12人が本棚に入れています
本棚に追加
3/3
「りりか、よくこんな店見つけたね。今まで食べたパスタの中で一番美味かった」
「でしょ。だてに佑介よりも先に大学生始めてないよ」
遠くのオープンキッチンで鍋を振っているシェフよりも、りりかの方がよっぽど誇らしげだった。どこがいいのかピンと来なくて、相手任せのプランにしたのが功を奏した。迷ったらキャストに任せて、みたいなことを書いていたサイトの言葉を鵜吞みにしてよかったと思う。
けれども、壁に掛けられた時計の針が進めば進むほど、俺は胸の奥に広がり始める滲みのようなものの存在を無視できなくなってきた。予約時間がもうすぐ終わる。夢が覚める時間。そしてそれは、りりかにかけられた魔法が解ける時間でもある。
結局は、普通に疑似デートをしてもらっただけになってしまった。胸の中にある、誰にも言えない粘ついた弱気を吐き出すことはできなかったが、これはこれで楽しい時間を過ごさせてもらった。本当は金を払ってサービスを使うんじゃなく、私生活上でこういう相手ができれば一番いいんだけど。
心の中で溜息をつきながら、俺は魔法解除の呪文を呟いた。
「りりか、そろそろ終わりの時間かな」
「ん? あー、まあ、うん。それでね」
それで?
「何かあった?」
「結局あたしはまだ、きみが本当に叶えたかったことを実現できてないよね」
「そんなことないよ。りりかのおかげで楽しかった」
「いーや、まだ何かあるよね。それにまだ時間は終わってない。本当にきみがしたかったことって、何なの」
射抜くようにこちらを見つめるりりかの前で、グラスに入ったガス入りの水が静かに泡を立てている。予約を入れた時の気持ちを思い返せば思い返すほど、別にたいしたことではなかったような気がしてならなかった。
弱音や愚痴をこぼしたかったというより、俺はただ、誰かと一緒に時間を過ごすことを求めていただけなのだろう。本当は心の底では寂しくてたまらなくて、言いようのない孤独感に苛まれていた。だからわずかな間だけでも、誰かと繋がっていることを実感したかったのだと思う。
我ながら女々しすぎて、そんなことをリアルの友人知人には話せなかった。結果、レンタル彼女に頼ろうと考えた。まあ、来たのは知人だったわけだが。
でも、そうだな。
りりかになら、話してもいいかもしれない。
「りりかが人ごみを”嫌いじゃない”って言った理由と同じだよ」
「どういうこと?」
「この数時間だけでも、すぐ傍で誰かが自分の存在を認めてくれているって実感したかったんだと思う。自分は一人上手だから……とかなんとかって言い訳をしていても、本当の俺は誰かに構ってもらいたい奴なんだろうな。今日りりかと過ごして、そう自覚できたのはよかったと思ってる」
りりかは何も言わなかった。
これまで、変に一匹狼を気取ろうとしていた。しかし一人でなんでもできるほど、俺は万能ではなかった。
もっと素直に他人と接することができていたなら、もっと違った結果になっていた気がする。ただ、過ぎたことに「もしも」を考えても仕方ない。大切なのは、これから先に自分がどう振る舞うか……ということであって。
でもなあ。
そんなこと言っても、何から始めりゃいいんだよ。
「ねえ」
脳内で難題からタコ殴りにされていたら、先程まで唇を閉ざしていたりりかが話しかけてきた。
「どうした」
「もうすぐ時間なの」
「ああ、じゃあそろそろ――」
「延長を受け付けます」
はて。そんなサービスあったか?
あったとしても、ただのすねかじり大学生である俺には、料金を払えるほどの金はなかった。飲食代や交通費などは彼女ぶんも含めて全て客側の負担だから、おそらくこの後に会計をすれば財布がすっからかんになる。
「そんなのあったっけ」
「サービスにはないですね。あたしが作りました」
野菜の生産者かよ。
畳みかけるように彼女の言葉が続く。
「なんと、今なら延長料金については出世払いでOKとなります」
「出世払い」
「なお、支払手段は通貨によらなくても構いません」
この言い回しで思い出した。
彼女は法学部に進んだんだっけ。
「お金じゃないなら、たとえば?」
「きみが一人で、膝を抱えて過ごすはずだった時間とか」
「どういうことだ」
「あ、ちょうど終わる時間きちゃった」
彼女が指さした先で、時計の長針が「12」に重なっていた。
00分になったということで、名実ともに、俺がりりかをレンタルできる時間は終了したということになる。
時計から視線を戻すと、亜希さんがテーブルに乗り出して、俺のすぐそばまで顔を近づけてきていた。
にこにこと愛嬌を振りまいていたその表情はいま、真剣な面持ちに変わっている。やがて形の良い唇が、ゆっくり開かれた。
「これからはお金なんか払わなくていいから、あたしをきみの彼女にして、って言ってんの」
「それはサービスの一環ですか」
「いま言ったでしょ。もう時間は終わったの。あたしはもう”りりか”じゃない。でも"りりか"でいる間も、あたしがきみに話したことに嘘なんか一つもないよ」
嘘なんか一つもない。
(自分は結局この世界で独りぼっちなんだ……って思わなくて済むから、かも)
(これこそが”きみもあたしも独りなんかじゃない”っていう、証じゃないの?)
あの時の言葉も本当だったのだとすれば、亜希さんがこの仕事をしていた理由にもなんとなく合点がいった。
彼女も心のどこかでは、誰かとの繋がりを求めていたのだろう。
そこに突っ込んできた間抜けな椋鳥が、俺だったというわけだ。
そうだ。
この数時間で紡いだ言葉にも、過ごしている中で生まれた感情にも、嘘なんかない。
「亜希さん」
「なに」
「俺も嘘なんかついてないですよ」
俺は今、そのことを目の前にいる存在に理解してもらう必要がある。
「あたしに嘘と疑われるようなこと、何かきみ言ってたっけ」
「亜希さんは美人になったというか、もとから美人です」
俺の言葉を聞いた「彼女」は、なっ、と少しだけ声を上げ、すぐにぎゅっと唇を噛んでいた。
/* end */
最初のコメントを投稿しよう!