夜。

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夜。

男の舌が私の口の中に捩じ込まれてくる。ギシギシとベッドが軋み、汗臭い男と野獣のような吐息が不快だった。手を繋ぎ、愛してると嘘をつく。胸を触られ喘ぐふりをする。少しでも早くこの行為が終われと心の中で願いながら男を受け入れた。 男は野生の猿のようにはぁはぁと荒い息を繰り返し、何度も何度も私の中で果てる。この男は私を見てはいない。男にとって私は欲求を、性欲を満たすための道具なのだ。 キスして、男の望む私になる。時には殴られ、蹴られるこもある。痣が残るからやめてくれと頼んでも男達は欲求のためなら猿でも、獣にでもなっていく。 名前も、どこに住んでいるかもわからない男に抱かれる。仮初めの関係、借り物。レンタルと言えばわかりやすいかもしれない。 男が封筒の中から一万円札を数枚引き抜くと、ゴミでも捨てるようにベッドに置いた。私はそれをタバコを吸いながら受けとる。 人を愛せなくなったのはいつからだろう? 純粋に人を好きになれたのはいつからだっただろう? もうずいぶんと遠い昔のことのように思う。 福岡という街で私は生まれ、育ってきた。子供の頃はキラキラとした街並みの風景も大人になってからはまともに見られない。 街中を歩くカップルや、親子連れを見るたびに私の中で嫌な、どろどろした感覚が沸き上がってくる。私にもあんな未来があったのではないか? あんな風に幸せな家庭を持てたのではないか? 期待、そして後悔だけを抱えて私は今日も夜の街を歩く。 家に帰っても一人ぼっちなのが耐えられない。部屋にたまった缶ビールがさらに心の虚しさを駆り立てる。 スマホの着信があってみてみたら、母だった。 『あんた、最近、連絡なかばってん、どげんしよるとね? もうあんたも三十路やろ? お見合いとかせんと?』 訛りのきつい母の声、結婚、出産、孫の顔、親が私に期待するものを想像して吐き気がしてきた。そんなものはとっくに捨てた。諦めた。私には無理だった。 適当な返事をして、通話を切る。電源も切って枕の下に隠した。缶ビールを飲んで、横になる。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。 首をつる勇気も、腕を斬る根性も私にはない。痛みが私を犯してもきっと途中で死にきれずに逃げるだろうから。 初めて男性と関係をもったのは高校生の頃だった。付き合っていた男と初めてセックスをして、その初めてで子供を授かった。 何もかもが初めてで、戸惑って、私はお腹の子供を堕胎させることしかできなかった。未成年の過ち、若気の至り、周囲の大人達は耳障りのいい言葉で私を慰めたけれど、私は、私の子供を殺したことをずっと今も責め続けている。 それから本気で恋愛ができなくなった。人を好きになるという気持ちがわからなくなった。生きているのが辛かった。死にたかった。死にたかった。 死ねない苦痛を男で癒すようになった。バイトもしたけれど、長続きしなくて売春に走った。知らない男と一夜の関係、借り物の関係が心地いい。 嘘と欲望にまみれて、何度も何度も男と関係を繰り返す。そう思っていたのに。 「君、こういった行為は犯罪だって知ってるよね」 その日も男と関係を持とうと夜の街をさ迷っていた。偶然、見かけた男に声をかけるとそんなことを言ってきた。 「それがどうしたの? それとも警察? おとり捜査ってやつ? すごいね。お兄さん」 へらへらと笑う。端正な顔立ちの男だった。何も知らなそうな無垢な瞳をしていた。 「そういうじゃないけどさ、つーか、俺に見えるわけ?」 「適当に言っただけだよ。深い意味はないさ」 意味はない。警察ではないのなら、ここで別れてしまおう。そう思ったのに。 「じゃあさ、ナンパ? 違うな。レンタル彼女ってことで俺の部屋に来ない?」 「ああ、知ってるよ。一日お金を払って彼女をレンタルできるんだろう? なんだか面白い商売を考えるやつもいたもんだ」 売春や援交と何が違うのだろう? 私にはよくわからない。 「まぁそういうこと、とはいってもこれは合法だから、本音をぶっちゃけると俺の周りって彼女持ちばっかりでさ。居心地が悪いんだ」 「つまり私の彼女のふりをしろってこと? そこまでして見栄を張りたいの?」 「大学生にとっては必要なステータスなんだって」 「三十路前の女に言うもののじゃないよ。他のあたりな」 大学生のステータスなんて知らないし、興味もない。それこそレンタル彼女でも雇ったほうが無難だろうに。 「でも、俺ってお姉さんみたいな年上がタイプなんだ。同い年ってみんな子供に見えるんだよ。だからお願い!!」 それは遠回しに私のことを熟れたババア扱いしているようにも感じたけれど、わざわざ指摘してやる意味もない。 「三食つけるなら、考えるよ」 「え?」 「あんたの家に泊めて、三食、ご飯を用意してくれるなら考えなくもないよ」 「お金じゃなくて?」 「お金なんていらないさ。貧乏な大学生のヒモになるつもりはないよ。今の借りているアパートも引っ越しを考えていたんだ。お互い利害が一致するだろう?」
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