積んでいた無線機で、どこかへ応答を促す大人。手持ちのタオルやら別の車両に積んでいた毛布を支度する大人。それらを手渡されて、私を濡れないようにと包み込む大人。――助かったんだ、やっぱり。助けられたことを実感できた彼は、安堵の笑みを浮かべている。へへへ、と小さな笑い声。  側で見守っていた大人は安心したように微笑を浮かべると、軽く咳払いして囁くような小さく落ち着いた声で問いかけた。 「君はいったいどうしたんだい?」  心配そうに見つめる大人の男性。ふと、作業着の胸ポケット辺りに書かれた名前が彼の目に映った。 「あなたが、かおるこ、の、おとう、さん、ですか・・・・・・?」  彼が微笑みながら問いかけると、その男性は優しい笑顔で答えた。 「そうだよ。君が島原くん、かな?」  彼が首肯すると、その男性――私の父はそっと彼の頭を撫でた。 「何があったかは分かりかねるが、その様子だと何か大変なものを見つけたことは分かる。本来なら叱りたいところだが、今は君の勇敢な行動に感謝しよう」  そう言って優しく微笑む私の父。彼は涙を流しながら、譫言のように見てきたことを呟いた。 「せんろ、ほうらく、とても、おおきい。せんろ、が、く――」  呟いている途中で体力の限界を迎えた彼は、静かに眠るように意識を失った。瞳を閉じ、意識の糸が途切れるまでの僅かな時間。彼の耳の中に、私の父の低く野太い声が聞こえてきたらしい。 「○○くんと▽沢くんは、この子を病院へ!」 「この子の話によると、線路陥没の箇所があるらしい。俺と班長とあと2人は現場確認に、他は係長と作業車で道具を準備して待機しててくれ!」  彼が覚えているのはこの声までだという。 ~~~~~~ 「気がつくと、俺は病院のベッドの上で眠っていたよ。1週間くらい俺も休んでさ。で、退院したときにお前のお父さんの話を聞いてさ」 「・・・・・・」 「・・・・・・ずっと後悔してた。俺がしっかりあの時"土砂崩れが起きるかも"って伝えられていたらって。俺が滑り落ちずにしっかりしていたら、こんなことにはなってなかったって。俺は『使命感』なんて気取った言葉でかっこつけただけで、逆に周りに迷惑掛けた馬鹿野郎なんだって」 「・・・・・・」 「昔からずっと謝ろうと思っていた。でも・・・・・・怖かったんだ。お前との間に距離が出来るのが。今、中々会えないのは仕方ないが、その"会えない"が"会わない"そして"会いたくない"に変わって欲しくなかった。お前のことが好きだから、お前といるという時間を1秒でも無くしたくなかったんだ」 「・・・・・・何それ」 「だから、その、俺は――」  沈黙に支配される薄暗い教室。不気味なまでに物音のしない教室で立ち尽くす男女2人。言葉を詰まらせた彼は、気まずそうに私の様子をチラリチラリと時折窺いながら顔を下に向けていた。その体は打ち震えているように見える。  一方の私といえば、顔を伏せたまま何も語らない。部屋の暗さもあってその表情を読み取ることもままならない。  そして、壁に掛けられた時計の針が17時丁度を指した。それと同時に、沈黙を突き破るようにチャイムが高らかに響く。 「あ、もうこんな時間か・・・・・・」  ふと、彼は思い出したように呟いた。食い入るように左腕にはめた時計の針を見つめた彼は、短くため息を漏らすと顔を上げた。毅然とした表情で、右手を胸に当てながら彼は叫んだ。 「俺を恨むなら恨んでくれ。恨まれてもしょうがないことをしたんだ。何ならここから突き落としてくれたって構わない。父親と同じ苦しみを!とでも言いながら、この3階の教室から突き落として一生分の苦しみを味わわせるのだって厭わない。俺は――!」 「俺は・・・・・・なに?」  彼の話を遮るように、私は静かに呟いた。その語気に彼はたじろいだ。 「え、いや、その――」  あぁ、また言葉を詰まらせたな。私は呆れて彼を睨む。  そして、そのまま彼の目の前へとズカズカ靴音を響かせながら近づくと、彼の頬へと平手を一発撃ち込んだ。乾いた破裂音が耳を劈く。彼は痛む頬を手で押さえながら、不思議そうな目で私を見つめていた。 「島原くん、ごめん。痛かったでしょ?私のビンタ」  小型犬のようにプルプル小刻みに体を震わせながら、彼は首肯した。 「これが島原くんの欲していた"同じ苦しみ"ってやつ。残念ながら私は貴方のために殺人犯にはなれないわ」  呆れたように言葉を吐き捨てる私に、彼は恐る恐る私に問いかけた。 「で、でもさ。俺はお前のお父さんを殺したようなもんだぞ?」  彼の問いかけを聞いた私の口から、意図せずして高笑いが飛び出した。  彼はきょとんとして私を見つめていた。何が起きたのか理解出来なかったか、彼は私に何度も「どうしたんだ?」と心配そうに問いかける。笑いを何とか抑えようとする私は、滲み出る涙を指ですくい取りながら、彼の問いかけに答える。 「島原くんが人殺し?そんな訳ないでしょ?」 「え、え、でも――」 「私のお父さんは事故死よ。誰かを庇っていたかもしれないけれど、それでも結局は事故死。自然災害に巻き込まれて死んだのよ。それとも何か?島原くんが土砂崩れを引き起こしたって言うの?」 「いや、違う。けどさ、気がついてた俺には――」  またも彼の話を遮るように、私はやれやれと首を横に振りながら話しかけた。 「実はね、お父さんが亡くなった場所。島原くんの思っている場所と違うところらしいのよ。貴方の言う土砂崩れの現場とは別みたいよ」  彼は信じられないような声を上げて愕然とすると、狼狽えながら私に問う。 「は?え、ちょ、どういうこと?」 「そのまんまの意味よ。ちなみに、貴方の言う土砂崩れ現場では、お父さん達が来たときには既に崩れていたらしくて、怪我人は1人も出てないらしいわ」 「!・・・・・・」  驚きのあまり声が出ない彼は、大きく見開いた丸い目で私を見つめている。銅像になったようにぴくりとも動かない彼に見つめられながら、私は1人静かに語った。 「私のお父さんはね、島原くんの言っていた所とは別の場所で土砂崩れに巻き込まれたの。崩れる兆候も無かった場所だったらしくて、誰も予期できない場所だったって調査結果も出ている。少なくとも、島原くんもそうだけど、誰も責められるようなことはしてないのよ」  私の父は、彼の言う現場から少し離れた、線路崩落地点を挟んだ反対側の辺りで被災した。  土砂崩れの目立った兆候も無く、地盤も頑丈だったというその地点。  線路崩落の現場確認を進めていた際に、鬱蒼と生い茂る茂みの奥で、突然岩の割れるような音がしたかと思えば、突然崖が怒濤の勢いで崩れかかってきたのだそうだ。  線路側で作業の準備を進めていた新人作業員が危うく巻き込まれそうになっていたのを、私の父が咄嗟に庇ったのがこの事故の真相である。 「むしろ父は、島原くんに感謝していたみたいだわ」 「え?」 「お父さんが死ぬ直前に、譫言のようにこう呟いたんですって。あの子のおかげであの線路崩落に気づくことが出来たって。あの時、雨で視界が悪かったから、島原くんの見た線路崩落や土砂崩れの兆候には気づくことが難しかったみたいだし、もしそのまま行っていたら下手をすると更に酷い事故になっていた可能性もあるらしいわ。被害を小さくすることが出来て良かったって微かに笑みを浮かべながら、静かに息を引き取ったの」  私は話しながら涙が出そうになるのを必死に堪えようとしていた。  その一方で、話を聞いていた彼の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。感涙が止まらない彼は、嗚咽を漏らしながら「ありがとう」と何度も呟いていた。  私は静かにその彼の頭を撫でていた。  時計は17時半を指し、キンコンカンとチャイムが鳴り響く。 「ありがとうね、島原くん」 「え、何が」  不意を突かれた彼は情けない声で聞き返した。再びクスリと笑う私。恥ずかしそうに顔を赤らめた彼は、バツが悪そうに私を鋭い目で睨む。 「俺は別に何をしたわけでも――」 「いや、島原くんが告白してくれたおかげで気持ちが幾分か軽くなったわ」 「気持ち・・・・・・?」  机にもたれ掛かっていた私は、ゆっくりと体を起こし立ち上がる。軽く背伸びをして、窓辺にもたれかかる彼の方へとむき直す。 「私ね、お父さんが死んだ直後からずっと色んな人に励ましの言葉を頂いてきたわ。辛かったね、とか、大丈夫だよ、とか、お父さんは立派だったよ、とか色々とね。言葉をかけてきた人たちは、素直に私のことを励まそうとしていたり、お父さんのことを慕っていたりしていただけなんだと思う。けど、私はその言葉を聞く度に、却って辛い思いをしていたわ」 「どうして」 「私のこともお父さんのこともそんなに知らない、もしくは興味も無いような人たちに、さもよく知っているような素振りで宥められるのが、むず痒くて気持ち悪く思っていたの。私の何が分かるの、お父さんの何を知っているのって」 「・・・・・・」  彼は悄然として項垂れる。そんな彼を見ながら私は首を横に振った。 「でもね、島原くんは違うって思った。島原くんはお父さんのことを、そして私のことも思ってくれていたって分かった」 「いや、俺はそんなこと――」 「そんなことあるの!」  私は語気を強くして彼を諫める。 「島原くんは告白してくれた。辛いはずのあの日の記憶を、今この場で。その事実が今はとても嬉しいの。あの日から何年も経ってしまったけど、今こうして伝えてくれたことで、お父さんのことを心の内から守ろうとしてくれたってことを知ることが出来たから。・・・・・・あの日の、お父さんの記憶を、漸く全て辿り終えることが出来た・・・・・・この充足感で、今まで靄がかかっていた、私の心が、晴れた気がするの」  恥ずかしいことに、私は話しながら大粒の涙をこぼしていた。涙で声が震えるのも構わず、自分の今の気持ちを彼に届けたつもりだが、果して届いているのか。彼の方へと視線を移すと、彼は神妙な顔のまま腕を組んで小さく頷いていた。  涙を流す私に、彼はそっとハンカチーフを差し出した。綺麗に折り畳まれた、未使用のチェック模様のハンカチーフ。 「――ほら、これで顔を拭いてくれよ。お前の元気の無い顔は見たくない」  平静を装おうと、低く落ち着いた声で話そうとする彼。しかしどうも照れくささが滲み出ているのが、微かに上ずる声の調子で分かってしまう。彼から渡されたハンカチーフで涙を拭きながら、思わず微笑がこぼれ出た。 「やっぱり、優しいのね島原くん。私、そういう所好きよ」 「な!?は、恥ずかしいだろ。そんなこと言われると!」  私たち2人は顔を見合わせると、ケラケラと笑い合った。2人でこうやって笑い合う感覚もいつ以来だったかな。パッと思い出せないと言うことは、結構時間が経っていたのかもしれない。まあ、いつだったかどうかよりも、今はこの時間の貴さを静かに享受できる幸せに浸っていようか。  ははは、ははは。暫し時を忘れて、2人で笑い合った。  暫くして、2人で教室を出ようとしたとき、彼が不意に話しかけてきた。 「今日はありがとうな。俺の話を聞いてくれて」  畏まって話す彼に困惑しながら、私は笑みを浮かべる。 「何よ、畏まっちゃって。――うん、こっちもありがとね、本当に」  照れた顔を見せないように顔を背けながら答える私。彼は安堵の表情を浮かべながら話を続けた。 「なぁ潮。これから、時間はあるか?」 「え?今から?」  腕時計を見ると、時間は18時前。まぁ、特段用事もないので断る必要も無い訳で、私は少し間を開けてから首肯した。  彼は好都合だと言わんばかりに口角を上げて白い歯を見せた。 「どうしたのよ、急に。さっきの話の続き?」 「いや、そういう訳では無いが。・・・・・・いや、もしかしたらそうなるかも」 「どういう意味?」 「ま、まあ来たら分かる・・・・・・多分。ははは」  苦笑を浮かべて何とか誤魔化そうとする彼。呆れたように息を吐き出す私。何か隠しているなと疑念を持っているが、まあ悪いことはないだろう。結局私は『まあ、いいか』と内心思いながら、彼に言われるがまま付いていくことにした。
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